ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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司書教諭講習を終えて

2005年08月22日 | 知のアフォーダンス
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 滋賀大学で司書教諭講習をはじめて今年で4年になるが、できるだけ、ゆったりとしたスケジュールのなかで、さまざまな活動を通して、受講者一人ひとりが学校図書館を自分の課題として一緒に考え抜くという、ワークショップ形式の私の講習スタイルは一貫して変わっていない。学校ではなかなか実現しない理想的な学びのスタイルを受講者とともに体験しようというのである。まず、シラバスに沿ったその日のテーマについて、プリントや書籍、インターネットのサイトなどの資料を提示しながら要点や問題点を解説する。ビデオやDVDも、テーマに関連する視点から見ていただく。講義のあとは、たっぷり休憩時間を取って、参照した資料などに目を通していただく。講習会場と道ひとつ隔てた付属図書館でも関連資料を探していただく。そのあと、その日のテーマをふまえた課題をグループで話し合ったり、実習していただいて、その成果を全体会で報告・共有していただく。最後に約30分の時間をとって、その日のテーマに関連して考えたこと、分かったこと、疑問などをレポートに書いていただいて一日の講習が終わる。その日のテーマをもっと追求したくて帰宅途中に地域の公共図書館に立ち寄られる人もおられる。皆さんに書いていただいたレポートはその日のうちに目を通し、翌日の最初に1時間から1時間30分かけて、質問に答えたり、関連する話をする。前日の復習になるだけでなく、テーマを広げたり深めたりするのに役立っているようだ。このサイクルを、休日を挟んで8日間続けるのだが、毎日片道2時間30分の道のりを往復し、8月の暑いさなかに連日朝9時から夕方5時までの講習は体力的には相当きついものがある。しかし、今年も、受講者の意欲に支えられて講習に専念できたおかげで、充実した至福の時間を過ごすことができた。

第1週目は「学習指導と学校図書館」
 第1日目は、自立した市民を育て、子どもの自己実現を図るための「学び」とはどういうものか、そのためになぜ学校図書館が必要なのかというテーマを提示し、講習期間を通じて受講者一人ひとりのなかで自分の課題として具体化していただくことを求めた。そのあと、講習は、メディア活用能力と情報リテラシー、授業のデザインと情報活用のためのツールと続き、最終日のテーマは、そのような学びを支える学校図書館はどのようなものか。総合学習の影響もあって、調べ学習はすでに多くの学校で行なわれているようだが、そこに学校図書館と専門職の介在が不可欠であるという認識はまだまだ希薄(あるにこしたことはない、という程度か?)なようだ。ブックトークや調べ学習の進め方、公共図書館からの団体貸出しなどが定着していながら、それぞれの担当の先生が独自にやっておられて、学校図書館の活動と結びついていない例もある。しかし、図書館の機能=本の提供という思い込みから解放されることによって、学校図書館の新たな可能性を感じ取られた人も多かった。テーマの設定から情報収集、発表、評価にいたるプロセスとそれぞれの局面での作業の助けとなるツールを紹介し、作ってもらったところ、パスファインダーや情報ファイルがとくに受講者の注目を集めた。

