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29日早朝、NHKで吉永小百合が語っていた。映画「北の零年」の有名な台詞があらためて心にしみる。
生きている限り
夢見る力がある限り
いつか何かがきっと
私たちを助けてくれる
だからこの地で生きていこう
2005年1月、阪神淡路大震災から10周年を迎える。
あの日の神戸の町は、ぼくに戦時中の記憶を甦らせた。
第二次世界大戦が始まった年に生まれたぼくにとって、1995年1月17日は第二の誕生日といってもいい。
空襲のときも、震災のときも、命を落としていたとしても不思議ではなかった。
すべて一から、いやマイナスからのやり直しだった。
懸命に生きて64年、震災から10年を迎える。
折りしも新潟中越地震や未曾有のスマトラ島沖地震による大津波が相次いでいる。
そんなとき、吉永さんの語る台詞は、かろうじて生き残ったぼくたちを、いっそう励まし、元気付けてくれる。
ちなみに、原爆の詩の朗読などを続けている吉永さんが「おおげさに語らない」のは、「そのことにあまり関心を持っておられない方にも受け入れらるやすい」からだとか。深く腑に落ちる。
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29日早朝、NHKで吉永小百合が語っていた。映画「北の零年」の有名な台詞があらためて心にしみる。
生きている限り
夢見る力がある限り
いつか何かがきっと
私たちを助けてくれる
だからこの地で生きていこう
2005年1月、阪神淡路大震災から10周年を迎える。
あの日の神戸の町は、ぼくに戦時中の記憶を甦らせた。
第二次世界大戦が始まった年に生まれたぼくにとって、1995年1月17日は第二の誕生日といってもいい。
空襲のときも、震災のときも、命を落としていたとしても不思議ではなかった。
すべて一から、いやマイナスからのやり直しだった。
懸命に生きて64年、震災から10年を迎える。
折りしも新潟中越地震や未曾有のスマトラ島沖地震による大津波が相次いでいる。
そんなとき、吉永さんの語る台詞は、かろうじて生き残ったぼくたちを、いっそう励まし、元気付けてくれる。
ちなみに、原爆の詩の朗読などを続けている吉永さんが「おおげさに語らない」のは、「そのことにあまり関心を持っておられない方にも受け入れらるやすい」からだとか。深く腑に落ちる。
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