ご無沙汰しております。
更新をだいぶ滞ってしまいましたが、管理人は生存しております。
その後も悲しい出来事が続いて壊滅的な精神状態に見舞われていたためにブログを放置しておりました。。
時が経つのが早いのか遅いのか、いまいちよく分からないですが。
昨日で震災の日からちょうど5ヶ月が経ちました。
毎月11日というと何となく一つの節目のような気がして、いろいろな思いが駆け巡ります。
一ヶ月振りになってしまいますが、今日はブログを更新してみようと思いました。
自分に圧し掛かっている悲しみを昇華する意味で、最近の出来事の一部や今の思いをこの場に書き綴ってみます。
また重い独り言になりますが、どうかご容赦下さい…。
先月半ばのこと。
学生の頃から兄貴のように慕っていた大切な仲間が亡くなりました。
上京していた彼は3年程前から「悪性リンパ腫」という大病を患っていて、長い間ずっと入退院を繰り返していました。
俺は東京に行く度に彼の元に見舞いに行っていて、一番最近では先々月末にハワイから帰国した後に会いに行ったばかり。
病の深刻さを物語るような姿ではあったけど、彼は元気だったよ。
俺をからかって笑ったり、昔の話で盛り上がったり。
それからひと月と経たずにこんなことになるなんて思ってもなかった。
彼が味わった闘病生活の苦しさは、決して俺なんかが簡単に想像出来るほど軽いものではなかったと思う。
治療の内容や闘病中の彼の姿を見れば、病との壮絶な戦いを繰り返して来たことが窺えた。
それでも、少なくとも俺は…彼自身が辛いと呟く姿も弱音を吐く姿も一度も見たことがない。
昔から変わらず、いつでも、どんな時でも、俺の尊敬する強い兄貴だ。
本当に強い人だったから、病気だってきっとって信じてた。
それなのに…5月に誕生日を迎えて約二ヶ月。
彼は26歳という若さでこの世を去った。
先々月末に見たばかりのあの笑顔が嘘のように、永遠の別れがやって来た。
その日、いつもの眠れない真夜中に、彼の容態が急変したという連絡を受けて他の仲間達と共に急いで東京へと向かった俺。
無我夢中で祈って、無我夢中で疾走した真夜中のハイウェイ。
どうにかして生きて欲しかった。救って欲しかった。
しかし、その祈りも空しく。
俺達が彼の元に辿り着く前に、彼は息を引き取った。
仲間の最期を看取ることも出来ずに悲しみに暮れる俺達を乗せて、夜明けの首都高を駆け抜ける一台の車両。
彼の顔を見るより先に、朝日が顔を覗かせた。
朝日が昇り切る頃、白布の下で彼は眠るように安らかに目を閉じていた。
ぶつけたい気持ちは山のようにあったけど、"よく頑張った"って。
自分の口から真っ先に出たのがその言葉だった。
激しく襲い掛かる痛みや苦しみの中、最期の最期まで生きようと精一杯戦った人に、それ以外に掛ける言葉があっただろうか。
受け入れ難い現実に頭の中が真っ白になっても、涙が滝のように溢れ出て来ても、彼に対する尊敬の気持ちは何よりも強く自分の中にある。
時々は弱音の一つくらい吐いてくれても良かったのに。
彼の強さと優しさを自分も見習いたい。
告別式では俺が友人代表で弔辞を述べた。
悲しみに押し潰されそうになりながらも言葉の一つ一つに心を込めて読んだ。
正直、この場に参列していることも、この場に立っていることも、自分の中では納得の行かない本当に受け入れ難い現実だった。
度重なる大切な人の不幸に、怒りに似たやり場のない感情が湧き起こった。
生きている者にはいつか必ず死が訪れること。
生きている限り、死によって大切な人と離れなければならない日が必ず訪れること。
そんなのは分かり切ってることだ。
でも、なんで今なんだよ…。
大切な人が次々と自分の側から離れていく。
これは何の試練だろうか。
マイクを前に、言葉を発する度に声が詰まって、次の言葉が出るまでに一々間が空いた。
止め処なく溢れる感情に溺れそうになりながらも、遺族の方々や他の参列者の方々も聞いている弔辞なので。
声は詰まっても解き放ちたい感情をグッと堪えて、何とか最後までゆっくりと冷静に読むように全力を注いだ。
