ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

高級車「センチュリー」も、安く購入することが可能である(私も買おうか)

2024-04-18 00:00:00 | Weblog

(私にとっては)ちょっと面白い記事がありました。昨年9月~10月の過去記事であることは乞うご容赦。


議長車のセンチュリー買い手募る 五所川原市が一般競争入札
杉田基2023年9月22日 10時45分

 青森県五所川原市は、市議会議長が使う公用車として使用していた「センチュリー」(トヨタ、2000年式)を公募型一般競争入札で売却すると決め、買い手を募集している。市は今後、議長車をリースに切り替える予定という。

 入札される車は、オートマチック車で、総排気量4990cc。走行距離は約17万7888キロメートル(7月24日時点)に達し、車検は切れている。入札は10月17日に実施し、49万5千円以上の最高額を提示した人に売却する。

 入札希望者は10月6日までに申込書の提出が必要で、希望者は同日まで実車を見ることもできる。問い合わせは市管財課管財係(0173・35・2111、内線2172)。(杉田基)

で、その結果がどうなったかというと・・・。

「宝くじが当たった感じ」 市議会議長の公用車「センチュリー」を一般競争入札で購入した男性は・・・ /青森・五所川原市


購入価格約1000万円の最高級セダン約50万円で落札 青森県・五所川原市の議長車センチュリー入札参加はただ1人

青森テレビ
2023年10月17日(火) 16:11

青森県五所川原市が市議会議長の公用車として使用してきた最高級セダン「センチュリー」の一般競争入札が17日行われました。購入価格約1000万円の高級車の落札価格は?

五所川原市が全国から買い手を募っていたのは23年前に五所川原市と合併前の旧市浦村が村長の公用車として購入した「センチュリー」です。市によりますと入札は17日10時半に始まり、事前に申し込んでいた人は複数にいましたが実際に参加したのはたった1人だけ。

「センチュリー」は市が示していた最低価格の49万5000円で落札されたということです。個人情報保護のため落札者は明らかにしていません。

市は管理・維持費のやり繰りが厳しいことから車検が切れたタイミングで買い手を募集していました。市の担当者は「落札された方に大切に乗っていただければと思います」と話しています。

上の記事では、落札者名が伏せられていますが、こちらによると、


五所川原市議会議長の公用車「センチュリー」 一般競争入札で売却
2023.10.17(火) 18:45

青森県五所川原市の市議会議長の公用車として使われていた、トヨタのセンチュリーです。市は、この車を一般競争入札で売却することを決め、17日に入札が行われました。センチュリーの行方はいかに…。

センチュリーの印象を街で聞いてみると…。

【女性】
「総理大臣が乗っていて、周りは護衛がいてという、そういうイメージです」

【男性】
「高級車じゃないでしょうか」
「選ばれた人しか買えない車っていう感じですね」

センチュリーは、1967年に初代がデビュー。現在のモデルは、およそ2000万円する高級車で、天皇陛下の御料車や、自治体の公用車としても使われています。

【大熊ちひろ記者】
「シートはとてもフカフカしていて、乗り心地は良いですし、足も十分に伸ばせるほどの広さがあります」

このセンチュリーは2000年式で、走行距離はおよそ17万8千キロ。テレビや座席のヒーターも付いています。

五所川原市は、市議会議長の公用車として使ってきましたが、ここ3年、毎年平均でおよそ20万円の維持費がかかっていました。

そこで、一般競争入札、最低価格はおよそ50万円で買い手を募集したのです。

そして17日、入札にやって来たのは…。

青森県六ケ所村在住の木村良雄さん、75歳。自動車整備士として15歳から東京で働き、今は不動産の賃貸経営などをしています。センチュリーに乗るのが昔からの憧れで、すでに1台所有しています。

最低価格の50万円について、青森市の中古車販売会社に話を伺うと…。

【MYカーセレクト 宮本和人店長】
「車屋(中古車販売店)で購入となると、100万円以上は間違いなくする車ですし、市の公用車っていうことで、メンテナンスとかもちゃんとしていると思うので、乗る方からすれば、良好な状態で安く手に入る良い車だと思いますよ」

