拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

芸者さんと野球拳(慰安旅行)

2017-04-29 14:24:42 | 日記
最近の若者は先輩や上司と飲みに行かず、慰安旅行も中止になるんだと。私も社会人なりたての頃、慰安旅行に行ったともさ。課で一番若かったので幹事をやらされて、先輩に言われて芸者さんの手配もして、行った旅館が得意先の経営してるところで、そこの社長が私達の宴会にやってきて(これじゃ慰安になるわけない。KYな社長だ)、その社長さんの前で芸者さんと野球拳をやらされて(喜んでやったのかって?あのね。そんとき私には付き合ってる彼女がいたし、いくら年上もいけるったって母親よりも年が上そうなお姐様と喜んで野球拳をやりませんよ。フランス大統領選挙のなんとか候補の奥さん(ブリジットさん)が年上だと行ってもせいぜい25歳)。そんでも楽しいふりをしてやったじゃんけんで私は負け続け、とうとうパンツ一丁になって、それでも負けた。課長や先輩が「ぬーげ、ぬーげ」とはやし立てる(今だったらパワハラだ)。脱げと言うんなら脱ぎますよ。減るもんじゃないし。で、脱ごうとした瞬間、ぬーげと言ってた先輩達が見たくないと言って電気を消した(じゃ、最初っからぬーげなんて言うな)。そしたら、KYの社長が、私を「偉い!こういう社員がいれば会社は大丈夫」と絶賛。野球拳で負けて脱いで会社がよくなるのかね。さて、宴会がはけて、先輩たちは芸者さんたちと飲み直しに出かける。私は早々に就寝。で、しばらくして先輩達が青い顔をして寝ていた私をたたき起こす。「おいっ、いーじまっ、あいつら(芸者さん)ふてーやつらだぞ。追加料金払って付き合えと言ってる。お前なんとかしろっ」。後輩が脱いでも先輩がこうでは会社はどうなる?とにかく、後を追ってきた芸者さんたちに「今日はありがとうございました。これでもうおしましということで」と言っておひきとり願った。私、23歳の秋のことでござんした。あれっ、じゃあ彼女どころか結婚してたっけ。

もしもジャルスキーがオクタヴィアンを歌ったなら

2017-04-28 14:28:11 | 音楽
今朝の「ひよっこ」で、明日上京するミネ子が母親の布団にもぐりこんで添い寝をするシーンがあった。ほほえましかった(ミネ子役の女優さんはどきどきしたそうな)。それで思い出した。昔の朝ドラの「ちりとてちん」で小草若が師匠である父親の布団にもぐりこんで添い寝をするシーンがあった。こっちはちょっとって感じだった(小草若役の俳優さんはゲーっと思ったそうな)。女女ならよくて、男男だとちょっとということか?そう言えば、「バラの騎士」(Rシュトラウス)は32歳の元帥夫人と17歳の青年オクタヴィアンがベッドでいちゃついてるシーンから始まる。でもオクタヴィアンはメゾ・ソプラノが歌い演じるので「生々しくない」という解説があった。そうだろうか。このご時世、そうとばかりは言ってられない。実際、ルチア・ポップがオクタヴィアンで名を馳せた著名メゾと共演したとき、私はポップの貞操の危機(?)を感じた。逆に、オクタヴィアンを男が演じたとしても、最近の草食系男子ならちっとも生々しくない。いっそ、オクタヴィアンをカウンター・テナーが歌ったらどうだろう?例えば、ジャルスキーあたりが半裸で元帥夫人とからんだら結構絵になるかもしれない。ジャルスキーはソプラニスタとも言われるから、音域的にもオクタヴィアン(かなり高い)に合ってる。間違ってもおじさんが歌ってはいけない(とか言って、私はこっそり練習している)。そう言えば、フィガロの結婚のケルビーノをカウンター・テナーが歌ってる映像を見た。アウトだった。ケルビーノは、オクタヴィアン以上に「子供」でなければならないのに、歌ったのは「大男」だった。

トイレの中(前置詞の話)

