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比治山大ゼミツアーに参加してみたパートⅡ

2024年10月16日 | Weblog

島根県奥出雲町三成駅から、地元ボランティアガイドが乗車し

最初の学習地:羽内谷鉄穴流し現場(はないだにかんなながし)へ

 

奥出雲地域は花崗岩の深層風化が進んだ地域で、良質な砂金が採取されることから

全国屈指のたたら製鉄地帯として発展してきたところ。

この鉄穴流しとは、効率よく砂鉄を採取する方法として生み出された技術で

丘陵尾根に導いた水路に、切り崩した山土などを流し、

水流によって土砂と砂鉄を分けていく比重選鉱のこと(旅のしおりより)

 

静かで美しくその昔を感じさせる佇まいを残した街並みを通り

鉄穴流しの再現現場に到着。

その見学場面がこれ

ここは、鉄穴流しの最終工程の「本場」で、約1Km上流から繰り返エされてきた工程で

最後に砂鉄を精選し、底にたまった純度の高い鉄分を採取するところ。

この作業は、稲作のない秋の彼岸から春の彼岸の間の寒い時期に行われていた

と聞き、冷たい水と格闘していた人々の苦労が偲ばれた。

しかし、この鉄分が見事な刀剣として使われて今に至ることを

この後の「奥出雲たたらと刀剣館」の見学で知る。



ここから、福頼棚田展望台(ふくよりたなだ)へと移動。

澄み切った空気と、秋の日差しを浴びて、ゆっくりと入れ替わる棚田の景色を眺めながら

展望台近くにバスは停まった。

 

この展望台は、多くの人に素晴らしい景観を楽しんでもらいたいという

地元の方々の手作りのものとのこと。

ここに上がるまでには、結構な坂道&山道を歩かなくてはいけない。

わずかな距離ではあるが、学生が貸してくれた杖と植わっている木々を頼りに

やっとの思いで展望台にたどり着いたという感じ。

この時点で、私の大腿筋は痛みを発していた。

 

展望台から見えたこの景色

昭和47年に廃止された 鉄穴流しで使っていた水路を活用して作られた棚田が

そこに広がっており、点在している小山は「鉄穴残丘」といい

鎮守の森や墓所を残しているところ。

鉄穴流しで使われなったところを、先人たちの知恵で棚田として活用した。

使わなければ、ただの荒れ地と化していたのを、生かす方向に持っていき、

ブランド米「仁田米」として生産している。

ちなみにこの奥出雲産こしひかり「仁田米」5キロで@4620(アマゾン)

ランチタイムで新米おにぎりを食べてみたが、とても美味しかった。

 

ここで 参加者全員で記念撮影をし、「横田小蕎割子」ランチタイムへと

旅はつづく。

 

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