ちむあ~すん

 感じたことなどをつれづれと。。
(たま~に気が向いたら書きます)

祈りと進化

2011-02-28 | nature

アイヌモシリで初めて「ふきのとう」を見つけた時、

その、あまりにやわらかな薄黄緑色に息を呑んだ記憶があります。

   

 

私がちいさい頃から見慣れていたふきのとうは、もっと力強い黄緑色。

   

 

写真では違いがわかりづらいですが・・・。

 

沖縄で見つけたツユクサの花の色も印象的でした。

   

沖縄の、とっても淡い瑠璃色のツユクサ。 ↑ 

肉厚で、力強ささえ感じました。

 

こちら ↓ はこの辺り(東海地方)で見られるツユクサ。

とても薄くて繊細な花びらです。

   

どうして、このような違いが見られるのでしょうか・・・。

 

「想いは現実を引き寄せる」ということ。

 

動植物をよくよく観察すると、なるほど。。と感じさせられます。

生物の進化というのは、つまりは「こうなりたい・・」と願ったことが現実化した結果なのだと思います。

「大空を飛びたい」と願い、翼を得た鳥、

「敵の目からうまく逃れたい」と身体の色を変える術を得たカエルやカメレオン、

「もっと遠くまで子孫を増やしたい」と願い、種子にプロペラを付けたり、(松やモミジなど)

アリに運んでもらうため、種子に甘い突起(エライオソーム)をつけたり、(スミレやカタクリ)

・・・。

ちいさな昆虫、ちいさな草花でも、とても巧みな知恵を持ち合わせています。

 

これらは彼らが「意思」を持ち、長い長い時間をかけて祈り続け、

その想いを現実化させた結果(証明)なのだと思います。

 

その真実を人間に向けた時、祈ることの大切さを想います。

ジョン・レノンの「イマジン」の世界を、多くの人々がこころから願えば、

現実化されるのでは・・・と感じます。

 

瞑想して、こころを空にすることも大事かもしれない。

でも、祈ること、想像することは、

きっと、もっともっと大事なことですよね。。

 

写真のふきのとうやツユクサたち・・・、

どのような想いの違いが、このような差を産み出したのでしょうか。。。

 

 

     

 

 


樹の時間

2011-01-11 | nature


 私の大好きな場所(その1)


三重県と奈良県境にある「三峰山」です。

冬になると、頂上付近ではこんな美しい霧氷が見られます。

   

遠目で眺めると、白っぽい桜の花が咲いているようにも見えて。。。

   

頂上より奈良県側に少し下った所に山小屋があり、その傍らに大きな大きなブナの樹があります。

   
   
この樹が大好きなんです♪

三峰山は、私が生まれ育った土地を流れる川の源流域なので、

この大きなブナの樹を、親しみをこめて「ゲン(源)さん」と呼ばせてもらっています。

もう、何年も会いに行けていませんが、きっと今日もあの彼方の山で、

静かに生きてくれていることと思います。(写真はずいぶんと昔のものです。)



ゲンさんの感じている時間って、とってもゆったりとたおやかに流れているんだろうな。。。


朝、東の空が白みはじめ、光はどんどん明るさを増し、ゆっくりゆっくりと時間をかけて大空を渡り、

西の空を茜色に染め、やがて光から闇へと入れ替わってゆく。。。


そんな「光」につつまれる時間が「呼吸」の「呼」で、

「闇」につつまれる時間が「呼吸」の「吸」で・・・


ゲンさんにとっては、そんなふうに1日かけて「ひと呼吸」するくらいの、ゆったりと穏やかな時間の流れ方なのかなぁ。。。



自らの手で「時計」を作ってしまったがために「時間」に追われてあくせく生きている人間。

そんな人間の日常の時間とは別に、「今この瞬間」もそんな樹々たちの静かな時間が同時に流れている。

時にはそんなことに思いを巡らせて、大きく深呼吸してみようと思います。


 

           ゲンさんの上で。
  



喜びと美しさと感動

2010-11-25 | nature
こころに響いたアメリカ先住民の言葉。

イーハトーブ心身統合研究所HPより)


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わしらはやがて大地に戻る。

そこに何を持っていく必要があるのかね。

この世界で生きて来た喜びと、

次の時代を生きる子どもたちに、

わしらが母なる大地から教えられた美しさと感動を残してあげられれば

それで十分だ。




  

先月末、庭に飛来してくれた「旅をする蝶」。
「アサギマダラ」の「アサギ」とは「浅葱色」のことだそうです。
淡い淡いブルーの羽の向こうに、
フジバカマの花が透けて見えていました。
その繊細な美しさに、時を忘れて見惚れてしまいました。

じっと眺めていたその時、対峙しているふたつの存在が「ニンゲン対チョウ」ではなく、
同じ時空を共有している「ひとつのいのちとひとつのいのち」、そのふたつのいのちの間には
境界がない・・・そんな感覚でした。