「四月一日に語っておきたい、日本語のこと。」京都精華大学人文学部が関西の4月1日付朝刊に掲載した、こんなタイトルの全面広告が目を引いた。おおむね次のような内容である。
十数年前から学生の読書離れが話題に上りはじめた。今や日本語能力の低下が顕著になり、ゼミが、発表の場・議論の場として成立しなくなってきたという。それは、たんなる読み書き能力の問題ではなく、言葉の力そのものの衰退を意味している。
「言葉の力とは、他者の言葉に耳を傾けきちんと受けとめる力。自分で考えを掘り進める力。自分の考えを他者に伝える力。何かを動かす力、何かを変えていく力。あるいは、動かされることや変わってしまうことに抗う力。」
このような力を鍛えるために、京都精華大学人文学部では一年生全員を対象に「日本語リテラシー」のプログラムを実施している。学生が「自分と向き合いながらきちんと考えるための日本語、他者に伝わる日本語」を取り戻すために、「ただ、考えて書くための場と時間を設定し、学生たちの言葉を受けとめて応答する他者として彼らと向き合っている。」「言葉は教えられるものではなく、他者とのやりとりを通して、手探りしながら、自ら紡いでいくもの」であるからだ。
『ライティング・ワークショップ 「書く」ことが好きになる教え方・学び方』(ラルフ・フレッチャー&ジョアン・ポータルビ著、小坂敦子・吉田信一郎訳、新評論、2007/3)もまた、こうして言葉の力を育てる試みである。本書では、主に小学生を対象に、主体的な書き手を育てるワークショップが日本での実践もふまえて紹介されている。子どもたちは、友だちや教師とカンファランスをしたり、優れた作品に触れたりして、書く題材を見つけ、書き方を学び、考えを深め、作品の内容を深める。そのような経験を通して書くことがもっている力や書く目的を実感するようになる。
カンファランスとは、対話を通して、子どもが「これから書く作品すべてがより優れたものになるような方法」を身につけさせるもので、ライティング・ワークショップの中心をなす。他者から問いかけられることで、子どもは、自分の作品を客観的に見直して評価し、これからどんなことを考慮して書けばよいかを学ぶことができる。
優れた作品にさまざまな形で触れて「物語」の展開について学ぶことも必要だ。自ら選んだ本を読む。一緒に読んだ本についてディスカッションする。上手に書かれている話の「響き」を知るには、読み聞かせをするのもいい。
もちろん、言葉の力は国語という教科の枠のなかだけで育つものではない。他教科との有機的なつながりをつけて、子どもが自ら興味を持っている題材を調べて書く経験を重ねることも必要だろう。(p.152)
ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 |
「四月一日に語っておきたい、日本語のこと。」はさらに続く。
「言葉によってこそ人は世界や他者と切り結ぶことができる。世界や他者との関わりをとらえなおすこともできる。むずかしくてややこしくて面倒くさいこの現実をときほぐしていくこともできる。」
言葉を介して世界と関わることの面白さと難しさに気づくことを第一歩として、「やがて学生たちが自分の言葉で考え、表現することができるようになることを願っています。一人一人が自らの言葉で現実世界と対峙することが、言葉の力の持つよき可能性の回復につながると信じるからです。」
「日本語リテラシー」も「ライティング・ワークショップ」も、発達段階を問わず、今、日本の教育に最も求められる実践であろう。
PS
では、学校図書館は、ライティングの指導に、どのように関わるのであろうか?下記の資料が参考になる。
The Library Media Specialist in the Writing Process |
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