競争相手がいなかったため、木村さんが最低価格でセンチュリーを手にしました。

【木村良雄さん】
(Q.どうですか、センチュリー入札終えて)「良いね。良いね」「良いでしょ。見るからに良いでしょ」

エンジン音を確かめたり、ボンネットを開けたりするなどして、愛らしく隅々まで確認していました。

【木村良雄さん】
(Q.今どう映っていますか)「私から見たら3000万円ぐらいの宝くじが当たったという感じ。宝物ですね」

やや長い記事で申し訳ないですが、センチュリーについての基本的なことなども書かれていますので、全文引用しました。木村さん、落札おめでとうございます。

まずは、Wikipedia「トヨタ・センチュリー」をご参照ください。

それで五所川原市のHPにこの件の公売のサイトが残っていましたので、乞うご確認。表 はスクリーンショットとします。


不用品売却のお知らせ(車両)
売却済み ※今年度の申込は終了しました。


売却方法
一般競争入札により売却します。

※予定価格以上の最高額で入札した方に、その金額で売却することを決定します。

物件の公開
期間 令和5年9月4日(月)から令和5年10月6日(金)まで (閉庁日を除く)

時間 午前9時から午後4時まで

場所 五所川原市役所 公用車駐車場

写真を。

上の写真の出典はこちら

上の写真の出典はこちら。五所川原市の公売のページにあるPDFです。

出典はこちら。2枚目の写真の、左上のものと同じ写真ですね。こちらの方がアップですね。

センチュリーに関しては、拙ブログでも数回記事にしています。

ついに私もゴールド免許を持てる

私がかつて乗った車も、ものすごい走行距離だったはず

上の記事で私は、


でもどっかからトヨタの「センチュリー」でもゆずってもらってのってみるのもいいかも。周辺から特異な目で見られそうです。


私は車を持っていませんが(免許は持っています)、たとえばセンチュリーのような車に乗ってもいいかなと考えています。もちろん中古車です。

と書いていますが、今日にいたるまで私は、「センチュリー」を購入はしていません、今回五所川原市が公売したセンチュリーは、2000年式というので、2代目 GZG5#型 (1997年 - 2017年)ですかね。初代は、初代 VG2#/3#/4#型 (1967年 - 1997年)で30年続き、2代目は20年、現在の3代目は3代目 セダン UWG60型 (2018年 - )です。今回公売されたセンチュリーは、走行距離178,888㎞だそうですので、年式2000年7月で、車検満了が23年7月となると、平均すれば1年あたり7,777kmくらいですかね。

というわけで、トヨタのHPを拝見しますと、いろいろなデータが書かれています。どっちみち新車を買う気はないので、私が興味があるのが中古車です。新車の価格は、トヨタのHPによれば、


価格20,080,000円(税込)

だそうです。そんな金ないし、あったって違うことに金を使います。もっとも私がこのブログでくりかえしとりあげている元予備校講師である佐藤忠志氏(故人)は、家を売った金で(自称)1億円の高級車を購入、激怒した奥さんが家出、まもなく近所に100円を借り歩くようになり、生活保護の受給をするようになってしまいました。その数か月後に自宅で孤独死(死体がすでに傷んでいる状態だったとのこと)する始末です。それはご当人の不徳のいたすところということであり、私としては同情はしませんが、極端な発達障害やおそらくは過度の飲酒などによる認知症の発症(これは私の勝手な意見ですが、少なくとも精神的に購入を我慢ができない状態だったと思います)は、氏の非常識な浪費癖をさらにひどくしたと考えられます。彼には、たぶん財布を強力に握ってくれる人が必要だったのでしょう。佐藤氏が、自分の収入を好きに使えるようにし続けたのは、最終的に文字通り致命的に彼の首を絞めました。

“年収2億カリスマ予備校講師・金ピカ先生…朝からビールの日々「生きる屍です」”

金ピカ先生・佐藤忠志さんは、なぜ絶望したか

話がやや極端な方向へ走りましたが、当方仮に車を買うとしたら、センチュリーを買えば、それが人生最初で最後の車の購入になるかと思います。5年~10年くらい乗れば、手放してしまえばいい。中古でどうかといいますと、この記事を書いている2024年3月9日午後8時50分~9時20分くらいの段階では、次のような状況です。

以上のような価格から考えるに、やはり五所川原市の公売価格はかなり安いですね。車検切れというのが大きな理由でもあるでしょう。こんな記事も過去に配信されています。
 

2021年1月14日注目記事
公用車センチュリー40万円
でネットオークション 長野

自治体の高額な公用車に批判の声が出る中、長野県は、公用車として使ってきた高級車「センチュリー」を、インターネット上のオークションサイトに40万円で出品しました。

出品されたのは、長野県が平成12年に1134万円で購入した高級車「センチュリー」で、市場価格を踏まえて最低落札価格は40万円に設定したということです。

自治体の公用車をめぐっては、兵庫県で採用された「センチュリー」のリース費用が高額になっているという批判が出ていて、長野県にも、使用する理由などを尋ねる問い合わせが寄せられていました。

県によりますと、ほかの公用車に比べても使用頻度が低く、購入から20年が経過していることなども踏まえて出品に踏み切ったということです。

オークションへの参加は来月3日まで受け付け、来月中旬に入札を行うということで、下見会も3回予定されています。

売り上げは、県の一般財源として新型コロナウイルスの対策費用などに充てるとしています。

県では、平成27年にも別の「センチュリー」を出品していて、最低落札価格18万円に対し、落札価格は44万4444円だったということです。

長野県財産活用課の中村嘉光課長は「県にもいろいろな意見が寄せられたが公用車として大切に使ってきたので、ぜひ高い値段で落札してほしい」と話しています。

それでこの時の落札価格は、こちらによると、
 
公用車『センチュリー』165万円で落札 最低落札価格の4倍 購入から20年で走行距離6万キロ 県「予想上回る金額でありがたい」

長野放送
2021年2月26日 金曜 午前11:07

長野県がインターネットオークションに出品していた公用車「センチュリー」が、最低落札価格の4倍にあたる165万円で落札されました。

県が出品していたのは、2000(平成12)年に1134万円で購入したトヨタ「センチュリー」です。知事公用車として導入されましたが、その年に当選した田中康夫知事(当時)は「高級すぎる」として乗らず、部局長の共用車として使われてきました。

ただ、部局長も車内が広く打ち合わせもできるミニバンタイプに乗ることが多く、走行距離は20年で6万キロ程度と使用頻度も低かったことから売却することになり、最低落札価格を40万円に設定してインターネットオークションに出品していました。

県によりますと、今月18日から25日までに25の個人や団体が入札に参加し、165万円で落札されたということです。落札者とは近く契約を結ぶ予定で、売り上げは、県の一般財源にあてられるということです。

長野県財産活用課では、「予想を上回る金額で落札していただきありがたい」としています。

というわけで、五所川原市よりはだいぶお高めですね。たぶん7万キロと18万キロ弱という走行距離の差もあるのでしょう。またこの公売では、25もの参加があり、単独参加の五所川原とはずいぶん違います。

というわけで、新車はさすがに手が出ませんが、中古ならお買い得の物件もあるはず。ここはねらい目かもです。

仮にセンチュリーを購入したら、乗る際はなるべく黒い服を着て、サングラスをかけて運転したいと思います。高速道路のサービスエリアなどでは、相当に嫌がられそうです。

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天候は最高だったが、桜はあまり楽しめなかった(京都ほかのソメイヨシノはあまり咲いていなかった)

2024-04-06 00:00:00 | Weblog

3月31日と4月1日に桜見物に関西に出かけまして、奈良県某所と大阪市某所、京都市某所に行きました。遺憾ながらあまり桜を楽しめませんでした。

実は今年、3月17日、24日、31日の日曜日を中心とする桜見物を旅行の予定に入れていまして、今年は開花予想が遅くなるという状況を見て、「31日、1日は、京都は桜が満開だ」と確信したのですが、遺憾ながら外れてしまったわけです。しょうがないですよね。こういうのは、事前になかなか予測できるものでもない。

が、ともかく写真は撮影しましたので、日曜から桜紀行をお見せしますので、あまりぱっとしない写真となってしまいますが、ご覧いただければ幸いです。

それにしても天気はきわめてよかったですね。この時期の京都では、私はけっこう雨に遭遇しています。

青春18きっぷで行った関西紀行(京都で花見)(1)

京都・大阪の桜2017年(京都編)

京都の桜(2021年3月)(哲学の道-1)(2)

天気が非常に良い年に、桜を観ることができなかったというのは、こちらもそうでしたね。

大神神社で桜は見られなかったが、橿原市で宮崎市の観光親善大使の女性を見ることができた(前編)(4月15日更新)

もっともタイトルにもあるように、この時は観光親善の女性がいたから良しとすべきか。

ともかく例によって大量の写真を撮影しましたので、乞うご期待。

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森永卓郎氏は、「悪液質」という状況だと思う(非常によろしくない)(追記あり)

2024-04-03 00:00:00 | Weblog

2日続けてinti-solさんの記事からヒントを得た記事です。

良い方に予想が外れたようですが

経済アナリスト(エコノミストですかね)の森永卓郎氏の闘病に関する記事です。読者の皆さまもご存じかと思いますが、森永氏は、現在がんを患っており、だいぶ痩せてしまっています。

