掌編な小説

愛と死を題材としたものだけを載せました。感想をいただければ幸いです。長編は苦手。少しずつですが、続きを書いていきます。

はなむけ

2018年07月15日 | 掌編小説

  穏やかな暖かい天候が続いた。
 澄江の嫁ぐ日が近づいている。達造は、娘の花嫁姿を見るのを憂鬱な表情を浮かべながら、居間のソファーに腰を下ろす。庭に散った葉が一本の銀杏の木の周りを埋め尽くしている。やがて枯葉となり、黄土色から焦げ茶色に変わって土に戻るだろう。その枯葉の下には人間の死体が埋まっている。澄江の母であり、達造の妻、紀伊子の遺体である。もうすでに白骨化しているに違いない。と達造は思った。キャスパーの法則によると、地上よりも地中に埋めたほうが8倍腐敗スピードが遅く、白骨化しにくい。
 
達造が紀伊子を庭に埋葬した時から10年も経った。
 澄江
が結婚をすると言い出した。達造は驚きはしなかった。父親としてろくな返事もできなかった達造は何も言わず、昔のように走りはじめた。
 
ハンドルを曲がる方向に少し。まず強めにブレーキをかけ、重心を前方に移動させる。ブレーキ配分は前後で7:3ぐらいが良い。そのように設定している。ブレーキを踏むと同時にクラッチを踏む。次いで回転数を維持するためスロットル全開にする。微妙なタイミングが必須のヒールアンドトウは慣れたものだ。達造はギヤは2速を選択した。3速でもよかったのだが、今日は攻めたい気がした。慣性ドリフトは今日はする気分ではない。峠の頂上付近の少し下り気味、パワードリフトの絶好のヘアピンカーブだ。
(ブレーキ配分は8:2の方がよかったか…)
まず後輪が滑りだし、遅れて前輪もグリップを超え滑りだした。カウンターをあてなければ、スピンしてしまう。
(慣れた道だ。そんな簡単にスピンするかよ)
達造は独り言を呟いた。
 
ロールはないわけではないが少なく、またアライメントのトーインはプラスマイナス0、キャンバー角はプラス側に1°の角度に設定した。少々直進安定性は犠牲になったが、タイヤ偏磨耗はなく、ステアリングのキレはよい。2速全開だったので、車体が内側に寄り過ぎた。アクセルを緩め、車の体勢を整える。
 
車の方向はハンドルで操作すると思いがちだが、アクセルで方向を決める。踏めば内側に、戻せば外側にノーズは向く。後輪が一旦滑り出してグリップを失うと、ハンドルをいくら切っても方向は定まらない。ドリフトとはこういうものだということを、あらためて感じさせてくれる。サイドブレーキで後輪をロックして滑らすなど、ドリフトじゃない。えせドリフトだと常に達造は思っている。
 
車種は2年前に手に入れたBMW735iの中古品である。それにいろいろ手を加えた。オートマチックをマニュアルに替え、ギヤ比も日本用の道路事情に合わせるようにした。サスペンションはまだ十分使えたが、オリジナルよりショックアブソーバーは減衰力が高いもの、スプリングも硬いものに交換した。これでドリフトがしやすくなった。改造はしたが、違法改造はしていない。いつ出しても車検は通過する、そんな範囲での改造だ。公道を走れない改造はしない。いくら改造ではないと言っても危険運転は違法に違いないのだが、ドリフトを危険運転と思っていない達造の信念は変わらなかった。
 
グリップでコーナーを曲がると言う奴は言わせておけばよい。そんな奴はコーナーでブレーキが早過ぎるのだ。その時点で勝負は決まったようなもの。ノーズを先に取られたらもう終わり、よっぽどじゃないと追い越せない。無理をすればクラッシュするだけだ。
 
以前、妻の車を運転していた時、カーブでタックインを起こしたことがある。慌ててアクセルを踏んだところ、FF車特有のアンダーステアが現れた。結果軌道が膨らみ過ぎて、クラッシュしそうになった。もちろんこれもドリフトではない。アクセルを戻すことによって起こるタックインはノーズが内側を向いてしまうこと、それだけだ。
 
どんなに運転が下手な人でもタックインは可能だ。カーブでアクセルを戻すだけだからである。しかし多くの人はノーズが内側を向いた時、アクセルを適度に踏み込むことをしない。その方がよっぽど危険なのだ。残念なことにFF車の特徴を理解している人は少ない。
 
BMWの車重は同じ大きさの国産車より重い。だが、達造にはそんな心配は無用だ。コーナーの立ち上がりでのトラクションのかかりはずば抜けている。これがFRの強みで、一気にパワーをかけられる。達造はAT車をマニュアルに改造した時点でESC(エレクトリック・スタビリティ・コントロール)を犠牲にした。横ブレ防止装置を外したことになる。外したことにより、横ブレはするが、テクでカバーでき、ドリフトがしやすくなったのだ。だが、国産車のコンパクトな車にはその取り回しのしやすさには及ばない。
 
