今朝は新年らしい美しい朝を迎えました。今年もよろしくお願い致します。やっとブログを書く時間がとれました。
2021年の総括をと思っていましたが、昨日のことから今、私が感じていることを書いていくのが一番良いような気がしました。
私は昨日、あるお宅へ伺いました。いつも美味しいお野菜をたくさん下さる方です。
おじさんは92歳ですが、とてもお元気で、ずっと畑に出ておられた方です。
しかし、しばらく前から入退院を繰り返され、多臓器不全と聞いていたので、年齢からして回復できるだろうか、と思っていました。
先日、おばさんの姪の方とスーパーで偶然会い、おじさんの様子を訊くと退院して元気にしている、とのこと。
早速会いに行こう、と思い昨日、行ってきました。
病気は抱えていてもお元気で、いつもの笑顔に会えました。
そして奥さんが、私が行ったことで、「お父さん、いいお正月が迎えられるね、良かったね」と言ってくださいました。
私は、自分のことをそんなふうに思って下さることが、とても嬉しくて、心が温かくなりました。
おじさんのことは、ずっと気になっていたのですが、日常に埋もれていました。
それが、姪の方とスーパーで会って、おじさんに会いに行けて、偶然ではないと思いました。
いつからか、すべてこんな感じで、すべてが完璧に廻っています。
心で思うとすぐに、それが現実になったり、目に見える世界で確認できるようになりました。
先日、その理由は、身口意(しんくうい)を一致させて生きているからだと知りました。
心で思うことと言葉に出すことと行動が一致していることです。
自分で言ったことは必ずやる、とか決めたことは必ずやる、とか、どんな人にも表裏なく接するとか、自分の全てを一致させて生きているということです。
例えば、やるといったことをやらない場合、ウソをついたことになるんですよね。
つまり虚偽の世界を生きることになるわけです。
すると言葉と行動に乖離が生じ、言ったことの世界と行動の世界は別次元になるわけです。
だからこういう人の願いは叶わないんです。自分が生きている次元と願いの叶う次元は別になっているので、体験することができなくなります。
だから、言葉に出す時、心で思う時、本当に気をつけていなくてはなりません。
言ったら絶対やる、決心したら必ず行動する、これを積み重ねていったら、思ったことはほとんどすべて現実になります。
でもこれができるためには、まず胆力(たんりょく)が必要です。
胆力とは、物事を恐れたり気おくれしたりしない気力、度胸のことです。
胆力は丹田から来ていると思います。おへその少し下、昔から「腹をすえる」と言われてきた場所です。
丹田にしっかり力が入るためには腰が立っていなければなりません。
腰を立てると自然に丹田に力が入ります。
背筋が通り、気の流れがよくなります。これが基本の姿勢です。
しかし、私も含め、現代人はこれができていない人がたくさんいます。
原因の一つが、体育座りです。
最近知ったのですが、これは奴隷の座り方だということです。
背中が丸まって、お腹に力が入らず、しかも自分を丸めて抱え込んで、自分を貶めて(おとしめて)います。
支配者にとっては好都合な人間を育成するための手段として、戦後、教育に導入されました。
武道を始め、道と名のつくものは、すべて姿勢から言われます。背筋を伸ばして丹田に力を入れるようにと。
それが古来から日本人の素晴らしい精神を磨いて継承してきました。
私もこの年になって、腰の痛みに悩まされるようになってはじめて姿勢がどんなに大切か身にしみて感じています。
私の場合は、どん底の時、精神は徹底的に鍛えられましたから、少しのことでは動じないようになりました。
どんなこともやればできると知っているので、どんな問題が起きても心が揺れることなく、二つ返事で引き受けます。
その積み重ねで今があります。
苦しい思い、辛い経験はすべて天の采配であり、自分のために起こります。
天が愛しているからこそ、苦しみを起こし、その人を根本から生まれ変わらせ、カルマを浄化し、幸せへと導いていきます。
より良く生きる、というのはすべての人へ課された生き方です。
それをしなくても生きることはできますが、それは宇宙の願いに沿っていないので、幸せからは離れていく人生となります。
幸せに生きるためには胆力は絶対必要です。
今年は胆力を意識して、腰を立て、丹田に重きを置く生き方を意識してみてください。
姿勢が変わるだけでも、人生が変わると思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます