北岳バットレス・・・
日本山岳会の初代会長で「日本アルプス」の著者である「小島烏水」が
1908年明治41年に白峰三山を縦走した際に、
北岳の東面に切れ落ちた岩壁をみたときの印象を「バットレス」と記した。
大岩壁にいくつもの小尾根がせり上がっている形状にその名を充てたのである。
バットレスとは英語で「控え壁」の意味。
大きな壁が倒れないように、直角方向に支えの壁を添えて支持する建築物の専門用語。
北岳バットレスは標高差600m
2249mという、日本最大級の標高差をもつ早月尾根。剣岳
登山口には「試練と憧れ」と彫られた石碑があり、
この先に情け容赦のない試練が待ち受けている。
登山口「馬場島」の標高760m。馬場島荘。
赤牛岳に向けた「読売新道」
北アルプスの中でも急登として知られる
赤牛岳から水晶岳にかけての稜線は、この上もなく快適な絶景探訪路である。
これぞ北アルプスの中央稜。
黒部川を挟んで東西に平行して連なる山嶺が高さを競い合っている。
その豪快なパノラマの中でも、西にそびえる薬師岳のボリューム満点の姿は圧巻だった。
黒部の谷を隔てて見るこの場所こそ、薬師岳を撮影するためのベストポジションだと確信した。
水晶小屋と三俣山荘は同じ系列、伊藤正一。
科学的には雷が光ってから音が聞こえるまでの時間(秒)に340mを掛ければ、
落雷地点との距離が計算できるといわれている。
つまり雷が光ったあと、ゴロゴロと音が聞こえるまで3秒だったとしたら、
約1キロのところに雷が落ちていることになる。
「北アルプス三大急登」 ブナ立尾根
鷲羽岳山頂では念願の大展望を目にすることができた。
「ジャンダルム」・・・フランス語で「護衛兵」
という意味の名前をつけられたこの岩峰は、たしかに奥穂高岳へ侵入しようとする登山者を
阻むかのように尾根の正面に鋭く立ちはだかっていた。
前穂高北尾根で亡くなった登山家、大島亮吉
「道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ」
北穂高岳から見た前穂北尾根・・・
この端正なギザギザの尾根を私は「日本一美しいスカイライン」と呼んでいる。
~~魔の山「谷川岳」~~
ギネスブックに登録された2005年までに781人の命がこの山で失われており、
2012年には遭難死者数が800人を超えた。
谷川岳の存在を広く登山界に知らしめたのは、慶応大学山岳部OBの大島亮吉。
山にかかわる数々の著作を残し、29歳でこの世を去った大島は「近くてよき山なり」
首都圏近くに魅力的な岩場があるとというこの情報は、当時の意欲的な登山者に刺激を与え、
谷川岳の岩場開拓の発端となった。
土合駅からいきなり入山できる谷川岳に登山者が殺到するのは必然だったといえる。
1956年昭和31年のマナスル初登頂で日本中が登山ブームに沸いていたころに頂点を極める。
統計を散り始めた1931年昭和6年から遭難死者が800人を超えた2012年までの81年間で805名が亡くなった。
東面には、南からマチガ沢、一の倉沢、幽ノ沢の岩壁帯がある。
近年、谷川岳の岩場を訪れるクライマーの数は激減している。
岩が脆く、ブッシュが目立ち、また取り付きまでのアプローチが危険で、
登攀終了後の下山も長い。それでいて岩のグレードがそう高いわけでもない。
いまでは瑞牆山など硬くてすっきりした岩場が取って代わった。
西黒尾根・・・
標高差1300mのこの尾根は、北アルプス烏帽子岳のブナ立尾根、
南アルプス甲斐駒ケ岳の黒戸尾根と並ぶ
日本三大急登のひとつとして紹介する人がいるほど急峻な尾根である。
本物の富士山に最も近い姿をしているのが、
羊蹄山も蝦夷富士と開聞岳の薩摩富士だといわれている。
冬の富士山は、風のご機嫌をうかがいつつ、
絶対に「死の滑り台」には乗らないという自信がなければ取り付くべきでない。
実際に風にさらわれ、空をくるくる舞っている登山者を見たという話を聞いたことがある。
強風で有名な場所といえば、那須岳の「峰の茶屋」もよく知られている。
ここは茶臼岳と朝日岳との鞍部になっていて、日本海側から吹きつける季節風が集まって
暴力的な強風を生み出しているところだ。
人間鯉のぼりができてしまうほどの風の強さなのである。
「風が奪っていくものはモノだけではない。
体温も、体力も、バランス感覚も、判断力も、ときには命も」
「強風による敗退を恥じる必要はない。
風の怖さを知る賢者の判断だと認識しよう」
~~振り向けばそこに熊~~
走るスピードは時速50キロ。
100m走に換算すると7.2秒、
ボルトを置き去りにする速さの獣から逃げ切ることは、どうやっても不可能だ。
小指の爪くらいの大きさの三角形のブナの実を割って口に入れてみると、
クルミの濃厚さを少しマイルドにしたようなやさしい味がする。
熊の足跡のサイズを計ってみた。
かかとから指先まで14cm。成獣としては標準的な大きさ。
「死んだふり」は効果なし。
→見慣れないものをオモチャにする習性がある。
鋭い爪でもてあそばれたらただでは済まない。
熊の好物である、ブナ・ミズナラ・コナラ。
木の実が豊作だと翌年には子熊が多く生まれるため子連れの熊に出遭う可能性が高くなる。
高度の影響をまったく受けない人はいないはずである。
ポテトチップスの袋が富士山山頂でパンパンに膨れ上がっているのを見れば、
自分たちの体の中でも同じように気圧の影響を受けていることが容易に想像できることだろう。
