拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

青梅

2024-06-08 18:58:08 | 音楽
横野君の知り合いで、音楽界からも異性からもモテモテの某ピアニストは名字と名前のどちらにも「緑」が入っていないのだが多くの人から緑さんと呼ばれている。
この日の出で立ちも深緑である。
 
「緑」という名字の人で思い浮かぶのは緑魔子とジュゼッペ・ヴェルディ。ヴェルディのなにがすごいかって最後のオペラの「ファルスタッフ」が初演されたのが79歳のときで、これがまた大傑作って言うんだから、まさに「年齢は記号に過ぎない」を地で行った人である(それどころかジョン・ウィリアムズは90で現役である)。
 
因みに、ヴェルディの中期の大傑作の「リゴレット」は「金太郎飴」と言われている。そのココロは「どこを切ってにも名曲」。「中期」というのは油が乗り切ってるギトギトした時期のことで、ヴェルディの中期の作品は他に「椿姫」「トロヴァトーレ」が有名である。ベートーヴェンの「運命」「田園」も中期である。それが「晩年」になると、油っぽさが抜けて透明さが増す。ベートーヴェンの「第九」「ミサ・ソレムニス」は少し油が残っているが、最晩年の弦楽四重奏曲ともなればまるで山水画のよう。ヴェルディの「オテロ」も少し油が残っているが、「ファルスタッフ」は会席料理の味わいである。
 
日本では緑色を青ということがある。その一例が熟す前の梅の実(青梅)。「青梅」は地名にもなっている(奥多摩の青梅市とか)。なお、梅の実の青いのは「あおうめ」と読むが、地名の方は「おうめ」と読む。思うに、地名も当初は「あおうめ」と読んでいたのだろうが、それが縮まって「おうめ」になったものと推測する。横浜市緑区(私の郷里)の「青砥」も、正式には「あおと」と読むらしいが、地元では「おうと」と言っていた。ただし、葛飾区の「青戸」は「あおと」のままである。
 
地名の「青梅」の由来については、私の推測は「青梅がたくさんなったから」であったがハズレ。「平将門の願をかけた梅が夏を過ぎても青いままだった」が正解らしい。
 
もちろん青と言って文字通り青いのが普通である。「青い空」は緑の空ではないし、「青魚」も緑色の魚ではない。ただし、川の水はときどき緑である。例えば、裏高尾から相模湖の方に降りて行くとき眼下に相模川が見えるのだが、これが深い緑色でそらおそろしい。藻でも生えてるのか?と思ったら植物性プランクトンの色だというから当たらずとも遠からずである。山は、何層にも重なる山並みの手前のモノは緑色だが遠くに行けばいくほど青っぽくなる。
 
梅の実の話だが、青梅と完熟梅では加えるモノが逆である。青梅には砂糖を加えて梅酒にし、完熟梅には塩を加えて梅干しにする。梅酒はこないだ漬けたので、次は梅干しとばかり「猫の額」で完熟梅の収穫に乗り出しているのが、若干苦戦している。この話は項を改めて。