VIVA! HOUSEKEEPING

高野山・町石道の神田地蔵堂と横笛


さて先日 町石道で高野山に参詣した時 毎度の九度山駅でMAPをゲトった
ブランニュウ・マップになっており これまでの南海電鉄の(↑)より紙が丈夫是

九度山町・産業振興課が發光してるんでしょうかね
あ 先日の山行の写真 キャーメラが帰ってきたので ウプしています

で ルート詳細が書かれており 其れを見ながら 古道を復習していた処…
ふと いつも氣になる 神田地蔵堂について 書かれていたものを読む

神田地蔵堂のある神田の里は 古来より丹生都比売神社に米を奉納してきた
つまり 神田(こうだ)とは 神様の田んぼの地 という意味である

平安鎌倉期には 参詣者の休息場で お堂は 悲劇のヒロイン・横笛が
滝口入道を慕い 逢うためにこの地蔵堂で待ったとされる… とある

おおおおお これはこれは 安珍清姫に通ずる 悲恋の物語なのか???
って事で 飲みすぎてしんどい脳をフル回転させながら 色々と調べてみた

悲恋物語は平家物語の中にも登場 江戸時代には浮世絵の題材となっている

平家物語では 横笛なる女性は建礼門院に仕えていた 雑仕女(ぞうじめ)である
雑仕女は 高貴な女性に仕える召使いのことで 下働きの身分である
しかし 清盛が催した花見の宴で横笛の舞う姿に 斎藤時頼は心を奪われたと伝わる
斎藤時頼は 平清盛の子 重盛の家来とされている
おそらくは白拍子だったろう(清盛の愛妾仏御前や 義経の静御前などが有名)

横笛に一目惚れし恋文を送る時頼 しかし横笛からは何の返事もなく懊悩の日々
時頼は横笛を正室にしたかったようだが 相手は今をトキメク 平家一門
自分は雑仕女 一途な思いは逆に恐かったはずであり いい加減な返事は出来ない

時頼の振る舞いは 父の耳に届くようになり 厳しく諌められる
この時の時頼 わずか19歳 身の上を憂い 出家する

可哀想なのは取り残された横笛 時頼が父の命に刃向かって出家したと聞けば
抑えに抑えていた思いが 横笛の中ではあふれ出したことは 容易に想像される

恨めしさは恋しさと同義 いやそれ以上の激しさを表す言葉であろう
ついに嵯峨野にて 出家した時頼の居場所を 探し当てる
そして横笛への思いを断ち切ったはずの時頼も その姿に 心乱れる

時頼は横笛への思いを断ち切るため 嵯峨野を離れ 女人禁制の高野山へ
偉大なる高野聖となった それはを乗り越えた のなせる技であろう

しかし、いつの時代も人の心を動かすのは 理屈で封じたものではなく
情に生きた横笛の姿である そして 様々な後日譚が作りあげられていく

もっとも哀れなのは 絶望した横笛は川に身を投げて命を絶つというもの
恐らく史実ではないかと思われる しかしそれではあまりにも哀れ過ぎるので
平家物語では 法華寺で剃髪して出家し 失意の中この世を去った とある

それはモウ 情が念へと転じて カチカチになったものとなっている
横笛にもう一押しの強さがあれば おそらく彼女は清姫のように蛇に転じて
時頼を追い詰めて 焼き殺すことも できたかもしれない

法華寺では 今も大切な存在として 横笛が生き続けている
さらには 法華寺以外にも横笛庵 横笛の像 が残されているようだ

中には 時頼から寄せられた千束の恋文で自らの像を作ったというのもある
それらは全て、人々の胸の中で生き続けた 横笛の姿なのであろう

そして 人々はさらに横笛を生き続けさせる 高野山に上がった時頼を慕い
横笛もまた 神田のある天野の里に住み着いたという 後日譚である

モチロン女人禁制の高野山に赴けないので 一番近くまでいける神田の地蔵堂
此処で時頼を待ち続けた 来るあてもない男を ひたすら地蔵堂で待ち続ける

それも又人生… ちがう それも又 多く人が横笛に期待した姿なのだろうか

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「Life」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事