プラハの幼子イエズスの歴史
幼子イエズスへの信心はスペインから始まった信心でした。伝説によると幼子イエズスがある修道士に奇跡的に現れたと伝えられています。そして、その人は幻視の様子に基づき御像を作りました。もう一つの伝説によると、御像はアビラの聖テレサがスペインのマリアという貴婦人により、与えられたともいわれています。
ロブコヴィッツの王女ポリクセニアがボヘミアの貴族と結婚するためにボヘミアに来たとき、彼女は結婚祝いとして母から御像を受け取りました。1628年に勝利の聖母教会のカルメル会修道院が、戦争のため貧困に陥った時、彼女はこの貴重な御像を与え、こう言いました。
「尊敬すべき司祭たちよ、私はあなたたちに私の最も大切な御像を差し上げます。幼子イエズスを崇敬しなさい。そうすれば、あなたたちは決して欠乏に陥ることはないでしょう。」
それからカルメル会の修道士は幼子の御像を小聖堂に置きました。修道士たちはこの特別な信心を2日に一回行い、熱心に幼子イエズスに祈りました。カルメル会修道士の幼子イエズスへの礼拝を知った、ハプスブルクのフェルディナント2世皇帝は、即座に彼らの支持のために、毎月の俸給を送りました。王女の予言どおり、彼らは安定した生活を送ることができたのです。
その時、ヨーロッパは三十年戦争で荒れ狂っていました。そして、サクソンの軍が1631年にプラハを占領したとき、修道士たちは逃れなければならなくなり、御像を携えていくことが出来ませんでした。
カルメル会修道会の修道院はルーテルのスウェーデン人によって略奪され、そして、プラハの幼子の御像は、祭壇の後ろの大量のゴミの中へと投げ込まれました。
シリル神父が御像を発見したのは1637年のプラハへ帰還の後でした。そしてシリル神父はその御像を小聖堂に安置しました。
ある日、シリル神父が御像の前でお祈りをしている時に、一つの声が聞こえました。
「私を憐れみなさい、そうすれば私はあなたを憐れむであろう。私の失った両手を返しなさい。そうすれば私はあなたに平和を与えよう。あなたが私により崇敬を表するほど、私はもっとあなたを祝福するであろう。」
それ以来、折れてしまった両手は、ある愛徳のある信者によって修復され、多くの人々が幼子イエズスのもとに訪れ、たくさんの天の恵みと奇跡的な治癒を受けました。
シリル神父のプラハの幼子イエズスへの奇跡の祈り
幼子イエズスよ、私はあなたに頼り、あなたの御母の取り成しによって、私の必要にあたり、私をお助け下さいますよう、お願いいたします。
私はあなたが私の盾となり、私のことを守ってくださると心から確信し、あなたに信頼します。私は心の中を信頼で満たし、あなたに希望を寄せます。どうか私に恩寵を御与え下さい。
私は私の心を全てあなたに御捧げ致します。したがって私は悔い改めます。
イエズスよ、私を悪魔たちの攻撃から守り、彼らの束縛から解放して下さい。どうか私の悪いところを真っ直ぐに直し、私を強めて下さい。私はもう二度とあなたを怒らせません。
私が辛抱強くあなたのために苦しみを忍耐できますよう、永遠に私のことを守ってください。そして私は私自身と同じく隣人を愛します。
幼子イエズスよ、将来、天の御国でマリアとヨゼフ、そしてあなたの天使たちと共に、あなたを賛美し、崇めることができますよう、どうか私の嘆願を聴いて下さい。アーメン。
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