日本山岳会の初代会長で「日本アルプス」の著者である「小島烏水」が
1908年明治41年に白峰三山を縦走した際に、
北岳の東面に切れ落ちた岩壁をみたときの印象を「バットレス」と記した。
大岩壁にいくつもの小尾根がせり上がっている形状にその名を充てたのである。
バットレスとは英語で「控え壁」の意味。
大きな壁が倒れないように、直角方向に支えの壁を添えて支持する建築物の専門用語。
北岳バットレスは標高差600m
2249mという、日本最大級の標高差をもつ早月尾根。剣岳
登山口には「試練と憧れ」と彫られた石碑があり、
この先に情け容赦のない試練が待ち受けている。
登山口「馬場島」の標高760m。馬場島荘。
赤牛岳に向けた「読売新道」
北アルプスの中でも急登として知られる
赤牛岳から水晶岳にかけての稜線は、この上もなく快適な絶景探訪路である。
これぞ北アルプスの中央稜。
黒部川を挟んで東西に平行して連なる山嶺が高さを競い合っている。
その豪快なパノラマの中でも、西にそびえる薬師岳のボリューム満点の姿は圧巻だった。
黒部の谷を隔てて見るこの場所こそ、薬師岳を撮影するためのベストポジションだと確信した。
水晶小屋と三俣山荘は同じ系列、伊藤正一。
科学的には雷が光ってから音が聞こえるまでの時間(秒)に340mを掛ければ、
落雷地点との距離が計算できるといわれている。
つまり雷が光ったあと、ゴロゴロと音が聞こえるまで3秒だったとしたら、
約1キロのところに雷が落ちていることになる。
「北アルプス三大急登」 ブナ立尾根
鷲羽岳山頂では念願の大展望を目にすることができた。
「ジャンダルム」・・・フランス語で「護衛兵」
という意味の名前をつけられたこの岩峰は、たしかに奥穂高岳へ侵入しようとする登山者を
阻むかのように尾根の正面に鋭く立ちはだかっていた。
前穂高北尾根で亡くなった登山家、大島亮吉
「道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ」
北穂高岳から見た前穂北尾根・・・
この端正なギザギザの尾根を私は「日本一美しいスカイライン」と呼んでいる。
~~魔の山「谷川岳」~~
ギネスブックに登録された2005年までに781人の命がこの山で失われており、
2012年には遭難死者数が800人を超えた。
谷川岳の存在を広く登山界に知らしめたのは、慶応大学山岳部OBの大島亮吉。
山にかかわる数々の著作を残し、29歳でこの世を去った大島は「近くてよき山なり」
首都圏近くに魅力的な岩場があるとというこの情報は、当時の意欲的な登山者に刺激を与え、
谷川岳の岩場開拓の発端となった。
土合駅からいきなり入山できる谷川岳に登山者が殺到するのは必然だったといえる。
1956年昭和31年のマナスル初登頂で日本中が登山ブームに沸いていたころに頂点を極める。
統計を散り始めた1931年昭和6年から遭難死者が800人を超えた2012年までの81年間で805名が亡くなった。
東面には、南からマチガ沢、一の倉沢、幽ノ沢の岩壁帯がある。
近年、谷川岳の岩場を訪れるクライマーの数は激減している。
岩が脆く、ブッシュが目立ち、また取り付きまでのアプローチが危険で、
登攀終了後の下山も長い。それでいて岩のグレードがそう高いわけでもない。
いまでは瑞牆山など硬くてすっきりした岩場が取って代わった。
西黒尾根・・・
標高差1300mのこの尾根は、北アルプス烏帽子岳のブナ立尾根、
南アルプス甲斐駒ケ岳の黒戸尾根と並ぶ
日本三大急登のひとつとして紹介する人がいるほど急峻な尾根である。
本物の富士山に最も近い姿をしているのが、
羊蹄山も蝦夷富士と開聞岳の薩摩富士だといわれている。
冬の富士山は、風のご機嫌をうかがいつつ、
絶対に「死の滑り台」には乗らないという自信がなければ取り付くべきでない。
実際に風にさらわれ、空をくるくる舞っている登山者を見たという話を聞いたことがある。
強風で有名な場所といえば、那須岳の「峰の茶屋」もよく知られている。
ここは茶臼岳と朝日岳との鞍部になっていて、日本海側から吹きつける季節風が集まって
暴力的な強風を生み出しているところだ。
人間鯉のぼりができてしまうほどの風の強さなのである。
「風が奪っていくものはモノだけではない。
体温も、体力も、バランス感覚も、判断力も、ときには命も」
「強風による敗退を恥じる必要はない。
風の怖さを知る賢者の判断だと認識しよう」
~~振り向けばそこに熊~~
走るスピードは時速50キロ。
100m走に換算すると7.2秒、
ボルトを置き去りにする速さの獣から逃げ切ることは、どうやっても不可能だ。
小指の爪くらいの大きさの三角形のブナの実を割って口に入れてみると、
クルミの濃厚さを少しマイルドにしたようなやさしい味がする。
熊の足跡のサイズを計ってみた。
かかとから指先まで14cm。成獣としては標準的な大きさ。
「死んだふり」は効果なし。
→見慣れないものをオモチャにする習性がある。
鋭い爪でもてあそばれたらただでは済まない。
熊の好物である、ブナ・ミズナラ・コナラ。
木の実が豊作だと翌年には子熊が多く生まれるため子連れの熊に出遭う可能性が高くなる。
高度の影響をまったく受けない人はいないはずである。
ポテトチップスの袋が富士山山頂でパンパンに膨れ上がっているのを見れば、
自分たちの体の中でも同じように気圧の影響を受けていることが容易に想像できることだろう。