拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

電子書籍の暴走

2024-04-30 09:27:40 | 日記

電子書籍の端末は二代目なのだが、これがときどき暴走する。私は、本は専ら電子書籍で読んでいる。容量の少ないヤツでも2000冊以上入るから家の中でも外出時の鞄の中もかさばらないで済むし、なにより字を大きくできる点が大きい(私が電子書籍を利用する決定的理由がこれ)。ところが、その端末がときどき勝手に、エンドレスにページめくりを始める。始まったら容易には止まらない。まるで、「ゴジラ×メカゴジラ」で政府がゴジラ対策に開発したメカゴジラがゴジラを撃退した後に言うことを聞かなくなって暴走し、街を破壊し尽くしたごとしである。初代(メカゴジラの初代ではなく、電子書籍端末の初代)は、こんなことはなかった。もしかして使用法に問題があるのかもと思って様子を見てる間に保証期間は過ぎてしまった。まあ、毎回というわけではない。この世に完全なモノなどないのだから(人間の健康を含めて)、がまんして使っていこうと思う。発症したら、また発作だ、と思うことにして。上記のメカゴジラもエネルギーが切れたところで暴走は止まった。

その電子書籍で最近読んでたのが夏目漱石。その内容は「猫」「坊ちゃん」「草枕」「倫敦塔」「虞美人草」「坑夫」「夢十夜」「文鳥」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ(朝ドラ「こころ」との関連性はない模様)」「道草」ってところ。この読書を通じて、私は漱石及びそれをとりまく人々が上級国民であることを思い知った。主人公は大概帝大出であり、登場人物の住む家は皆、門構えで女中を雇っている。私は、これまで漱石ファンを自認してきたが、こういう感想を持ったのは今回が初めてである。それも当然、漱石ファンを名乗っていても、結局何度も読み返したのは「猫」と「坊っちゃん」だけ。猫は帝大を出ていないのは当然だし、坊っちゃんは、これは漱石の小説の主人公としては珍しく現在の東京理科大学の出身である(中学のときの理科の先生が同大の出身で、「坊っちゃん」と一緒だと言って自慢していた)。だから、分からなかったのである。そう言って、文句を言いながらも今回これだけ読んだのはなぜかというと、上級国民でも「愛情のもつれ」「不倫」等々については庶民と変わるところがないらしく、そのあたりの心のひだがこと細かく描かれていて、読み応えがあったからだ。そういえば、青山の某高級スーパーのレジに並んでたいかにもおハイソな親子が相続問題かなにかで親戚ともめているらしく、大いに親戚の悪口を(大声で)話しているのを聞いて、おハイソな人達も人生の問題を抱えてるんだなぁ、そういうときの人の悪口を言う様子はおハイソも庶民も同じか、あるいはおハイソなほど激烈なんだなぁ、と感心(?)したものである。

例外は「坑夫」。家出した青年がポン引きに引っかかって炭鉱で働くことになる話。ここで描かれる世界は、他の作品とは真逆の世界。なんと、女性が立ちションをする(私は、自分が間違って読んだのかと思って読み返した。間違っていなかった。因みに、そのとき私の脳裏に浮かんだのは寅さんの口上の中の「ちょろちょろ流れる御茶ノ水……粋な姉ちゃん立ち小便」であった)。労働者の生活も劣悪で、朝ドラ「あさが来た」に登場する炭鉱夫のガラの悪さもこういう実体を知って初めて理解できるものだと思った。炭鉱内の描写も微に入り細に入っている。その中で、各坑道には最底につながる落とし穴があり、そこから掘った石を落とす様は、ブラタモリでも描かれていたからよく分かった。漱石がなんでこのような世界を知ったか不思議だったが、なんでも、実際にそういう体験をした人が漱石を訪ねてきて語ったのだと言う。それでも、「上級社会」がちらっと顔をのぞかせるのは、主人公の青年。もともといいウチのお坊っちゃんで学校に通っていたのだが、三角関係のもつれで生きにくくなって家出をしたのである。

今回、かなり漱石を読んだ。まだ遺作の「明暗」が残ってるが、これは未完の作品だから今回はいいだろう……と思ったが、漱石の小説の終わり方はどれも未完ぽい。なら同じか、だったら読んでみよう。ということで、漱石の上級社会からの「卒業」は少しだけ延びそうである。



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