読み進めるごとに、多くの人の悲痛な心の叫びが雑音のように式場内を飛び交う。
葬儀という重苦しい雰囲気に包まれて、あの日の記憶が再び俺を苦しめた。
不意の事故のように突然の悲劇ではないにしろ、彼が逝くにはあまりにも早すぎる。
このような場への参列はもう二度と御免だと心の底から思った。
とても大切な人との別れがこんなにも立て続けにやって来て、一体何の意味があって今の状況を課せられているのか。
拷問としか思えない。
衰退していく俺を誰かが遠くから眺めて嘲笑っているのだろうか。
何かのせいにしないと気が済まなくて、気付けばこの巡り合わせを恨むことに走っている。
幸せな明日は負の感情からは決して生まれないと分かっていながら、前向きになれないまま、また明日がやって来る。
こんなふうに辛い今、一番近くで寄り添っていたい人までもが声も届かないような遥か遠くに消えてしまったという現実。
自宅にいれば、帰って来るはずがないと分かっていながら今も尚、定時になると彼女の帰りを待ってる自分がいる。
来客も、電話も、メールも、来るはずのない彼女を期待して待ってしまう。
部屋中どこにいても愛しい思い出ばかりで、一度悲しみ出すと自分を落ち着かせるのにも一苦労。
彼女を返して欲しいと、また本気で願ってしまった。
幽霊でもいいから会いたい。声が聞きたい。
また堂々巡りだ。
どうやってこれから生きていこうか、こうして身体は生きていても、生きている悦びを心で感じられない。
毎日ただただ辛いだけでちっとも楽しくない。
今月に入って徐々に落ち着きを取り戻してはきたけれども、ちょっと前までは彼女に会いに行きたくなる衝動に更に拍車が掛かってとても苦労してました。
何を仕出かすか分からない無意識の自分の危うい行動が恐ろしくて、四六時中ずっと自分自身と格闘する日々。
どんな残虐な方法でもいい…誰かにこの命を奪って欲しいとさえ思った。
日課のように彼女の眠っているお墓に通い詰めて。
辛くてどうしようもない日は、一日に何度も足を運んで墓石の前でひとり語り掛けては、長い時間そこから離れられないでいる。
駄々を捏ねる子供のように、無い物ねだりで生きる毎日だ。
昨日は自分にとって思い出の地である南相馬で打ち上げ花火を見て来た。
花火が打ち上がると、彼女や兄貴と過ごした日々が次から次に思い出されて、涙が止まらなかった。
追悼や鎮魂の意味を持って夜空に咲き乱れる大輪の花。
俺は純粋に冥福を祈るだけでは足りず、無理な祈りや願いを繰り返した。
こんな俺を、彼女も、彼女のお母さんも、兄貴も、きっと好ましくは思っていないはず。
でも…大切な人に先立たれるって本当に辛い。
全然知らない人の死だって悲しい気持ちになるのに、自分が大切に思う人の死はそれこそ計り知れない程の大きな悲しみを運んで来る。
それが短期間に二人も三人も…とてもじゃないけど受け止め切れない。
今は体調もあまり思わしくなく、病院から処方される薬の数も増える一方で、時々カウンセリングも受けたりする。
人の優しさも受け入れることが出来ず、跳ね返すばかり。
どうにもならない状況です…。
いつも暗い話ばかりになってしまいますが、現状はこんな所であります。
それはそうと、お盆明け頃にU.S.Aに行く予定を立ててます。
だからというわけではないけれども、現段階で自分がどの程度の英語レベルなのかを把握する意味で、先月の終わりにTOEICとTOEFL iBTの試験を受けて来ました。
日程もそれぞれ一日違いの開催だったので、二日連続で試験というのは結構しんどかったですが何とか頑張りました!笑
今は時間もあって海外に行ける機会も多くなったので、もっと英語を極めたら更に楽しい旅が出来るだろうなと思って。
普段から気が向いた時にはよく英語の本をパラパラと捲ったりしてます。
最近ずっと不眠が酷くて夜もどうせ眠れないので、睡眠導入剤として部屋を暗くして洋画や海外ドラマを見たり、しっとりとした洋楽を聴きながら夜な夜なスマホの英語のアプリで遊んだりしてます(笑)
憧れの海外の地を想像しながらその土地の言語に触れるというのは、夢があってなかなか楽しいものです!
