昨年あたりからAIに関しての情報が騒がしい。
僕はnoteでもブログを書いているのだけれど、noteには本日からAIのベータ版が搭載された。
この動きはあらゆるブログ媒体、クリエイテイブな媒体で推進されていくのでしょう。
クリエイトという概念の骨格が揺らぐ。整形手術と化粧をしていく文章たち。
そうして、もともと楽をしたいという欲望にまみれている人類は、自分たちで自分たちの首を絞めていく。
僕には歌を書くという自分の仕事の初期衝動、元衝動から精神世界への憧れと探求の気持ちがある。
仏教、哲学、ヨガなどの思想が好きで、救われたい思いもあり、どこかに真理が記されていてほしいと願い、1ヶ月に10数冊の書籍を読むのだけれど、日本の書籍の場合、著者の姿を見て、または動画などを見て、太っていたり、ヨガの達人と銘打ちながら瞳が濁っていたりするのを見ると悲しくなる。
だから必然ここ数年、読むのは海外の書籍中心になってしまっている。誰でも出版のできる時代。ヨガの教室も開講できる。実質的な成功体験をしていなくても成功哲学のセミナーを開くこともできる。
時代は速さを求めている。便利さを求めている。みんな楽がしたい。
僕の作詞講座でも、たった数回の受講でプロ的な力に近づけるように勘違いをしていると感じられるときもある。
そんなバカな話があるわけはない。
もちろんやがては力がついて、とてつもないクリエイターになれることもあるだろうけれど、
誰もが時短というミラクルを活用できるとは限らない。
3ヶ月ほどで取得できてしまうようなビジネス資格が氾濫していることも要因なのか。
AIは、優れた芸術を分析することには長けているけれど、芸術を感覚で感受することはできないのだと言われている。
それは今の段階では、の話ではあるけれど、それでも、本物とそうでないものを見分ける嗅覚は、僕たち生身の生命に宿された宝物だ。
この宝物を質屋に並べてしまうような選択はしたくない。素肌の文章で胸を張る。
僕は世界全てがAIの楽さに傾いてしまっても、拙くても自分自身のクリエイトを信じていたい。
経済的にもくるしみまくっているクリエイターの僕がこんな投稿をしてみても、説得力はないとしても、人類は自分たちの力を放棄してはいけないと僕は思う。
誰にも届かないとしても、本物の大いなる力は面白い逆転劇を見せてくれると感じている。
時代はすでに、時間という概念を超えてしまっている。
ならばそれを逆手に取り、この量子力学的世界の中で、人類だからこそ与えられたミラクルを、喜びの中で叶え続けたい。
Makoto ATOZI