秋風が感じられる日、ウェビナー講座を受けて少しお城の学習をした私。
平城:広島城の築城の歴史や、石垣の今を見に行きたいと思い
急きょのお出かけ。
身分証明書を見せてシニア料金で入城。
広島城のお堀の周りは、サッカー競技場の建設で、重機や資材が置かれて
ちょっと残念な感じではあったが、
今日は正門:表御門から入ってみた。
築城時に運ばれた石は、通常近場から運んでくる地産地消との事だから
毛利輝元が普請奉行に命じたときの毛利家の統治地域は
今の広島県・山口県・鳥取県・島根県・岡山県の一部なので
基本花崗岩だと思われる。
すみかどを除いたところは、乱雑に積み上げているので、乱積み。
この乱積みは、排水機能にたけているが、見た目が悪い。
石の切り出し技術にもよるが、岩に近い石を使っている。
この辺の石積は、大きさは大小まじっているが、表面は比較的平らかに加工されていて
綺麗。だいぶ技術の向上が感じられる。
御門橋を渡りきったところにある表御門の両サイドに、狭間(さま)が切られ、
門の上にも小部屋があり、ここから敵を襲撃したと思われる。
門の扉の厚さは、さほどでもない気がする。
見事な柱。どれほど大きな木を伐りだして加工したのかな と思いが膨らむ。
後からはめ込んだような石が目についた。あとからはめ込むなんて、とても無理だが
この形状をここに置いたわけが知りたい。
二の丸を取り囲んでいる塀には、三角形や四角形の狭間が、順序良く並び切られている。
鉄砲狭間・矢狭間と、敵を攻撃する武士たちの姿が見えるようだ。
ちなみに、外は水堀だが、このころの主力兵器は弓矢であり、鉄砲を使うにしても
敵に届かないような幅の水堀では役に立たないので、幅は50~60mでつくられている。
本丸に進んでいく途中の石垣。
すみかどには直方体の大きな石を交互にかませて積んでいる。
重さが分散され、強度の精度が上がるこの積み方。
すみかどからは、絶対に崩れることはない。
そういえば、熊本地震の時に崩落した熊本城の櫓の、すみかどだけが残っていた映像を思い出した。
歩いている途中、この石垣の中身を偶然見かけることに。
基本表面は大きな石を置き、中身は小さなぐり石(栗石)をたくさん入れて、
衝撃の吸収をしたり、雨水の通りを良くしたりしている。
これは、第二次世界大戦の時に置かれた、
中国管区司令部の防空作戦跡(ここから原爆投下の第一報が発せられたといわれている)
近くにあった石の階段。
城内部は写真を撮ることが禁止されている。
やっとの思いで五階の展望階に上がり、回廊を一周して、城下町広島を見下ろしてみた。
上ることも大変だったが、下ることも大変な年齢になった と深く自覚した一日。
護国神社近くにあった売店に立ち寄り、レジのお姉さんに、
「これが最後の登城になるかもね。」なんて話をすると、
「まあ、そういわず、また来てください。」
と激励された。
石垣の話は、ズーム講座の受け売りだが、
やはり現物に接することは大事で、
ひとの偉大さを肌身に感じることが出来たいい日となった。