12月13日に防府市で行われた「マイマイ新子探検隊2」に参加してきました。
片渕監督のレポートはこちらにありますし、こちらには監督が撮影された写真も掲載されてます(金田伊功さんが少年時代に通った模型屋さんも!)。
他の参加者の皆さんも、色々とweb上にアップなさっていますね。
私も、なるだけ他の方と被らないようにしながら、自分の視点で「面白い!」と感じたところを掲載してみようかと思います。
防府商店街を抜け、天満宮への参道にかかっている欄干橋のたもと。
水面を覗き込んだら「赤いの」が目の端に。
色づいた落ち葉がひとつ、まるで金魚のようにひらひらと流れに踊っていました。
新子ちゃん達が通った松崎小学校の脇を流れる用水路。
水辺に降りていく階段が映画にしっかり登場していることに気付いたのは、探検隊の後に鑑賞した時でした。
監督のお話伺ってなかったら気付かないまんまだったかも。
川底は砂地で、水がとてもきれいでした。
この用水路は佐波川から水を引いているとか。
年輩の方が、「昔はここを泳いで帰りよった。もう少し上流の深いところやけど」と仰っていました。
佐波神社に向かう途中の畑にあった、すばらしい立て札。
「畑の様子も趣があっていいよねーー」と、清少納言なら書きそうな気がする(笑)
佐波神社の近くにあった艪繋松。
作中でお祖父ちゃんが「船繋ぎの松」と言ってました。
コンクリの水路が、「桑畑のせせらぎ」の名残でしょうか。
この流れを堰き止めた池にひづるちゃんが流れてきたんですね。
艪繋松の解説文。
なかなかにゆかしい風習があったのですね。
「きびり付けて」「ここいらへん」と、方言がいい雰囲気を醸し出しています。
佐波神社から国衙跡に行く途中、猿田彦大神の祠付近から見たゴルフ場。
光子ちゃんが迷い込んだのはこのホールだそうです。
国衙跡は広い芝生の史跡公園になっていました。
ここで登場シーンの画像を並べて、防府市文化財郷土資料館・吉瀬勝康館長のお話を伺いました。
右側の碑には「國廳」(国庁の旧字体)と書かれています。
江戸末期の安政年間(1854~1859年)に建てられたものだとか。
侍の時代となり、各地の国庁には幕府から武士が派遣されていたのですが、周防の国にだけは東大寺から役人が派遣されていたそうです。
「映画の中に登場する国衙は、平安時代にはこうだったのでは?というイメージで、崩れかけた塀と門だけが麦畑の中に姿を現します」とは、監督のお話。
碑の両脇にある砲弾が気になって、近寄って確認したら、「日露戦役記念」と書かれていました。
こちらは片渕監督のツイート。
小太郎祖父ちゃんは日清か日露戦争か、中国大陸での戦争に出征していたそうです。
映画にも出てきた十字路付近で。
左側の大きな屋根のお寺、わかりますか?
(写真ではちょっと切れてしまいました。残念)
十字路の昔の写真。
特徴ある木の姿がそのまんま映画に描かれています。
上の写真と見比べると面白いですよね。
映画には「竹本商店」として登場した有井商店。前の道は国道2号線なので交通量が多い多い。何度もシャッターを押しましたが、車の切れ目をうまく捉えることが出来ませんでした(汗)バイクに隠れちゃいましたが、お地蔵さんもちゃんとありましたよ。
新子ちゃんと貴伊子ちゃんがその脇を駆けていった水門。
有井商店の看板が向こうに見えていますね。
もう少し南に行くと、国司の館の発掘現場です。
国司の館跡。この田んぼの辺りが北の端でした。2007年、片渕監督がロケハンに訪れた時、ちょうどここで発掘調査が行われていて、その情景を映画の場面に再現したそうです。つまり、あの場面だけ平成19年が昭和30年代にタイムトリップしているんですね。
千年前に国司の館があった田んぼに、ポツンと置き忘れられたサッカーボール。
2、3日前に、おそらく小学生くらいの男の子がここで遊んだであろう痕跡です。
この田んぼの東の端に接している道路が、千年前のメインストリート、朱雀大路です。
お昼ご飯をいただいた国衙会館の裏手に現在発掘中の現場がありまして、吉瀬館長のご案内で見学することが出来ました。
堆積した地層を土の色が変わるところまで掘り下げて、柱や溝を埋め戻した様子を記録していくそうです。
埋め戻したところは土が酸化して黒くなっているのだそう。
平安時代の建築物は木の柱をそのまま土に埋めて建てたので、円い柱の跡がきれいに残っています。
奈良時代の国庁は瓦葺きで、柱の下に礎石を敷いていたのですが、庭石などに利用するために持って行かれてしまい、礎石は残っていないとのこと。
……というところで、午前の部はお終い。
午後の部については、また後日アップいたします。