「このままでは桜は見られない」ステージ4のがんが判明した森永卓郎さん 闘病で「妻」へ、「生きること」へ、“思い”が変化|TBS NEWS DIG

動画からのスクリーンショットが下です。先月3月22日撮影とのこと。

森永氏といえばかなりの肥満体だったのを、某社の協力も得てだいぶ体重を落としましたが、いうまでもなく現在は、あまり健康的な痩せ方ではありません。ただ某社以前にも豆腐などを食してダイエットに成功はしています。下の写真の出典はこちら。撮影年月日は不詳。

それはともかく、森永氏の状況は、おそらく悪液質という状況かと思います。Wikipediaから引用すれば、

癌悪液質は非小細胞性肺癌膵臓癌消化器の癌(胃癌大腸癌)のほか、転移が進んだ悪性腫瘍で起きやすい。筋肉皮下脂肪が減り、「癌にかかると痩せる」という状態を引き起こす。抗がん剤が効きにくくなるほか、床ずれが起きやすくなったり、体力が落ちて歩行や入浴、排泄などを自力でしにくくなったりして生活の質(QOL)の低下を招く

というわけです(注釈の番号は削除)。以前こんな記事を書いたことがあります。

千葉真一を尊敬していたことで知られる今井雅之の、死の直前の記者会見と舞台挨拶の動画を見てみた(その他のがんで亡くなった著名人の姿)

その記事で紹介した今井雅之逸見政孝川島なお美の痩せかたはひどいものです。また

同じ種目の金メダリストが2人もがんで50代で死去するというのは、やはり身体を痛めつけすぎたということもあるのか(記事発表日の追記)

で紹介した古賀稔彦

強さ(パワー)を売っていたアスリートがガンで早逝すると、やはり物悲しく感じる

でご紹介した山本KID徳郁斉藤仁平尾誠二などは、明らかに悪液質だったと思います。

そういうわけで森永氏の病状は、非常によろしくないと思われます。いまあげた人たちの写真は、拙記事のBNを読んでいただくとして、たとえばこちらの方はどうか。

アイスホッケーのヘッドコーチだったパット・バーンズ(Pat Burns)です。もともと左の写真のような太った人でしたが、肺がんと肝がんを患い、2010年に58歳で亡くなっています。

渡辺美智雄です。写真の出典は、こちらから。いつの撮影かはわかりませんが、下の写真のころと比べるとだいぶ痩せています。下の写真がいつ頃の撮影かは不明。

出典は、こちらより。下の写真のころは痩せているかな。彼は、すい臓がんを患っていました。

1988年死の前年の手塚治虫です。彼は胃がんで亡くなりました。写真の出典はこちら。下は、1985年の撮影です。出典はこちら

それにしてもどの人も、たかだか数年で、ここまで痩せるかと驚きます。ともかく悪液質になると非常によろしくないということになります。inti-solさんは、


ご本人が「理想」という「あと2年生きる」が実現できるかというと、「原発不明癌の終末期」という診断名、動画で拝見するお姿から察するところ、極めて厳しいだろうなと思わざるを得ません。

とお書きになっています。私も正直そう思います。他人様の余命のことでめったなことは言えませんが、あまり見通しが明るいとは思えません。

inti-solさんに感謝して、この記事を終えます。

4月4日追記:bogus-simotukareさんが、この記事に関する記事を発表してくださいました。

「悪液質」で手塚治虫「ブラックジャック」を思い出す

手塚治虫が、『ブラックジャック』で悪液質に関する作品を発表していたことが紹介されています。手塚は医者でしたから、自分が胃の手術をした、ひどくやせた、となれば、自分の容体がきわめて悪いことは覚悟していたのでしょう。自分が60歳の若さで死ぬであろうことを覚悟したのは、彼にとっても極めて残念なことだったとあらためて思いました。bogus-simotukareさんありがとうございます。

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このブログの仕様について

2024-04-01 00:00:00 | Weblog

今日は新年度初日ですので、継続読者には何をいまさらですが、このブログの仕様について書いておきます。なおこの記事は、当然ながらpoisson d’avirilの記事ではありません。

このブログのリード文には、


映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

とありますが、映画や旅行以外にも実際にはいろいろなことを書いています。それこそ社会問題から美女までです。前は美女のヌードをご紹介していましたが、gooの規制が厳しいので、最近は掲載していません。