2017-04-27 09:43:44 | 言葉
テレビのなんかの番組で「戦わずして歯医者になる」と言ってる。と思ったのは一瞬。「敗者」だった。「廃車」に聞こえた人もいるかもしれない。さて本題。自分のブログを読み返していて、「田んぼの中の幼稚園」で、一瞬、田んぼの中=水の中=竜宮城みたいな幼稚園を連想した。そういえば、ドイツ語学校で、「トイレの中」の「中」にあてはまる前置詞は?という問題が出て、誰かが「in der Toilette」と言ったら、先生が狭いところに押し込められたポーズを大げさにとって「イン~?なわけないでしょ」と。正解は「auf」(上に)だった。つまり、トイレ(die Toilette)はトイレ室ではなく便器を指すようなのだ。なるほど、「auf der Toilette」で便器の上に座って本を読むイメージ(別に本を読まなくてもいいだろうに。便秘かっ)。因みに、今流れてる予備校のCMで、英語の先生が「『on』は『上に』ではない。くっついていれば上でも下でもいい」と言っている。へーえ。じゃあドイツ語の「an」と似てる。「an」は「へりにくっついてる」イメージ。トイレに戻る(と言っても漏れそうなわけではない)。「トイレの神様」って歌が流行ったのはもう7年も前。この「トイレの神様」はトイレのどこにいるのだろう。その場所によっては「in」(便器の中。歌からするとそれもあり)、「auf」(便器の上。人間のお尻とぶつかってしまう)、「ueber」(トイレの天井あたり。上から見られてるみたいでやだな)。

水彩画

2017-04-26 08:50:42 | 日記
合唱団でご一緒の某姐さんのお嬢さんが「刺繍・イラスト展」を開かれたので見に行った。場所は吉祥寺。私が言うところの「東京西部」=「お金持ちの生息地」の中でも聖地と言える場所。案の定、アーケード内の行列ができてるお店のメンチカツは一個200円以上。うちの近所のスーパーでは100円。それでもコロッケの倍で高いなー、と思ってる。で、そのお嬢さんの作品。お好きな動物(特に鳥)のイラストを水彩画で描いたり、刺繍をしたりでとてもきれい。へーえ。水彩画って、こんなにきれいなんだ。小中の美術の授業で水彩画を描いたが、とにかくにじんでぐちょぐちょになってばかり。ところがお嬢さんに言わせると、水彩画は早く乾く。油絵の方が乾くのに時間がかかるんだと。プロの視点ではそうなんだ。後で某姐さんから聞いたのだが、お嬢さんが「男の人は動物なんか興味ないだろうから何を話してよいか分からなかった」とおっしゃってたと。そ、そんなー。男って言ったってアルトだし。それに動物は大好きで、日頃から動物ものを見てるせいだろう、Youtubeを開けると動物ものをしきりと推奨してくる(あと、最近は「面白国会中継」も推奨してくる)。会話時に戻る。お嬢さんが私に「絵は描かれないんですか」。え?(ダジャレじゃない)。小中学校でにじみまくった絵を描いたっきりだな。あっ、そういえば、「小さい頃、マンガをよく描いてました」。そうなのだ。小学1年生のときはマンガが得意で、級友がもってきたノートに頼まれてよくマンガを描いていた。で、先生に看板屋になれ、と言われたんだった。なればよかった(なれるものなら)。

まむしに注意(四季の森公園)

2017-04-25 10:04:01 | 日記
故郷三部作も大詰め。中山町の西隣は寺山町。この町には保育園があった。中山町と寺山町の子供達は小学校で一緒になるのだが、その出身派閥が「中山幼稚園派」と「寺山保育園派」に別れていた。さて、20年前に里帰りした際、寺山保育園の先の方まで足を伸ばしていたら、「四季の森公園」とやらにぶちあたった。えー?私が中山町民だった頃は、こんなおハイソな公園はなかったぞ。どれどれ。中に入る。遊歩道を進むと、進行方向に向かって右側に森林、左側に低地が広がっている。この光景、なんか見たことあるぞ。突如として大昔の記憶が蘇った。ここ、小学校の課外授業で歩いた道だ。狭い山道で、右側はそのままの森林、左側の低地は田んぼだった。地形をそのまま活かして公園にしたわけだ(ブラタモリの気分)。と、目の前に立て札。「まむしに注意」と書いてある。ってことは、私が小学生の頃もまむしがいたのか。全然注意などしなかったが(立て札なんかなかったし)。懐かしさいっぱいのまま公園を歩ききって出た道は、前々回書いた白根町に通じるバス通り。この先にズーラシアがあるわけだ。よし、1年がかりの仕事も終わったし、GWはこの公園に行こう。そして写真をばしばし撮ろう。そして駅の近くのサ○○○ヤでワインを飲んで帰ろう。

農地転用(主は来ませり)