毎日辛いばかりで楽しいことなど何もないと思ってしまう自分に、ほんの少しだけ希望を与えてくれるものでもあったりして。
ちょっとした心のサプリメントになってる気がします…。
僅かな楽しみが今まで以上に幸せに感じられる今日この頃です。
更新をだいぶ滞ってしまいましたが、管理人は生存しております。
その後も悲しい出来事が続いて壊滅的な精神状態に見舞われていたためにブログを放置しておりました。。
時が経つのが早いのか遅いのか、いまいちよく分からないですが。
昨日で震災の日からちょうど5ヶ月が経ちました。
毎月11日というと何となく一つの節目のような気がして、いろいろな思いが駆け巡ります。
一ヶ月振りになってしまいますが、今日はブログを更新してみようと思いました。
自分に圧し掛かっている悲しみを昇華する意味で、最近の出来事の一部や今の思いをこの場に書き綴ってみます。
また重い独り言になりますが、どうかご容赦下さい…。
先月半ばのこと。
学生の頃から兄貴のように慕っていた大切な仲間が亡くなりました。
上京していた彼は3年程前から「悪性リンパ腫」という大病を患っていて、長い間ずっと入退院を繰り返していました。
俺は東京に行く度に彼の元に見舞いに行っていて、一番最近では先々月末にハワイから帰国した後に会いに行ったばかり。
病の深刻さを物語るような姿ではあったけど、彼は元気だったよ。
俺をからかって笑ったり、昔の話で盛り上がったり。
それからひと月と経たずにこんなことになるなんて思ってもなかった。
彼が味わった闘病生活の苦しさは、決して俺なんかが簡単に想像出来るほど軽いものではなかったと思う。
治療の内容や闘病中の彼の姿を見れば、病との壮絶な戦いを繰り返して来たことが窺えた。
それでも、少なくとも俺は…彼自身が辛いと呟く姿も弱音を吐く姿も一度も見たことがない。
昔から変わらず、いつでも、どんな時でも、俺の尊敬する強い兄貴だ。
本当に強い人だったから、病気だってきっとって信じてた。
それなのに…5月に誕生日を迎えて約二ヶ月。
彼は26歳という若さでこの世を去った。
先々月末に見たばかりのあの笑顔が嘘のように、永遠の別れがやって来た。
その日、いつもの眠れない真夜中に、彼の容態が急変したという連絡を受けて他の仲間達と共に急いで東京へと向かった俺。
無我夢中で祈って、無我夢中で疾走した真夜中のハイウェイ。
どうにかして生きて欲しかった。救って欲しかった。
しかし、その祈りも空しく。
俺達が彼の元に辿り着く前に、彼は息を引き取った。
仲間の最期を看取ることも出来ずに悲しみに暮れる俺達を乗せて、夜明けの首都高を駆け抜ける一台の車両。
彼の顔を見るより先に、朝日が顔を覗かせた。
朝日が昇り切る頃、白布の下で彼は眠るように安らかに目を閉じていた。
ぶつけたい気持ちは山のようにあったけど、"よく頑張った"って。
自分の口から真っ先に出たのがその言葉だった。
激しく襲い掛かる痛みや苦しみの中、最期の最期まで生きようと精一杯戦った人に、それ以外に掛ける言葉があっただろうか。
受け入れ難い現実に頭の中が真っ白になっても、涙が滝のように溢れ出て来ても、彼に対する尊敬の気持ちは何よりも強く自分の中にある。
時々は弱音の一つくらい吐いてくれても良かったのに。
彼の強さと優しさを自分も見習いたい。
告別式では俺が友人代表で弔辞を述べた。
悲しみに押し潰されそうになりながらも言葉の一つ一つに心を込めて読んだ。
正直、この場に参列していることも、この場に立っていることも、自分の中では納得の行かない本当に受け入れ難い現実だった。
度重なる大切な人の不幸に、怒りに似たやり場のない感情が湧き起こった。
生きている者にはいつか必ず死が訪れること。
生きている限り、死によって大切な人と離れなければならない日が必ず訪れること。
そんなのは分かり切ってることだ。
でも、なんで今なんだよ…。
大切な人が次々と自分の側から離れていく。
これは何の試練だろうか。
マイクを前に、言葉を発する度に声が詰まって、次の言葉が出るまでに一々間が空いた。
止め処なく溢れる感情に溺れそうになりながらも、遺族の方々や他の参列者の方々も聞いている弔辞なので。
声は詰まっても解き放ちたい感情をグッと堪えて、何とか最後までゆっくりと冷静に読むように全力を注いだ。
読み進めるごとに、多くの人の悲痛な心の叫びが雑音のように式場内を飛び交う。