基本的に土日週末と祝日、あと私が何らかの理由でブログ更新ができない時期には、旅行の記事を発表しています。旅行ネタはいろいろありますので、お楽しみください。

社会ネタも力を入れています。基本的に、「社会時評」「北朝鮮・拉致問題」のカテゴリーで記事にしていますが、それ以外のところで発表していることもあります。左派・リベラル系を支持する記事が多いと思いますが、私の意見に賛同してくださらない方も、「こういう意見の人間もいる」くらいに認識してくださればありがたく思います。ほかにもスポーツなどいろいろ書いています。

このブログも、森友浅田真央関係など、いろいろ物議をかもす記事を発表していまして、ひところは、大要こいつのブログを攻撃しろなんていうものが流れたりしてこのブログへも「てめえ!!!」というコメントをさんざんいただきましたし、しまいには某テレビ局からの取材もあったくらいですが、まあなんとか現在もしつこく継続しています。このブログの目的は、いかに安倍晋三のことを悪く書くかということもその1つでしたが、まさかあのような形で安倍が死ぬとは思いませんでした。当たり前です。安倍殺害現場にも、暗殺の直後にさっそく訪れたくらいです。

安倍晋三が殺害された現場に行ってみた(追記あり)

もっともトレイシー・ハイドの記事などのように、読者の皆様から喜んでいただいた記事もあるのは、せめてもの救いですかね。トレイシーとは、その後交流会でお話をする機会にも恵まれました。このトレイシーについて初めて書いた記事が、拙ブログが最初に注目された記事であると思います。

トレイシー・ハイドについて、いくつかのことが判明する(追記あり)

マーク・レスターとトレイシー・ハイドの神対応に感動する(2人に挟まれた写真、2人とのツーショットも撮れたし、直接の会話、握手もできた!)(2)

あ、もちろんアニセー・アルヴィナのことが一番重要です。彼女が2006年に亡くなったから、私はこのブログを立ち上げる決意を固めたのです。彼女については、彼女が生まれた1月と亡くなった11月にはなんとか記事を書くようにしていますが、なかなかネタがないのも現実です。このブログのアニセー関係の記事を心待ちにしてくれている方もいらっしゃるので、ここは微力ながら私も記事を書いていきたいと思います。

いろいろ話題の幅が広いので、昨日かなり真面目な北朝鮮や拉致問題の記事が発表されたら翌日はセクシー系の記事が出ることもありえます。そのあたりはご承知のうえで、このブログを読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。

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来週から関西の桜の写真をお見せする予定

2024-03-31 00:00:00 | Weblog

このブログは週末は旅行記事を発表しておりまして、本来なら本日も当然そうするべきですが、いろいろあって本日は旅行記事そのものでなく予定記事を。

旅行記事は、原則時系列で発表していますが、やはり桜と紅葉の記事は、なるべく撮影後早い時期に記事にしたほうがいいかなと思いましたので、来週(4月6日)から現在花見中の関西の花見の写真をお伝えします。どれくらいの量の写真を撮れるかは撮影中ですのでどれくらい桜の写真が続くかは未定ですが、今回は京都府と奈良県の桜の写真を撮りたいと思います。

具体的にどこを行く予定かは、記事にしてからのお楽しみということにさせていただきますが、ごってり写真を撮りますので来週からの週末を乞うご期待。

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女性アナウンサーのスカート着用偏重も、ある程度は変化しているのかもしれない

2024-03-08 00:00:00 | Weblog

先々日の報道より。

【今月8日は 国際女性デー】全在京テレビ局の女性アナウンサーらが集まり…学生を応援

「国際女性デー」を前に関連イベント 女性アナウンサーらがキャリアやライフプランをめぐる悩みなどについて話し合う 民放各局とNHKがキャンペーン|TBS NEWS DIG

これ自体は実質的なものというより一種のイベントでしかないのかもしれませんが、登場したアナウンサーたちの服装を見ると、パンツ系が主流ですね。以下動画からのスクリーンショットを。

真ん中にいるのが、TBSの久保田智子です。久保田って、すでにアナウンサー職ではないのですが(報道でも「記者」という肩書です)、若手でなくあえてそれ相応のご年齢の方々を出しているということで、ここにいるのですかね。いや、彼女がコーディネーター(の1人?)なのかも。最近では特別養子縁組制度(彼女自身もそれにより一児の母)の関係でいろいろ話題になっているかと思います。

それはともかく7人中5人がパンツ、2人がかなり長めのスカートですね。私が、スカート偏重じゃないかと指摘しているNHKアナウンサーの1人である伊東敏恵も、今日は白いパンツです。一番左です。