2017-04-24 11:48:46 | 音楽
私は就学前中山町にある幼稚園に通ったのだが、今から思えばここはキリスト教系だったのだろうか。牧師さんとおぼしき人が講堂で「イエス様が……」と話してたし、授業で「もろびとこぞりて」も歌わされた。意味など分かろうはずもなく、「主は来ませり」を「しゅわき・ませり」と思っていて、それがウルトラマンの「しゅわっ」につながっていった。元来コラール(賛美歌)は井伊の村の百姓たち(女城主直虎の領民)にも分かるように、というのが趣旨なのなら、「主はきませり」より「神様が来た」の方がよいのではないか。と思ってそれで歌ってみた。一箇所早口にするだけでちゃんと歌えた。さて、「牧師さん」と書いたが、もしカトリック系なら「神父さん」だ。どっちだろう(ってそもそもキリスト教系なのだろうか)、と思って今も続いてるその幼稚園のホームページを見る。おおっ、昭和30年、農地から園地への変更許可が下りたとある。「農地法の許可」(仕事に関係ある)で少し興奮。そして、がってん。この幼稚園は田んぼの中にあった。春になるとおたまじゃくしであふれかえり、夏になると蛙の大合唱が1km離れた山の上の私んちにも聞こえてきた。その田んぼも、20年前に里帰りしたときは住宅地に変わっていた。で、その幼稚園がキリスト教系なのかどうかはホームページからは結局分からなかった。区で最初の幼稚園であったことは分かった。

中山町の沼

2017-04-23 08:28:02 | 日記
私が育ったのは横浜市緑区(当初は港北区)の中山町(競馬場のある中山ではない)。中山町といっても広うござんして、駅周辺は低地だが(その昔、恩田川が氾濫して水浸しになったことがある)、私の家は山の上にあって(駅からの帰りの上り坂を自転車で途中で降りずに昇りきれるようになったのはかなり大きくなってから)、で、少しいくと鬱蒼とした森(わが家では「山」と呼んでいた)が広がっていた。ヘンゼルとグレーテルが置き去りにされたような(魔女が住んでいそうな)「山」の低くなったところに沼があり、結構大きくて細長く、森の奥深くまで延々と続いているようで、岸に立って眺めても反対側の岸が見えなかった(昨夜のブラタモリの芦ノ湖と形は似てるかも)。その沼にはまったことがある。と言ってもおぼれたとかではなく、岸辺でころんで泥だらけになっただけだが、なにしろ底なし沼のような奇っ怪な沼につかった恐怖は半端でなく、大泣きして帰った覚えがある。さて、その「山」の伐採が始まったのは私が小学校にあがる前後。鬱蒼としていた森がすかすかになるにつれ、尾根づたいの道から沼が覗けるようになり、あらためてその大きさ(長さ)にびっくりしたのだが、ほどなくしてその沼の水抜きが始まった。岸辺に置かれたポンプがすごい音をたてて水を吸い込んでいた。そうやって造成された地にできたのが「中山団地」。おハイソな家が建ち並び、アメリカ人宣教師が住む教会もあった。その中山団地の先には、しかし依然として森が広がっていて、その森を抜けて旭区(当時の保土ヶ谷区)の白根町(現在のズーラシアはこの近く)に行くのが当時の最大のアドヴェンチャーだった(帰りはバス道路ですいーっと(自転車)。天竺から帰る孫悟空の気分だった)。時代はくだる。中山町を離れて20年たった頃(今から20年くらい前)、ふと故郷を歩いて見たくなった。するとどうだ。最後の秘境(中山団地と天竺じゃなかった白根町との間の森)もすっかり開発されて住宅地になっていた。ところで、あの沼はなんていう名前の沼だったのだろう。手がかりはないかと昔の航空写真を見てみたが、古いものは解像度が悪く、新しいものはもう沼がなくなった後なので分からない。因みに。湖と池と沼の違いについて。湖よりも小さいのが池沼。池と沼の違いははっきりしないそうだが私的には濁ってておそろしいのが沼。因みの因み。「中山町の沼」と言えば、ほかに駅の北側に小さいの(水たまりのようなもの)が五つあって、ウシガエルをとりにいった覚えがある。こっちはかなり後年まで残っていたと思う。

