(いくつかの偶然が重なり、ふとしたことがきっかけとなって、なかなか更新できなかったブログを久しぶりに書きました。こんな夜中に…)
毎年、お花見の頃なると思い出す詩がある。「ともだち」と題するこの短い詩を作者の秋山基夫さんが朗読するのを最後に聞いたのは8年前のことだ。つい先日も秋山さんが自作詩を朗読するのを聞く機会があったが、この詩は読まれなかった。
ともだち
桜の枝にランタンを吊るし
輪になってお酒をのんで
この明るさをよろこびあおう
どうせ暗い道を散っていくのだ
‐詩集「桜の枝に」秋山基夫(1992)より
この詩を聞くといつもよみがえってくるのは、楽しいひとときを過ごした仲間と別れて夜道をそれぞれの場所へともどっていくときの、あの温もりと侘しさがないまぜになった感じだ。そして考える。ともだちと宴を楽しんだあと、「散っていく」わたしは「暗い道」を通って、どこへいくのか?
ひとりになったわたしは自分の場所に帰り、自分の問題を自分で引き受けて生きるほかないだろう。しだいに衰えていく身体と知力、思い通りに動けないことへの苛立ちや喪失の悲しみといった負の感情をも受け入れながら自分らしさを失わないでどう生きるか。いまのわたしにとっては老いと孤独にどう向き合うかが大きな課題だ。そんなことを考えていた矢先に、偶然、2年前にわたしが投稿したツイートに「いいね」をつけてリツイートしてくださった方がある。すっかり忘れていたけれど、メイ・サートンの日記のことだ!
1912年にベルギーに生まれ、幼時に家族に連れられてアメリカに亡命した作家であり、詩人にしてエッセイストでもあるメイ・サートンは、三冊の日記を出版していている。
ニューイングランドでの生活をつづった『独り居の日記』(武田尚子訳)は メー・サートンが58歳の時に書かれた。
独り居の日記【新装版】 | |
武田 尚子 | |
みすず書房 |
メイン州の海辺に引っ越したメイ・サートンは70歳の誕生日を迎えた日から一年間にわたって『70歳の日記』(幾島幸子訳)を書いた。
70歳の日記 | |
幾島幸子 | |
みすず書房 |
そして、1994年8月1日(月)で終わる『82歳の日記』(中村輝子訳)を書き終えてまもなく、メイ・サートンは病床に伏し、やがて83歳でその生涯を終える。
82歳の日記 | |
中村 輝子 | |
みすず書房 |
三冊の日記は、いずれもみすず書房から翻訳出版されていて、わが国でも評判が高い。書かれた年代に応じて日々の生活のなかでつきつけられるさまざまな問題と向き合って自分らしく生きていく日常をつづった文章は、いい翻訳者をえて、美しく、読みやすい。そのためか、日記を読んで、高齢になってからのメイ・サートンの生き方に憧れる女性も多いと聞く。もちろん、ぼくのような老爺も大いにインスパイアされる。
メイ・サートンに倣って、世間の価値観におもねることなく、ひたすら自分らしく生きようと思う。それには、他人の目を気にせず、他者の評価に一喜一憂しないで、ひとりでいる時間を十分に確保することが必要だ。出会いと離別がくりかえされ、他者との過剰な関りに苛まれることの多い人生にあって、自分をととのえ自分を取り戻すために、自然と触れ合い自然とともにある自分を発見するために、また他者から受けた影響を自分の裡で熟成し、成長につなげるためにも、ひとりでいる時間が必要だ。家族やともだちはもちろん、何らかの形で関わりをもつことになった他者といい時間を過ごすことが自分を育んでくれることは言うまでもない。これから先、いろんな人のお世話にならないことも多くなるだろう。だからこそ、他者に過剰に寄りかからず、適度な距離感を維持しつづけることが必要だ。偏屈な奴だと思われてもいい。どうせ散っていくのだ。
ちなみに、詩集『桜の枝に』秋山基夫 (1992)には、ほかにも「この世」「雪」など、ぼくの好きないい詩がある。関心のある方は、このブログをご覧になってみてください。
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