お彼岸ですね。
お盆には、タイミングが合わなくて・・・スルーしてしまっていた
実家のお墓参り に、行ってきました。
実家のお墓・・・といっても、
刻まれているのは、父の名前だけです。
(父の死後、母と弟名義で建立)
お墓の団地ですね。
暖かくて、お天気に恵まれて、ラッキー
墓地出張中のお坊さん、読経依頼の声がかかるのを 待っています
父は、58歳で亡くなりました。
私に二人目の子ども(娘)が生まれた、4ヶ月後のことです。
末期の肺がんで、病院を3ヶ所ほど替えて、治療に手を尽くしましたが
診断されてから9ヶ月後に旅立ちました。
ずっと入院していたのですが、
新築したばかりの家に帰りたいという・・・父の希望を受け入れ、
最期の1ヶ月を・・自宅で過ごしました。
その1ヶ月の看護状況は、壮絶というか凄絶というか・・・
母と私のほかに、近所にいる母の妹(叔母)たちの協力を得ながら
24時間体制で、父に関わりつづけました。
父の姉が、内科の病院で看護師長をしており、モルヒネなどの痛み止めは
伯母が投入してくれていました。
当時はまだ、自宅でがん患者を見守る医療システムなど、ありませんでしたから・・。
私は26才でしたが、何の看護知識も技術もありません。
でも伯母に教えてもらいながら・・・割りばしに脱脂綿を巻きつけて、父のノドに詰まった痰を
必死に取り除くワザを やってのけてました(^‐^;
二人の子どもたち・・2才の息子は、日中は実家に居ましたが、
夜は・・仕事から帰ってきた夫が
自宅に連れ帰り、面倒をみてくれました。
生まれて間もない娘は、あっという間に出なくなってしまった母乳の代わりに、
哺乳瓶のミルクを、上手に手を添えてひとりで飲む・・というワザを、習得してくれました(笑)
父のガンは全身に転移しており、最後は脳にまで転移したので
水を飲み込む力も、声を出す力も失われつつありました。
布団の上で、上半身を起こすたびに痙攣が起き、黒目が反転します。
もちろん、胃瘻も点滴もしていないので・・
何とか工夫して、口から流し込む努力を続けるしかありません。
やがて、よくいわれる・・「仲直りの時期」が、訪れました
それまでの苦しみがウソのように緩和され、少しだけ元気になる・・という
不思議なひとときです。
父は、スイカを所望されました~
時は12月。 札幌の大きなデパートまで買いに走りました。
一口大に切ったスイカを、さらにつぶして与えると、「美味しい~♪」とかすれた声で喜びました。
その日、夫が買ってきたお寿司は、少しですが・・なんと、そのまま食べることができました。
その数日後の夜・・・父は、枕元に家族全員を呼び寄せ、
一人ひとりに 最後の言葉を残して・・・・
静かに、逝きました
あれから、30年余り・・・。
私は今年、父の享年を超えました
母は89歳。 弟は57歳。
みんな色々あるけれど、いっしょうけんめい、生きてます。
自宅での看病は、ほんとうに大変でした。
幼い子どもたちにも、可哀想なことがたくさんありました。
でも、多くの人たちに支えていただきながら・・真新しい畳の上で、
父の最期を看取ることができたことは
良かった!と、今も思います。
感謝~!
長々と書いてしまいました。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました
ポチッと応援、よろしくお願いします。
長い間、病で苦しんでいた人が、亡くなる少しまえにフッと楽になる瞬間があるそうです。
父の場合は丸一日ありました。
最後はほんとうに安からな感じだったので、家族も救われましたね^-^
夫にもとても助けられました。
家族全員の協力や支えなしには、とうてい無理だったと思います。
2才の息子は、その後ママの後追いがハンパない状態になりました(^‐^;
亡くなった父にとっては初孫で、とても可愛がってくれていました。
今もずっと見守っていてくれていると実感してます^‐^
皆さんに看取られて今は天国で安らかに眠ってることでしょう。
わたしの母も長い間苦しみ最後は安らかに
今思えば「仲直りの時期」だったんですね。
お坊さんが声かかるのを待ってる、私ちは檀家ですので季ごとの仏前は強制ですよ。
ご家族の団結がなければ、そこまでできなかったかもしれませんね。
まりもさんがお父様の面倒を見るのは娘ですからね、当然なのですが、それを快く実家に送りだしてくれるご主人はやはりすごいと思います。仕事の後、2歳の子どもの面倒を見るのは大変ですものね。2歳というとママ一番のときですからね。
お父様はみんなに見守られながら逝かれたこと、幸せでしたね。
今はきっと皆さんが幸せに暮らしていることを逆に見守られていらっしゃることでしょう。
すりむままさんのお父さまも、お若くして亡くなられたのですね。
意識不明のまま、たった1週間でお亡くなりになられたそうで。。
ご本人もご家族もどんなにか無念で・・悲しい思いをされたことでしょう。
何だか・・辛いことを思い出させてしまって、ごめんなさいね!
うちの父の場合は、本人も家族も、それなりの覚悟や猶予期間がたっぷりあったので。。
幸せ・・だったかもしれませんね~^-^
あの1ヶ月は、ほんとうに無我夢中でした。
父本人がいちばん辛くて、心身の痛みも筆舌に尽くしがたいものだったと思います。
でも最後は、とても穏やかな表情でした^-^
父には告知をしていませんでしたが、悟っていたと思います。
そして父の魂は、肉体から出たり入ったりしていたような~♪
お見舞いに訪れる人々の名前や姿を、次々に言い当ててましたね(笑)
父の死後も、不思議なことはてんこ盛りですが・・
見守ってくれていたことは、いつも実感していました^-^
自宅で見送ることができて、良かったです。
新築の家に帰りたいという願いもかなえられ
最後には一人一人に言葉を残すことができ、満足されたのではないでしょうか。
ご家族の方々も想像を絶する大変さだったとは思いますが、出来るだけのことはしたという思いで温かく見送ってあげられたのではないでしょうか。
ウチの父は42歳の厄年で突然の劇症肝炎、あっという間の意識不明倒れて1週間もたたずに亡くなりました。
人はいずれ死ななければなりません。
お父上は早いは早いけれど、ご家族に見守られて幸せな最期だったのではないかと思います。
壮絶… 想像も出来ないです。
お父さまの痛さ…
家族の方も、本当に辛かったと思います。
でも、新築のお家で一ヶ月過ごされて
良かったですね。
飲み込めることが出来るって幸せですよね。
まりもさん、ご主人さま、お子さんの家族
皆さんが元気に健康でいられること
お父さまが見守って…
くださってるんですね。
あ、お母さまもです。
30年、あっという間ですね (^O^)/