母が褒めたまいしセリ

2017-04-22 10:36:07 | 音楽

空が燃えていた(写真がらみの話はこれだけ)。さて。昔CMで「♪幸せってなんだあっけ、なんだあっけ、ポン酢醤油のあるうちさ」というのがあった。私が幸せと感じるのは一日に二回。まず朝。香草(日替わり)を入れたラーメンをさあ食べるぞと箸を持つ瞬間。そして夜。自分でこしらえた料理を並べてさあ飲むぞとビールグラスに手を伸ばす瞬間。生きててよかったと思うしこれからも生きていたいと思う。朝の日替わりの香草は、セリだったりミツバだったりパクチーだったり。で、母にセリの話をしたら「セリってなんだ?」。え?そんなにお悪いの?って違う。ぼけてるのではなく、モノを知らないのだ(この件については)。母は香りの強いものを料理に使ったためしがない。だから、私はニンニクを成人して家を出るまで食べたことがなかった。で、そのセリとやらをラーメンに入れる話をしたら「お前はすごい!」と感心された。まったく。褒められて伸びるタイプの私を褒めなければいけない時期に一度も褒めたことがないくせに(だから伸びなかった、と人のせいにする)、この歳になって、セリをラーメンに入れたくらいで褒められてもな、と思う。ちなみにタイトルは、「母が教えたまいし歌」(ドヴォルザーク)をもじったもの。この歌、昨年グルベローヴァが日本で開いたリサイタルでも歌ったし、つい最近のウィーンの国立歌劇場でのリサイタルでも歌った模様。いい歌。と、これだけで今回のジャンルは「音楽」となる。

子のつく名前~青春時代

2017-04-21 08:44:42 | 言葉
「子」が付く名前は終戦の頃がピークで、その後減少、最近はまた増えてきたそうだ(昨夜のテレビ)。ほんとは「子」が付いてるのにそれをとって名乗るのが現代なら(和子→カズ)、ほんとは「子」が付いてないのに付けて名乗ったのが昔(うめ→梅子)。そう言えば、こないだ記事にしたソプラノの矢野滋(神戸の人にとっては「日本で最初のコロラトゥーラ歌手」として誇りなのだそうだ)。CDジャケットの「Shige Yano」を見て、なんで「Shigeko」でないんだろう、と一瞬思ったが、この時代なら「滋(しげ)」が当たり前だった。因みに、男で「子」がつく人で私が思い浮かべる人=蘇我馬子、ミルコ・デムーロ(馬つながり!)、それから大学の語学クラスの同級生の○○○子くん。最初クラスの名簿に「子」が付く名前があったので、おっ、女子がいる♥と思って、で、初日の自己紹介。一人の男性が「女子がいる、と噂になってますが、それは僕です、すみません」。彼の「子」は「こ」ではなく「し」と読ませるのだった。とか書いてやろうと思ってたら、今朝の「ひよっこ」で、ナレーションの増田明美さんが「おまわりさんには『正義』という名の人が多い」と言っていた。名が人を作るのだろうか。そうなら私は正しい歴史を歩んだはずなのに、ああそれなのに。昔「青春時代は道に迷っているばかり」という歌があったが、私は青春時代を遙か昔に通り越してなお道に迷っている。それともまだ青春時代ということか。そういうことにしよう。「○歳に満たない場合を青春時代という」という法律があるわけでもないんだから。おまけの話。私、子供の名前は、男の子なら「多美野」(たみいの)、女の子なら「巴美奈」(ぱみいな)がいいと思ってた。

あざっす

2017-04-20 20:57:13 | 言葉
JRAのCMの別のヴァージョンでは柳楽優弥さんが「あざっす」と言っていた。状況から「ありがとうございます」のことだとは分かったが、こんな省略形、聞いたことなかった。たしかに「ありがとうございます」は長い。競馬の馬名にはできない(字数オーヴァー)。某スーパーで「毎度ありがとうございます。またどうぞおいでくださいませ」と言えなくていつもかみかみのおじさんにとって「あざっす」でいいとなればこれは吉報だろう。でも、ほんとに言われたらたまげるだろうなぁ。それに「あざ」は「あざとい」を連想してあまり感謝の音として相応しいとは思えない。他の省略形はないか?「ありっす」は?「ありんす」と似てるなぁ。これは高級遊女が使ってた言葉だそうだ。ヴィオレッタが高級遊女であることは知っていたが、日本の遊女にも「高級」とそうでない別があったのか。「あざっす」に戻る。ありえないよなと思う一方、柳楽優弥の「あざっす」の歯切れよさが結構気に入っていて、よく真似をしている。