葬儀という重苦しい雰囲気に包まれて、あの日の記憶が再び俺を苦しめた。
不意の事故のように突然の悲劇ではないにしろ、彼が逝くにはあまりにも早すぎる。
このような場への参列はもう二度と御免だと心の底から思った。
とても大切な人との別れがこんなにも立て続けにやって来て、一体何の意味があって今の状況を課せられているのか。
拷問としか思えない。
衰退していく俺を誰かが遠くから眺めて嘲笑っているのだろうか。
何かのせいにしないと気が済まなくて、気付けばこの巡り合わせを恨むことに走っている。
幸せな明日は負の感情からは決して生まれないと分かっていながら、前向きになれないまま、また明日がやって来る。
こんなふうに辛い今、一番近くで寄り添っていたい人までもが声も届かないような遥か遠くに消えてしまったという現実。
自宅にいれば、帰って来るはずがないと分かっていながら今も尚、定時になると彼女の帰りを待ってる自分がいる。
来客も、電話も、メールも、来るはずのない彼女を期待して待ってしまう。
部屋中どこにいても愛しい思い出ばかりで、一度悲しみ出すと自分を落ち着かせるのにも一苦労。
彼女を返して欲しいと、また本気で願ってしまった。
幽霊でもいいから会いたい。声が聞きたい。
また堂々巡りだ。
どうやってこれから生きていこうか、こうして身体は生きていても、生きている悦びを心で感じられない。
毎日ただただ辛いだけでちっとも楽しくない。
今月に入って徐々に落ち着きを取り戻してはきたけれども、ちょっと前までは彼女に会いに行きたくなる衝動に更に拍車が掛かってとても苦労してました。
何を仕出かすか分からない無意識の自分の危うい行動が恐ろしくて、四六時中ずっと自分自身と格闘する日々。
どんな残虐な方法でもいい…誰かにこの命を奪って欲しいとさえ思った。
日課のように彼女の眠っているお墓に通い詰めて。
辛くてどうしようもない日は、一日に何度も足を運んで墓石の前でひとり語り掛けては、長い時間そこから離れられないでいる。
駄々を捏ねる子供のように、無い物ねだりで生きる毎日だ。
昨日は自分にとって思い出の地である南相馬で打ち上げ花火を見て来た。
花火が打ち上がると、彼女や兄貴と過ごした日々が次から次に思い出されて、涙が止まらなかった。
追悼や鎮魂の意味を持って夜空に咲き乱れる大輪の花。
俺は純粋に冥福を祈るだけでは足りず、無理な祈りや願いを繰り返した。
こんな俺を、彼女も、彼女のお母さんも、兄貴も、きっと好ましくは思っていないはず。
でも…大切な人に先立たれるって本当に辛い。
全然知らない人の死だって悲しい気持ちになるのに、自分が大切に思う人の死はそれこそ計り知れない程の大きな悲しみを運んで来る。
それが短期間に二人も三人も…とてもじゃないけど受け止め切れない。
今は体調もあまり思わしくなく、病院から処方される薬の数も増える一方で、時々カウンセリングも受けたりする。
人の優しさも受け入れることが出来ず、跳ね返すばかり。
どうにもならない状況です…。
いつも暗い話ばかりになってしまいますが、現状はこんな所であります。
それはそうと、お盆明け頃にU.S.Aに行く予定を立ててます。
だからというわけではないけれども、現段階で自分がどの程度の英語レベルなのかを把握する意味で、先月の終わりにTOEICとTOEFL iBTの試験を受けて来ました。
日程もそれぞれ一日違いの開催だったので、二日連続で試験というのは結構しんどかったですが何とか頑張りました!笑
今は時間もあって海外に行ける機会も多くなったので、もっと英語を極めたら更に楽しい旅が出来るだろうなと思って。
普段から気が向いた時にはよく英語の本をパラパラと捲ったりしてます。
最近ずっと不眠が酷くて夜もどうせ眠れないので、睡眠導入剤として部屋を暗くして洋画や海外ドラマを見たり、しっとりとした洋楽を聴きながら夜な夜なスマホの英語のアプリで遊んだりしてます(笑)
憧れの海外の地を想像しながらその土地の言語に触れるというのは、夢があってなかなか楽しいものです!
毎日辛いばかりで楽しいことなど何もないと思ってしまう自分に、ほんの少しだけ希望を与えてくれるものでもあったりして。
ちょっとした心のサプリメントになってる気がします…。
僅かな楽しみが今まで以上に幸せに感じられる今日この頃です。
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