片渕監督のレポートはこちらにありますし、こちらには監督が撮影された写真も掲載されてます(金田伊功さんが少年時代に通った模型屋さんも!)。
他の参加者の皆さんも、色々とweb上にアップなさっていますね。
私も、なるだけ他の方と被らないようにしながら、自分の視点で「面白い!」と感じたところを掲載してみようかと思います。
防府商店街を抜け、天満宮への参道にかかっている欄干橋のたもと。
水面を覗き込んだら「赤いの」が目の端に。
色づいた落ち葉がひとつ、まるで金魚のようにひらひらと流れに踊っていました。
新子ちゃん達が通った松崎小学校の脇を流れる用水路。
水辺に降りていく階段が映画にしっかり登場していることに気付いたのは、探検隊の後に鑑賞した時でした。
監督のお話伺ってなかったら気付かないまんまだったかも。
川底は砂地で、水がとてもきれいでした。
この用水路は佐波川から水を引いているとか。
年輩の方が、「昔はここを泳いで帰りよった。もう少し上流の深いところやけど」と仰っていました。
佐波神社に向かう途中の畑にあった、すばらしい立て札。
「畑の様子も趣があっていいよねーー」と、清少納言なら書きそうな気がする(笑)
佐波神社の近くにあった艪繋松。
作中でお祖父ちゃんが「船繋ぎの松」と言ってました。
コンクリの水路が、「桑畑のせせらぎ」の名残でしょうか。
この流れを堰き止めた池にひづるちゃんが流れてきたんですね。
艪繋松の解説文。
なかなかにゆかしい風習があったのですね。
「きびり付けて」「ここいらへん」と、方言がいい雰囲気を醸し出しています。
佐波神社から国衙跡に行く途中、猿田彦大神の祠付近から見たゴルフ場。
光子ちゃんが迷い込んだのはこのホールだそうです。
国衙跡は広い芝生の史跡公園になっていました。
ここで登場シーンの画像を並べて、防府市文化財郷土資料館・吉瀬勝康館長のお話を伺いました。
右側の碑には「國廳」(国庁の旧字体)と書かれています。
江戸末期の安政年間(1854~1859年)に建てられたものだとか。
侍の時代となり、各地の国庁には幕府から武士が派遣されていたのですが、周防の国にだけは東大寺から役人が派遣されていたそうです。
「映画の中に登場する国衙は、平安時代にはこうだったのでは?というイメージで、崩れかけた塀と門だけが麦畑の中に姿を現します」とは、監督のお話。
碑の両脇にある砲弾が気になって、近寄って確認したら、「日露戦役記念」と書かれていました。
こちらは片渕監督のツイート。
小太郎祖父ちゃんは日清か日露戦争か、中国大陸での戦争に出征していたそうです。
映画にも出てきた十字路付近で。
左側の大きな屋根のお寺、わかりますか?
(写真ではちょっと切れてしまいました。残念)
十字路の昔の写真。
特徴ある木の姿がそのまんま映画に描かれています。
上の写真と見比べると面白いですよね。
映画には「竹本商店」として登場した有井商店。前の道は国道2号線なので交通量が多い多い。何度もシャッターを押しましたが、車の切れ目をうまく捉えることが出来ませんでした(汗)バイクに隠れちゃいましたが、お地蔵さんもちゃんとありましたよ。
新子ちゃんと貴伊子ちゃんがその脇を駆けていった水門。
有井商店の看板が向こうに見えていますね。
もう少し南に行くと、国司の館の発掘現場です。
国司の館跡。この田んぼの辺りが北の端でした。2007年、片渕監督がロケハンに訪れた時、ちょうどここで発掘調査が行われていて、その情景を映画の場面に再現したそうです。つまり、あの場面だけ平成19年が昭和30年代にタイムトリップしているんですね。
千年前に国司の館があった田んぼに、ポツンと置き忘れられたサッカーボール。
2、3日前に、おそらく小学生くらいの男の子がここで遊んだであろう痕跡です。
この田んぼの東の端に接している道路が、千年前のメインストリート、朱雀大路です。
お昼ご飯をいただいた国衙会館の裏手に現在発掘中の現場がありまして、吉瀬館長のご案内で見学することが出来ました。
堆積した地層を土の色が変わるところまで掘り下げて、柱や溝を埋め戻した様子を記録していくそうです。
埋め戻したところは土が酸化して黒くなっているのだそう。
平安時代の建築物は木の柱をそのまま土に埋めて建てたので、円い柱の跡がきれいに残っています。
奈良時代の国庁は瓦葺きで、柱の下に礎石を敷いていたのですが、庭石などに利用するために持って行かれてしまい、礎石は残っていないとのこと。
……というところで、午前の部はお終い。
午後の部については、また後日アップいたします。
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