カラスノエンドウ

2017-04-20 09:35:49 | 日記

道端の小さい花ばかりに目がいく。こんどのはなんて名前だ?「オオヒトノフグリ」だったらどうしようとどきどきしながら調べたら「ヤハズエンドウ」、一般には「カラスノエンドウ」で通ってるそうだ。「烏のえんどう」(カラスノエンドウ)ではなく「烏野えんどう」(ラスノエンドウ)だそうだ。ふむ。アクセントを表すとき、アクセントのない部分を小さくする手もあった(歌に通じてたりして)。

卵の配給

2017-04-19 12:46:21 | 日記
近所のスーパーのタイムサービスで「卵1パック99円。500円以上の買い物をした人一人1パック。先着500名」。その時間になると雨後の筍のように人が湧いてくる。で、卵売場に行くと、なんと列ができてて店員が手渡しをしている。まるで配給だ。その列が長い。店内をぐるぐる回ってる。まるで若冲の展覧会。ちょっと隙間があいてるから列の最後だと思って並ぶと「横入り」と言われる。あっちこっちで「列の最後がどこだか分からない」の声。店内、険悪。刃傷沙汰がおきたらどうしよう。新聞に載るだろう。「足立区のスーパーで卵99円に群がり○名死傷」とか。そんでもって、列が解消したら棚にまだ残ってる。結果論としては列に並ぶ必要はなかった。レジでもあちこちで悶着。夫婦らしきカップルがかごに2パック入れて並んでいたのだが、レジの直前で奥さん(?)がひょいとどこかに行ってしまった。残された亭主(外国人)が不安そう。そのままレジの順番が来てしまった。で、レジのおばさんに「お一人様1パックなんです(怒)」。それに対して奥さんがいるということを説明できない。長身をさらに伸ばして(キリンのようになって)奥さんを捜す。よっぽど「もう一人いましたよ」とお節介をしようかと思ったらおばさんも察したらしく無事通過。そうかと思えば、ちゃんと二人いても合計が1000円に達してなくて1パックとりあげられるカップルもいた。足立区(の私の居住地域)は、卵を買うのも大仕事なのだ。ちなみに、今わが家の冷蔵庫には卵が使いかけのも入れて5パック入っている。セールのたんびに買ってるとたまるときはたまる。生の卵はうんと日持ちがするのだ。それでも、セールがしばらくないとあっという間に在庫切れ。

休戦協定

2017-04-19 09:06:52 | 

いつもはあんなに仲が悪いのに、やっぱり姉妹だ。時期によっては休戦協定を結んでくっついてる。そう、冬は暖かいこたつの中で両端に別れて暖を取る。でもこの時期、こたつに火は入ってない。それでも朝晩はちと冷える。だからだね。

パクチーに異変

2017-04-19 09:01:47 | 日記

ベランダのパクチー、ここにきてすくすく伸びまくってると思ったら、先端の葉っぱの形状が変わってきた。とげとげになってきた。花でも咲くのだろうか。今、どんどん収穫して朝ラーメンの具にしているのだが、少し残して様子を見るか。

ふぐり再考

2017-04-18 23:29:46 | 言葉
(承前)「ふぐり」の意味をぼかしたところで「ふぐり」自体にそう言う意味があるのだから、「〇〇」と言わず「ふぐり」と言うこと自体が十分恥ずかしいはずなのだ。悪い日本人留学生に放送禁止用語を教えられた外国人がその用語を連呼するのを聞いた私は十分恥ずかしかった。かのチェリストのヨーヨーマもそうした外国人の例にもれず、銀座の街中でいけない言葉を連呼したそうだ。そう言えば、今やってる朝ドラでけなげなお母さんを大好演している木村佳乃さんは、中井貴一さんと共演した映画で放送禁止用語を見事に言い切ったことが話題になっていた。結局、どんな言葉でも聞く人によって恥ずかしかったり恥ずかしくなかったりってことだ。「ゆな」しかり、「Venusberg」しかり(後者で赤面するのはお医者さんとヴァーグナー・ファン)。因みに「ふぐり」は「ふくろ」が訛ったという説がある。因みの因み、昔の朝ドラの「あぐり」、「ugly」はちょっとひどい名前じゃないの?と思ったら、「アグリカルチャー」(農業)からとったんだって(実在した方のお名前)。「あぐり」の主題曲のヴァイオリンは素晴らしかった。「あすか」のオーボエも良かったなぁ。