移動中の新幹線の中から更新します。
相変わらずの落ち着きのない生活の中、月末に差し掛かると独り言を呟きたくなるという妙な癖が自分にはあるようです(笑)
最近はというと、すごく色々な出来事があって呟きたいことが山のようにあるのですが。
とても全部は書き切れないので諦めます。
代わりに、少し前に見た三日月の画像を載せてみようかなと。
ただいま天体観測ドハマり中ということで、美しいクレセントムーンをお届けいたします!笑
今月は、ひとまず確定申告が無事に終わってホッとしたのも束の間で。
節税のためにこれまで個人で手掛けていた事業の一部を法人化してしまったので、今はその決算準備を粛々と進めているところです。
一人親方な感じで好きなことを好き勝手にやっている自分は、周りの目にはどう見ても遊んでいるようにしか見えないでしょうが(笑)
こうしてお金周りの数字を見ていると色々と思うことがあるんですよね。
業績の伸びと共に自分の収入が増えていくにつれて、ふとした場面で孤独を感じる瞬間があります。
気付けばいつの間にか、自然と自分の周りには自分と似たような年収や価値観の人ばかりが集まっていて。
自分はこれまでと何も変わっていないつもりでいても、環境の変化は人を変えてしまうんですね。
昔からの知人や友人と一緒にいるととても楽しいのに、時折なぜか彼らが遠く感じて無性に寂しい気持ちになるんです。
ちょっとした会話の中でも、物の考え方や価値観にズレを感じてしまうというか。
昔はそんなことを感じたことはなかったのにな…。
”これを言ったら嫌味に聞こえるかな?”とか一々考えてしまって、極力自分の話はしないようにしたりして。
いつしか当たり障りのないような発言ばかりをするようになって、相手に話を合わせてばかりいる自分に気付きました。
腹を割って話ができないって、これはもう友達と呼べるような関係じゃないですよね…。
この感覚は一体何なんだろうか、自分はどうしてこんなふうになってしまったのだろうかと真剣に悩んだ時期もありました。
彼らは昔と何も変わらないのに、俺自身の価値観が少しずつズレていっていることを実感して。
喪失感のような、孤独感のような、何とも言えない悲しさを感じます。
最近、経営というのは孤独に耐えられない人間には不向きな仕事なのかもしれないと感じ始めました。
そこから、俺は何のために独立したんだっけ?と初心にかえるのが毎回の自分の思考パターンです。
多くの経営の目的の根本は、恐らく問題解決。
世の中に存在する何らかの問題や課題に対して、解決のために社会的に貢献することで成り立つものです。
それが個々の経営の理念となって、世界中のあちこちで日々どんどん新たな事業が生まれているのですが。
自分が普段ビジネスの場で掲げている尤もらしい経営理念は、組織軸ではなく自分軸で考えれば完全に建前です。
仮に、自分の本音や大事なものを犠牲にしてまで社会貢献だ何だとそんな理由で経営を続けたいかというと、答えは”No”。
自分が独立した理由は、単純に自分のやりたいことをやって、それで自分が幸せになりたかったから…です。
じゃあ自分の考えるその幸せって何だ?というと、それは必要な時に必要なものを手に入れられることだと思っています。
物やお金もそうですが、それ以外に”時間”という貴重な資源。
家族や大切な誰かが自分を必要としている時、時間を手に入れることができなければ満足に寄り添うこともできません。
大事な友達が本気で困っている時に、少しの話も聞いてあげられないほど仕事に掛かり切りな自分の姿は理想的かどうか。
どれだけ仕事が上手く行っていようが、自分が思う幸せが実現できなければ、きっと俺は仕事をする意味が分からなくなると思います。
自分の思い描いていることを実現したい、でも自分の大切なものは犠牲にしたくない。
そんな我儘を実現するために自分は今の仕事のスタイルを貫いているんだよな、と。
初心にかえるといつも改めて気付かされます。
どの世界にも上には上がいるので、ナンバーワンになろうとしたら競争は大変です。
そんな中でトップの地位を勝ち取ることができたとしたら、それは物凄いことです。
でも、ナンバーワンが必ずしも幸せかというと、自分はそうは思いません。
法人を大きく成長させていく一方で、それに反比例するように自分が思う幸せの本質から遠ざかっていってしまったとしたら。
仮に輝かしい社会的地位や名誉を手に入れることができたとしても、それで幸せと言えるでしょうか…。
自分が行動を起こす理由や目的を一つ一つ掘り下げていくと、自分が本当に求めているものが見えてくるような気がします。
そうして動いてきた結果、それなりに自分の理想とする場所に立てていて、今が幸せだとも感じます。
それでも、やっぱり仕事と孤独は表裏一体だと感じてしまう現実。
環境の変化に伴う周りとのギャップは、悲しいけれども受け入れて順応していくべきことなのでしょう。
それはある意味、諸行無常の世の中で生きている者の試練なのかもしれません。
悲しいだの孤独だのと言いながらも足を止めたくないのは、そこに自分が望む幸せもあるからなんですよね。
自分は何とも我儘な人間だと思いながら。
何だかんだ幸せな今です。
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