たぶんこれが、20代の若手を集めたものであれば、こうはいかなかったと思います。おそらくスカートが主流になったでしょう。が、これがもうちょっと以前であれば、たぶん40代~50代の人たちを集めたとして、スカートの人が多かっただろうと考えます。そしてスカートもより短めだったのではないか。たぶんそうです。そう考えると、社会もある程度変化しているのだなとは思います。

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珍名さんているものだなと思った(明月院秀政)

2024-02-20 00:00:00 | Weblog

先日の記事を。


元小結千代大龍、判定負けもダウンせず「パンチもらったけど、相撲の立ち合いの方が強い」【ブレイキングダウン11】
2024年2月18日 16時54分

  元小結千代大龍の明月院秀政(35)が18日、プリズムホール(東京ドーム内)で行われた1分間格闘技「BreakingDown(ブレイキングダウン)11」に参戦した。

 相手は元パンクラスライト級1位の金田一孝介。0―5の判定負けを喫したが、155キロの体重で前進し金田一のパンチを浴びても一度もダウンを奪われなかった。
 2022年九州場所中に引退し、都内で焼き肉店「みいとらんど」を経営。今回は白血病を患う友人を元気づけるために出場したという。「昔から応援してくれてる友だちが治療を頑張ってるから。そのダチのためにやった。12年も相撲を取って、人のために取ったことなかったから」。試合後は「すがすがしい」と笑顔を見せた。
 「そうとうパンチをもらいましたけど、相撲の立ち合いの方が強い。相撲をやってたときは唇を8針、9針縫ってたからね」とノーダメージだった。金田一からも「強い。倒れない」という言葉をもらった明月院は4月にも別団体の格闘技に参戦予定で、将来は「小銭を稼いでも意味がない。1兆円稼ぐ男になりたい」とビッグなビジネスマンの道を歩んでいく。

「明月院」というのは、本名です。私も、「え!? これ本名?」と思って確認したらそうでした。Wikipediaより。


千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ、1988年11月14日 - )は、東京都荒川区出身(出生地は葛飾区)で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は明月院 秀政(めいげついん ひでまさ)

で、これは珍名だなあと思ったわけです。早速確認しましたところ・・・


【名字】明月院
【読み】めいげついん

【全国順位】 調査中
【全国人数】 およそ10人

とのことで、それが事実なら、ほぼこの一系にしかいない特異な名字なのではないですかね。ところで、この記事を執筆している2月19日現在の同じサイトのアクセスランキングに、

とあります。私のように、「珍名だ」と思った人が多いのでしょう。

それにしても上のランキングにある「五百城」や「黄川田」「七五三掛」「毎能」なんてのも珍名さんですよね。「肉丸」というのもこれももちろんほとんど聞きませんが、しかしまだありそうなものを感じないでもありません。

日本人の名字の数は、10万~30万種あるとされ、実数はつかみ切れていませんが(公的な統計がない)、移民国家ならどんな姓もありですが、非移民国家である日本の国情をかんがみると、これはなかなか面白いものがあります。1度に姓をつけたのでそうなった(オランダもご同様)という話もあります。いろいろ興味深いところです。ただ今後海外から日本に来て国籍を取得する人が増えると思いますので、また名字の種類は増えるでしょうし、逆に人口減で消滅するものもあるはず。なお下の記事で取り上げた人物(元警察官。下の記事の件がたたって職を追われる)もそうとうな珍名です。

これはかなりの珍名だと思う(大したことのない犯罪者の実名を書くのはどうかだが、警察官なのですこし厳しく)

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1970年ごろのフランスの高校生の女の子はまだスカートが主流だったが、75年ごろはすでにパンツ(ズボン)主流のようだ

2024-02-08 00:00:00 | Weblog

昨日下のような記事を書きました。

昔の感覚では、「かわいい」という程度のものだったのだろう(1975年発売の絵本)

それで、服装の変遷というので、次のような記事も過去に発表しています。

1980年ごろのフランスでは、すでに女の子の日常の服にスカートは少なくなっていたらしい(日本でスカート文化がまだ残っているのは、制服の影響も強いのではないか)

自分の読んだ記事を再読して、こんな疑問が生じました。

「で、1980年より前はどうだったんだ?」

さっそく調べました。以下1970年ごろのフランスの高校生の写真です。

出典はこちら。時代を反映してかミニスカートですね。

出典はこちら

出典はこちら

以上7枚の写真の出典はこちら

では1975年(ごろ)の写真を。

出典はこちら

出典はこちら

出典はこちら

出典はこちら

出典はこちら

出典はこちら

1970年の時点では、当時のフランスの高校生の女の子たちは、スカートを着用している女の子の方が主流ですが、75年になるとパンツが大多数のようですね。5年間でフランスの女の子たちの服装の嗜好はだいぶ変化したらしい。こういうのは居住地でもだいぶ事情は異なるでしょうから(たぶんですが、パリあたりのほうが、女の子のパンツへのシフトは早かったのではないか)一概には言えませんが、だいたいそういう傾向はありそうです。