後ろから誰かやって来た。
(86か?いやBRZだ。澄江の車と同じだな)
娘の澄江は12年製のBRZに乗っている。86はドリフト仕様で嫌だと言ってBRZにしたらしいが、実際は変わらないのではないか?と達造は思っている。
 
BRZが煽ってきた。
(?しつこいな。ふん、次のコーナーの立ち上がりでぶっちぎってやる)
BRZは十分ドリフトに慣れている。
(なんだ、奴のサスペンションは。ダンパーはどこのだ?海外製?)
バックミラーを見るとどうやら車高調整式ショックアブソーバーを装着している。やるな。だが、インを保っている以上こいつに抜けるわけがない。左のコーナーの出口でBRZは達造のバックミラーから消えた。
(右か?)
BRZは鋭い立ち上がりでBMWを追い抜いて行った。
(外側から抜きやがった。そしてその時のドライバーは確かに澄江だった。なぜ澄江が・・・)
 カーブを抜けた直線道路の左側ぎりぎりにBRZは駐車していた。達造もその後ろに車を停止した。澄江が降りてきて、
「お父さん……」
「お前だったのか。分からなかった」
「最後にお父さんの走りを見ておこうと思って」
「そうか…。澄江、お前速いな、どこで覚えた」
「直線ではお父さんに負けるけどね、コーナーで一度お父さんと勝負してみたかったの」
「嫁入り前の娘がする事じゃないな」
「うん、今日でドリフトは卒業する」
「俺も今日がそのつもりだった」
「なんで?」
「うむ。それより澄江、あれは、あれはお前がやったんだろう?」
「あれって何」
「つまり……紀伊子だ」
「お母さんを何?」
「やってないのか」
「やるって、殺(や)るってこと?お父さんが殺したんじゃないの?私じゃない。お父さんはずっと私を疑ってたの?」
「なぜ紀伊子の遺体を埋めた?」
澄江は少し涙ぐんだ。
「私はまだ中学生で、学校から帰ってお母さんの頭から血が流れて、もう亡くなっていたの。私はお父さんだって確信した」
「だから俺に疑いがかからないように庭に埋めたのか」
「うん。本当にお父さんじゃないんだね?」
「俺はてっきりお前だと思っていた。庭に埋めたのもお前だと分かっていたから」
「じゃあ真犯人は誰かしら」
「それは分からん。押し入り強盗かもしれん。お前でないことが分かって安心した。これで胸を張って嫁に出せるよ」
達造は悲しい目を澄江を見て2度頷いた。
「ありがとう」
と、澄江は言った。
達造はもう澄江と話すこともないだろうと思った。最期に話せて良かったと安心した。
(澄江、これから起こることは事故だ。後で妙な詮索はするんじゃないぞ)
BMWはゆっくりと発車し、順番にしなやかにトップにギヤチェンジした。すぐに最高速度に達した。300km/hは出ているだろうか、下りの緩いカーブだし、リミッターを外している以上考えられなくもない。
 
300km/hで思い出した。ランボルギーニは曲がれないという伝説。おそらくサスペンションに問題があると思われるが、日本の旧ハチロク(AE86。1983~当時カローラレビン・スプリンタートレノ16バルブ4A-GEUエンジンのNA)のほうがダウンヒルに限るがコーナーは速い。当時のフェラーリも同じだと思っている。でもそんなことはどうでもいい。
(何キロ出ていようが構うことはない。俺が間違っていたのだ。彼女は自殺した。正しくは最終的には俺が殺した。自殺を幇助したといった方が正しいのか)
 しかし、達造が遺体を見つけ、掘り返したとき、まだ紀伊子の息は微かながらあった。紀伊子は俺にしか聞き取れない声で「このままわからないように埋めなおして…」と言った。10年前、澄江と紀伊子に何があったかはわからない。何らかの諍いか不意な事故とか…。それも今となっては真相を突き止めようとは思わない。
  
(澄江、幸せになれよ。おまえにとって、はなむけになればよいが)
達造は心底思った。そして次の行動に出た。リミッターを外して250Km/hは出ているだろう左のコーナー。右は崖。ブレーキは踏まずクラッチを抜くだけ。スロットルは開けたまま2速。スライドはゆっくり発生する。その滑りを感じながらカウンターをあてる。完璧な慣性ドリフトだ。アクセルを緩める。自動的に右の崖にノーズは向く。
 達造を乗せたBMWは消えた。 

 はなむけは、近親者が遠方に旅立つときに、旅の安全を祈って、馬の鼻先を行き先の方向に向けた習慣から「馬の鼻向け(うまのはなむけ)」という言葉が生まれ、短く略された。『土佐日記』『古今和歌集』『伊勢物語』など、平安前期の文献にもこの表現はみられる。

(終)