江戸時代は今より寒かったらしい。
小氷期と呼ばれる、元和・寛永と、元禄・宝永と寛政・天保の3つ
の時代は相当気温が低かったとのこと。このデータは屋久杉の年輪
から割り出したそうだ。
この三回の小氷期に飢饉の多くはおこっている。
江戸時代はよく雪が降った。1773,1774,1781,1812年に墨田川が凍った
という記録がある。
しかしながら、冬の寒さより、夏の天候不順が米の不作をまねき、飢饉を
まねくことになったという。
(参考引用:一目でわかる江戸時代 竹内誠、市川寛明著、(株)小学館発行)
ご存じの方も多いかと思いますが、新綾瀬川とまじわるあたりから荒川は
名前を変え、大川と呼ばれていました。荒川放水路が出来る前は隅田川が
荒川の川筋だったということです。
いずれにせよ・・・凍るとは相当寒かったのですね。
小氷期と呼ばれる、元和・寛永と、元禄・宝永と寛政・天保の3つ
の時代は相当気温が低かったとのこと。このデータは屋久杉の年輪
から割り出したそうだ。
この三回の小氷期に飢饉の多くはおこっている。
江戸時代はよく雪が降った。1773,1774,1781,1812年に墨田川が凍った
という記録がある。
しかしながら、冬の寒さより、夏の天候不順が米の不作をまねき、飢饉を
まねくことになったという。
(参考引用:一目でわかる江戸時代 竹内誠、市川寛明著、(株)小学館発行)
ご存じの方も多いかと思いますが、新綾瀬川とまじわるあたりから荒川は
名前を変え、大川と呼ばれていました。荒川放水路が出来る前は隅田川が
荒川の川筋だったということです。
いずれにせよ・・・凍るとは相当寒かったのですね。