以下は、参考写真です。1970年のフランスの小学校の女の子の写真です。

出典はこちら。では1975年の小学生の写真を。

出典はこちら。わりとスカートが多いですかね。

下は中学生の73年~74年ごろの写真です。

出典はこちら。ちょうどスカートとパンツの過渡期ですかね。スカートをはいている彼女らの多くは、高校生の際にはパンツにシフトしていたわけです。

最近欧米の映画を見ても、スカートはいている女の人(女の子)いないなあですね。こういった傾向は、どんどんそうなるのでしょう。むしろ日本をふくめたアジア諸国にスカートが残っていそうです。が、去年の夏に旅した韓国では、スカートの女の子見かけなかったな。年末年始に旅したタイ(バンコク)では、わりとミニスカートを見かけました。どちらもいずれ記事を発表するので乞うご期待。

こういうことを調べるのも結構面白いので、気が向いたらまた調査してみます。

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「夢を語る公園」を訪れた(2005年1月18日に起きた事件のご遺族の想い)

2024-01-18 00:00:00 | Weblog

1月8日に福岡市を訪れまして、その際にぜひ訪れたいところがありました。福岡空港近くにある「大井北公園」です。ここは、別名を「夢を語る公園」といいます。変わった名前ですが、以下のような経緯があるわけです。


CA目指す娘を失った公園にベンチ寄贈…両親「夢を語り合う場に」、福岡3女性連続殺害事件から18年
2023/01/18 15:00

 「 福岡3女性連続殺害事件 」の被害者の一人で航空関連会社で働いていた福島啓子さん(当時23歳)が亡くなってから、18日で18年となった。事件現場の大井北公園(福岡市博多区)には10日、両親がベンチを寄贈。「夢を語る公園」との愛称が付けられた。愛称には、客室乗務員を目指していた一人娘をしのぶ両親の「夢を語り合う場にしてもらいたい」との願いが込められている。(水木智)

 北九州市在住の福島さんの父、敏広さん(66)と母の和枝さんは10日、寄贈した桜御影石製のベンチに腰掛け、啓子さんとの思い出を語っていた。その直前、啓子さんが運航に携わっていた航空会社の飛行機が公園の上空を通過していた。「偶然とは思えない」。2人はそう言って、目に涙を浮かべた。

 啓子さんは2005年1月18日早朝、福岡市東区の自宅から、職場がある福岡空港に出勤中、この公園で鈴木泰徳元死刑囚(2019年に死刑執行)に包丁で刺されて亡くなった。

 敏広さんによると、啓子さんは航空関連会社で運航支援の仕事をしながら、客室乗務員を目指していた。事件当日も歩いて仕事に向かう時間にCDを聞いて、英会話を勉強していた。

 両親は05年秋、「啓子がさみしい思いをしないように」と、事件現場となった公園に、市の許可を得て自分たち3人家族になぞらえて3本の桜を植えた。それ以降は毎年春、桜が満開になる頃に公園を訪れ、啓子さんの元同僚らと思い出などを語り合ってきた。

 敏広さんと和枝さんがベンチの寄贈を思い立ったのは昨年5月のことだ。啓子さんと面識はないものの、「啓子さんのように自分も頑張りたい。たびたび公園で手を合わせている」と話す空港関係者がいることを知ったからだった。「月日がたっても、啓子が希望を与えている」。そう感じた敏広さんは、福岡市長に「『夢を語る公園』の実現にお力添えを」と手紙を2度送り、ベンチの寄贈を申し出た。

 敏広さん夫妻の思いを知った市は、町内会に掛け合い、公園に敏広さんたちが提案した愛称を付けることにした。ベンチは桜御影石製(幅150センチ、奥行き45センチ、高さ40センチ)で、桜の木のそばに設置された。「夢を語る公園」の愛称はベンチに刻まれ、公園入り口の看板にも記された。

 啓子さんの元同僚で、同市南区の宮本理英子さん(43)は「事件を知らない人でも、啓子さんのことを知るきっかけになるはず。事件の記憶は風化してほしくない」と願う。元同僚たちは10年ほど前から毎年、福岡空港から公園までの約1キロの道のりを清掃し、公園で手を合わせてきた。今年も命日の18日に清掃を行う予定だ。

