12月4日 待降節第2主日(Lectio Divina B年)
「良い知らせ」の贈り物
「良い知らせ」の贈り物
福音朗読 マルコによる福音書 1章1~8節
神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、
ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
他の朗読:
第1朗読 イザヤ書 40章1~5、9~11節
第2朗読 ペトロの手紙二 3章8~14節
Lectio …読む
マルコは前置きに時間を費やしません。最初の文章から核心である「イエス・キリスト」に焦点を当てます。マルコは、イエスは神の子であり、福音の語源である「エヴァンゲリオン=良い知らせ」であると大胆に宣言します。
マルコはこの後、これから始まろうとしている物語の場面を描きます。主な登場人物は神とその息子イエス、洗礼者ヨハネとユダヤやイスラエルの人々です。マルコはこの物語の始まりが神の内にあることを思い出させてくれます。何百年も前から、神は旧約時代の預言者を通して、これから起こることを明らかにしてきました。マルコはイザヤの名前だけを挙げていますが、3節がイザヤ40章3節の引用であると同様に、2節はマラキ3章1節からの引用です。
福音記者の視線は、天空から即座に地に足をつけ、ほこりまみれのユダヤの荒野へと移ります。
彼はヨハネと呼ばれる男が「悔い改めの洗礼」を宣べ伝えていることを明かします。ヨハネの宣教は成功を収め、人々は大挙して彼の話を聞くために荒れ野へ押し寄せてきます。多くの人々が彼の呼びかけに応え、ヨルダン川で公に洗礼を受けることで心からの悔い改めを表しました。
これはとても興味を惹く事柄ですが、マルコは最も重要な主題であるイエスに焦点を戻そうとします。このために、ヨハネのメッセージの後半は預言者の言葉の成就へと戻るのです。ヨハネは、自分はただ別の「誰か」のための準備をしているのに過ぎない、ということをはっきり宣言しています。
まだ公の生活を始めていない「誰か」のために。ヨハネよりはるかに優れた「誰か」、より偉大な洗礼をもたらす「誰か」、聖霊によって洗礼を授ける「誰か」のために。
Meditatio …黙想する
イエスが「良い知らせ」である理由を思いつく限り考えてみて下さい。リストを作ってみてはどうでしょうか。この降臨節の間、あなたがクリスマスに関することを見たり聞いたりする度に、これらの理由について思いを深めてみましょう。ヨハネのメッセージの何が、短い間にせよ人々に都会の暮らしを放棄させ、荒れ野で生活を送らせるほど魅力的だったのでしょうか。
Oratio …祈る
イエスがあなたに聖霊を注ぎ、あなたの毎日の生活を導いてくれるように願いましょう。聖霊があなたを助け、イエスのみ側に従っていくことが出来ますように。
Contemplatio …観想する
この日曜日のその他の朗読箇所は、私達が忍耐強くイエスの再臨を待ち望むように招いています。第一朗読のイザヤ書40章1~5、9~11節では、イスラエルの人々の罪は赦される、という神の慰めの言葉が語られます。第二朗読であるⅡペトロ3章8~14節は、私達がイエスの再臨を待ちつつ、希望を持って生きるように勧められています。
(日本聖書協会のホームページを参考にさせていただきました。)
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