2週目は「読書と豊かな人間性」
 第一日目は、「自殺したくなったら、図書館に行こう」(雑誌『世界』8月号)を紹介しながら図書館とは何かを考え、学校図書館が「知と心のメディアセンター」であることを具体的にイメージしていただくことを課題として受講者に求めた。そのあと、まず「読む」(「読書」ではない)とはどういうことかを考え、発達段階と読書の関係、文章を理解するとはどういうことかへと展開する。
実習では、グループに分かれて、各自が準備してきた本の紹介法をお互いに出し合い、より有効な提示方法を話し合っていただいた。そのあとで、さまざまな方法を紹介し、それぞれの実施上の留意点などを解説した。受講者は、これまで知らなかった方法に目を開かされ、前日まで曖昧だったり、疑問に感じていたことが整理されて、もう一度チャレンジしてみたいという気持ちを掻き立てられたようだ。そこで、各グループで改めて構想を練って練習をして、それぞれ3・4組ずつ発表してもらった。
 事前調査課題として提出していただいた各校の学校図書館の報告を拝見すると、滋賀県では、今年は昨年に比べて、また一段と学校図書館の整備や実践が進んでいるようだ。全校一斉の読書タイムはほとんどの小学校で実施されており、数年前にはほとんど知る人のいなかった読書へのアニマシオンは、今年は、ずいぶん多くの方がご存知だった。過去の受講者からアニマシオンについて私が話す部分を録音してきてほしいと頼まれた人もいたが、うまく伝わらない恐れがあるので、お断りした。具体的な手順を書いた本はたくさん出ているので、私としては「エデュカシオン」に対峙・補完するものとしての「アニマシオン」の基本的な理念をふまえた解説にとどめたが、複数のグループが同じ本を題材にして異なる作戦を行うなど、かえって意欲的な取り組みを誘発したようだ。すでに学校図書館実務者研修などで経験を積んでおられたブックトークについても、ちょっとしたヒントで見違えるように変わった。ヒロシマをテーマにした高学年向きの複雑な構成のブックトークでは、一同大いに感動し、読書意欲をそそられた。そのほか、学校図書館充実職員をされている受講者が日ごろ取り組んでおられるパネルシアターを披露してくださったり、地域で長年「エプロンおばちゃん」として親しまれているベテランの小学校の先生によるエプロンシアターなど、私たちは歓声を上げて楽しみ、多様な紹介方法を体験的に学びながらお話の世界に浸ることができた。
 次の引用は、その日の振り返りレポートのひとつである。
「人の声を通して語られることばのなんと心地よいこと!ことばを通して心のなかにイメージが広がっていってスーッとその中に入っていくような感覚。久しく忘れていた懐かしい友達かなにかに出会ったようでした。」この方は子どもさんが小さいころ、3年生になるまで寝る前に読み聞かせを続けておられたそうで、ある日、「もうやめようか?」と言ったときの子どもの淋しそうな顔と、しばらく「お母さん、なにか眠れないの」といって階段をとんとんと下りてくることがつづいたことを思い出されたそうだ。「今日の体験を通して、あのころの子どもの気持ちが分かったような気がしました。そのせいかわかりませんが、娘は本が大好きです。いまは本に書かれている「ことば」を通してイメージをふくらませ、自分の体験や知識とすり合わせ、自分の考えを再構築して、新しく生まれ変わっていく自分を楽しんでいるのだなと思います。」という一節を読んで、この人のなかで「読むこと」と「学ぶ」ことが見事に融合しているのを感じた。
 最終日のテーマは「つながりを活かす学校図書館」。「つながりを活かす」というキーワードをもとに司書教諭の仕事について考えた。「学び」「読む」ことの本質をふまえ、広い意味での情報サービスを提供する「知と心のメディアセンター」が学校の中に存在することの必要性は、容易に言語化できるものではないが、毎日のレポートのなかで、ほぼ全員の方が次々と「自分のなかで学校図書館に対するイメージが大きく変わった」と書いてくださった。

 司書教諭講習には、60人あまりの受講者は学生からベテランの先生や学校司書にいたるまで、いろいろな立場の方がいろんな動機や思いを抱いて参加しておられ、2年越し、3年越しの人もいる。そんな皆さんに講習を終えて、最後のレポートを書いていただく前に語りかけることがある。
「いま、皆さんは、学校図書館や司書教諭について知的に理解し、ビデオをみたり、実習したり、皆さんと交流することで、学校図書館の仕事に魅力を感じておられることでしょう。ここで、ご自身に問いかけていただきたいのです。はたして、自分は司書教諭としてやっていく資格があるか。知識や技能の問題としてではありません。いま、この時点で、学校図書館の仕事を自分が引き受けてやっていく腹が決まっているかどうかを自らに問うてください。そこまで腹の決まっていない人は、当面はここで知った学校図書館に関する知識とすばらしさを大いに活用して、学校図書館のよき理解者、利用者となってください。そういう人たちもまた志をもって専門職を目指そうとする司書教諭とともにこれからの学校図書館を推進する大きな原動力になるのです。」

PS 受講者と私の対話のひとコマ
受講者「ビデオに出てくる学校司書や司書教諭の学校図書館にかける熱意とエネルギーはどこから出てくるのか。」
私「おそらく本物の学び(authentic learning)をしたときの子どもの反応や表情を確かな手ごたえとして感じ取れたときの至福の経験が忘れられないのではないか。」

受講者「うちの子どもは、いくら環境を整えても、ウルトラマンとか○○レンジャーの本にしか興味がないのだけれど、気長に待つしかないのでしょうか。」
私「待つということのなかに、いずれは親が読んでほしい本を子どもが読んでほしいという結果を期待する気持ちがあるのではないか。子どもにプレッシャーを背負わせないで、自分の読みたい本、自分に必要な本を自分で選んで読めるようになることが大切。読書環境づくりは必要だが、同じ環境にあっても、その環境の受け止め方は一人ひとり異なるもの。それを大事にしていくことが、子どもを大事にしていくことにはなるのではないか。期待して待つのではなくて、子どもの成長を見守る姿勢に転じてみてはどうか。ウルトラマンは文学的ではないかもしれないが、読んで情報を取り出し、整理し、記憶する経験は、将来他のテーマにも活かされるはず。教室の子どもたちにたいしても同じことが言えるのではないか。」
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