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共通の目標に向かって歩みましょう
小池二郎神父著『吉報』巻頭言集 より
皆様、始めまして。よろしくお願い申し上げます。最近は活字が氾濫しています。それで人に読んでもらう文章を書く人は、面白く書く責任があると思うのですが、わたしの書いたものは、わたしの願いとは裏腹に、中身からも、文章からも、皆様に興味深くお読みいただけるものはほとんどなかったと思います。それでも、ここに書かせていただく文章は長くありませんから、わたしの考えを知っていただくために、御一読いただければ幸いです。
さて、本論ですが、教会とは何でしょうか。社会的に見ると、それは、宗教法人であり、任意団体です。日本カトリック教会では、戦後のある時期から、教区については、16教区が独立した宗教法人になっています。多くの修道会についても、それぞれの修道会が別個の宗教法人になっています。
教会は、宗教的に、あるいは神学的に見ると、神の民、また、キリストの神秘体です。信仰の眼から見ると、決して、出たり入ったりが簡単に許される団体ではありませんが、市民的に見ると、出入りは全く自由です。
このような団体で、メンバーがうまくやって行くのに一番大切なことは、共通の価値観と目的を持つことではないでしょうか。
そこで、わたしは、この場所をお借りして、わたしが考えている共通の価値観と目的について、分かり切ったことかもしれませんが、一言、書かせていただきたいと思います。
少なくとも教会生活に関した、わたしたちの共通の価値観と目的は、カトリックの信仰のそれではないでしょうか。
それではカトリックの信仰とは何でしょうか。これはまたそれほど簡単ではありません。一冊の書物をもってしても、十分に説明しきれるとは限りません。しかし、とりあえずのところでは、「信仰宣言」と信仰の常識(天国も、地獄も、煉獄もあるというようなこと)と教皇様の権威を認めることで十分だと思います。
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16章18節) わたしたちの信仰によると、教会はペトロの信仰の上に、さらに、ペトロという人物の上に教会が建てられ、世の終わりまで「地獄の門もこれに勝てない」(同章18節)
教皇はペトロの後継者であり、信仰と道徳に関して、公に(カテドラ《教皇座》からという用語もあります。) 信じるべきこととして宣言されることには誤りがない(第一バチカン公会議)というのもカトリックの信仰の一部です。
教皇の「カテドラから」の宣言と公会議の宣言は、特別教導職によると言われ、教皇の回勅、使徒的勧告、公の手紙と談話などによる指導は、通常教導職によると言われます。わたしたちは、前者だけではなく、両方を尊重すべきであると思います。
キリスト教の基本的な全体の教えを認めながら、特に、聖体と聖母と教皇を大切にすることがカトリックの精神ではないでしょうか。聖心の信心、これは現代の多くの教皇が推奨された信心ですが、これは、キリスト教そのものとも言えるかも知れません。
日本のキリスト信者発見の美しい逸話をご存知ですか。
長崎大浦に天主堂が建ったのは1865年、慶応一年のことでした。その年の3月17日、当時の潜伏キリシタンの7,8名の婦人が、恐る恐る聖堂に近づき、初対面のプチジャン神父(後の司教)に向かって、「サンタマリアのご像はどこですか、あなたはパパ(教皇)から派遣された方ですか、あなたは独身ですか」と三つのことを訊ね、それらが皆然りだったので、婦人たちは大変に喜びました。
わたしたちの共通の価値観と目的は、カトリックの信仰にあります。そして、より純粋なものを求めることも共通の目的ではないでしょうか。
わたしたちはいろいろな手段を使って、教皇様の声をもっと良く知りたいと思います。
そして、共通の認識に立ってともに歩みましょう。最後に、一つのことを言わせていただくなら、主日と年2回の祝日を大切にしていただけるでしょうか。よろしくお願いいたします。
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