昨日、YouTube を見ていたら、斎藤一人さんの動画が上がってきていました。
「ここへ辿り着いた選ばれた特別な人、超重大な話」というタイトルです。
お清めの塩の形を三角形にする理由を話されておられました。
ピラミッドも瞑想の時の形も、考えてみたら、三角錐ですよね。
神聖幾何学のベクトル平衡体とか、テトラヒドロンなども、三角形を積み重ねた形です。
初めての瞑想は原初音瞑想でしたが、「楽な姿勢で座り」という先生の言葉から、いつも、ソファに楽に座ってやっていました。
とてもリラックスするし、眠ければ眠ってしまいます。眠ってしまうのは、その時、それを身体が一番要求していることなのでそれで良いということでした。
潜在意識まで休まるし、運(タイミング)は良くなるし、精神は安定し、いつも穏やかで、瞑想はいいことばかりです。
クリヤーヨーガの先生が教えてくださったのは、ヨガマットを3分の1くらい丸めて、そこに腰を下ろし、脚を組んで、手のひらを上に向けて、という形でした。
脚への負担が軽減されます。
そのいわゆる瞑想の形をきちんと取って瞑想すると、やはり神聖な感じがしました。
その理由は三角錐になった自分の身体のてっぺんから、神聖なエネルギーが流れ込んでくるからではないかと思います。
しかもこの形は結界を張っているので、邪(よこしま)なものを排除する効果もあるのかもしれません。
瞑想することで、潜在意識が活性化する分、見えない世界との境界が薄くなるので、心が清らかでないと、向こうの世界から憑依されやすくなるのかもしれません。
私は霊能力など全くないので、想像だけですが、わかっておられる方は、目に見えない世界を操ることはとても危険なことだとおっしゃいます。
自分がコントロールしているつもりでも、必ずコントロールされることになるそうです。
そういった意味でも、瞑想を願望成就に使うのは、願いも叶いやすいかも知れないけれど、憑依もされやすいので、やめておいた方がいいかもしれません。
その世界の方たちが、願いを叶えてくれる、ということは、必ず、見返りを要求されるということです。
願いは叶ったけれど、大切な人を亡くすとか。宝くじが当たった人が大災難に見舞われる、なんて話も聞いたことがあります。
だから、瞑想はとても素晴らしいものであるだけに、神聖な気持ちで真摯に純粋に行うことが大切だと感じています。
斎藤一人さんの動画のリンクも貼っておくので良かったらご覧になってください。
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