浜ちゃん流

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ラマダン挑戦中 Satoko's diary 2021/4/28

2021年04月28日 | 日記
Satoko's diary


今日はイスラム教のラマダンについて。


日本人にはあまり馴染みがないと思いますが、ラマダンという言葉やラマダン=断食という意味で知っている人はいると思います。


ラマダンとは、ヒジュラ暦 ( 太陰暦 ) における聖なる月という意味があり、この聖なる月にムスリム ( ムスリム=イスラム教徒の事 ) は日の出から日没にかけて一切の飲食を断って空腹や自己犠牲を経験するというものです。飢えた人の苦しみに共感し、平等を分かち合うことでムスリム同士の連帯感が増し、それによって多くの寄付 ( ザカート ) が行われることも目的にあるようです。


期間


マレーシアは今、ラマダンの期間中です。ラマダンは1ヶ月に渡って行われ、今年は4月13日から始まり5月12日に最終日を迎えます。30日間の断食明けにはハリ・ラヤといって皆でお祝いをします。


柔軟性と受容性に優しさを兼ね備えたマレーシア人の精神は、このラマダンによって培われたもののような気がします。人生の憂き目にも寛容に応対している姿には感動すら覚えることもあり、彼等のよいところを学び、理解したいと思うようになった私は皆と一緒にラマダンの断食に挑戦してみることにしました。


断食のやり方


断食のやり方ですが、日が昇っている間は一切の食べ物や飲み物を口にせず、30日間を過ごします。朝は5時50分頃に夜明け前の食事を必ずとってから日没後の19時20分前後まで断食を行います。日没後の食事の時間になると近くのモスクから詠唱が流れてきてそれが断食開けの合図となります。


マレーシアでは断食のことをプアサと言い、毎日の断食明けのことはブカプアサ ( ブカ=明けること、プアサ=断食 ) と言います。



Selamat Berbuka Puasa!
(セラマット ベルブカ プアサ)



と皆で声を掛け合って日没後の食事をとります。😋


共感、平等以外の意味


ラマダン中は飲食を断つだけではなく、喧嘩や人の悪口を言うことなども許されず、他にも断たなければいけない欲がいくつもあり、欲を断って自分自身を清めていきます。身体という入れ物に精神が宿っていると考えるイスラム教において、その入れ物に精神が支配されてしまわないように修行するという意味合いがあるようです。


子供たちも参加


ムスリムの子供達は7歳くらいからラマダンに参加をするそうです。 ( もっと小さい頃から参加する子もいるとか。 ) とはいえ、やはり育ち盛りの子供にとって断食はきつく、発育にもあまり良くないので、子供ルールとして最初は半日だけ頑張ったり、どうしても辛い時には我慢しないで食べることも許されるそうです。


私のラマダン挑戦は今日で16日目となりました。現在のところ体調不良もなく元気に継続できていますが、実は2日目にうっかり日没前に食べてしまうという失敗をしてしまいました。😓


周りのムスリムたちは『 無意識に食べてしまったり、飲んでしまったりということは実は私たちもやってしまうことがあるのよ。』と。そっか。😊

『断食に耐えられなくて食べたり飲んだりしたのでなければ、それは断食破りにはならないのよ。 』とも言ってくださいました。

うっかり食べてしまわないように気をつけなければ…

以上、ラマダン体験中の日記でした。






ラマダンと関係がないけど、写真を2枚↓






マスジッド・スルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー(Masjid Sultan Salahuddin Abdul Aziz Shah)

ブルーモスクの愛称で親しまれているマレーシアで一番大きなモスクです。イスラム教徒以外でも内部を見学できるそうですが、現在はコロナの影響で中止されてます。







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