昨日の続きです。
一之江名主屋敷を後にして、一之江新田の開拓者で代々名主をつとめてきた
田島家の菩提寺、城立寺(じょうりゅうじ)へ。
城立寺には一之江新田の開拓者である田島図書の墓(区登録史跡)と
石造釈迦如来坐像(区登録有形文化財)があります。
〇石造釈迦如来坐像(江戸川区登録有形文化財・彫刻)
田島八郎兵衛尉重信によって寛永3年(1663)に寄進されました。台座を含めて高さが3メートル余りある一石(いっせき)丸彫りの石仏です。台座の銘文によると、八郎兵衛尉重信が祖先の菩提と衆生利益のために建立・寄進したとされています。
大正12年(1923)の関東大震災、平成23年(2011)の東日本大震災で首が折れ、修復されました。
・・・台座を含めて高さが3メートル余りの一石丸彫りとはすごいですね。
〇田島図書の墓(江戸川区登録史跡)
田島図書はもと豊臣家の家臣で堀田姓を名のっていましたが、関ケ原合戦に参戦後、敗れて関東に下り西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓し、田島姓を名のって一之江新田の開拓を進めました。寛永5年(1628)に城立寺の開基となり、寛永20年(1663)12月25日に没しました。
図書の墓は墓地中央、釈迦如来坐像の後方にあり、「妙法正善院日慶」の法名が刻まれています。
〇城立寺(じょうりゅうじ)
住所:江戸川区春江町2丁目39番28号
日蓮宗で本高山と号し、千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺です。開山は元和2年(1616)で、日念が本土寺の日舜上人から本高山城立寺の名を授けられたものといわれています。寛永5年(1628)に一之江新田の開拓者である田島図書(ずしょ)が開基となりました。
境内を入って右側の田島家墓所(平成26年整備)には田島図書の墓(区登録史跡)と石造釈迦如来坐像(区登録有形文化財)があります。
〇この日撮った写真⇒20160304_一之江名主屋敷&城立寺&天祖神社
※参照引用:江戸川区>文化財・史跡史跡>一之江名主屋敷周辺の文化財紹介>城立寺(じょうりゅうじ)より、ブログ本文の青字部分引用
〇関連ブログ:椿の里を訪ねて~弥生・明治・昭和・平成、4つ時代を重ねてみた!2012-12-06
・・・4年前のブログですが、このあたりの地歴を地図からさぐったものです。