 敏広さんと和枝さんにとってこの公園は、娘を失った悲しみと犯人への憎しみ、絶望を感じさせる場所だった。しかし、啓子さんのことを思う人たちに救われ、少しずつ気持ちの変化も生まれたという。

 啓子さんは大学時代、「夢を語る会」というサークルを作り、友人らと将来の目標を語り合っていた。「ベンチに家族や恋人、友人同士で座り、お互いの夢や悩みを語り合ってもらいたい。そのことが、娘の夢をかなえることにもなるはずです」。敏広さんはこう話している。

福岡3女性連続殺害事件  2004年12月~05年1月、福岡県飯塚市や北九州市、福岡市の公園や路上などで女性3人が相次いで殺害された。福岡県警は05年3月、福島啓子さんの携帯電話を持っていたとして、鈴木泰徳元死刑囚(当時35歳)を占有離脱物横領の疑いで現行犯逮捕。その後、強盗殺人容疑などで再逮捕した。鈴木元死刑囚は強盗殺人などの罪で死刑が確定し、19年8月に刑が執行された。

下が、Wikipediaです。

福岡3女性連続強盗殺人事件

動画もはりつけておきます。

CA志望の23歳が殺害“凶行”の公園にベンチ~遺族の意向で「夢を語る」場所に

それで1月7日日曜日に、この「夢を語る公園」を訪れてみようと考え、翌日の午後4時すぎに福岡空港に到着しました。行きは空港から向かうことにしたのです。

空港から公園に向かいます。

空港の近くですので、大きな看板やレンタカー屋が立ち並んでいます。

この歩道橋を渡ります。

水路も越えます。

真ん中に見えるホームセンターの横あたりに公園があるはずです。

西に位置する福岡ですが、1月初旬ですので陽も早く暮れます。

雲の形がきれいです。

いよいよ近づいてきました。

事件を想うと、このようなオブジェについても複雑な心境になります。

公園です。建物は、保育園です。保育園に隣接する公園で、このひどい殺人事件があったのです。

祝日の夕方ですので、私以外には近隣住民らしき夫婦が犬を連れているだけでした。

よくこんな何の遮蔽もないところでこのような事件が起きた(起こした)なとあらためて絶句しました。2005年1月18日の福岡市の日の出は、7時22分ごろのようですので、この事件が発生した午前5時30分ごろ(時間は、Wikipediaより)は当然真っ暗だったわけですが、それにしてもです。あまりに異常な犯行と言わざるを得ない。

それにしても保育園の隣の公園での殺害ですか・・・。保育園の保育士さんたち、保護者の方々のショックもちょっとやそっとのものではなかったのではないか。

正式名称が「大井北公園」、愛称が「夢を語る公園」です。

といいつつ、まだベンチを見つけていないことに気づきます。どこでしょうか。

パンダや、動物の遊具もあります。

こちらがご両親が寄贈されたベンチです。紙飛行機が描かれているのがポイントです。看板にも紙飛行機の絵があります。啓子様のお父様の講演の際は、参加者の方々ともども紙飛行機を飛ばすそうです。下に、お父様のブログ記事をはりつけます。

飯塚講演

私のカバンです。写真は掲載しませんが、私もベンチに座らせていただき、セルフィ―を撮りました。

本日は祝日なので、保育園も静かです。

帰りはバスを利用します。時間が近づいたので、本日はこれでお暇します。

最後にベンチを眺めました。あらためて犠牲者の方のご冥福をお祈りしました。

バスで博多駅に向かいました。

引用記事にもありますように、この公園には、ご両親により3本の桜の木が植樹されています。また今年も来年も、美しい花を咲かしてくれることでしょう。来年は、事件が起きて20年となります。

なおこの記事において、犠牲者の福島啓子様とご遺族であられるご両親の福島敏広(敏廣)様と和枝様、および死刑執行済みの鈴木泰徳元死刑囚につきましては、引用記事にも実名がしるされておりますので、拙記事におきましても原文通り実名を記させていただきました。またこの記事を書くにあたりまして、敏廣様のブログにコメントを投稿させていただき、この公園を拙ブログの記事に取り上げることのお許しをいただきましたこともあわせてご報告いたします。

成人式

なお福島敏廣様のブログはこちらです。

 

 

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2026年1月~4月から、映画を観る本数と旅行に行く回数を減らすこととしたい

2024-01-09 00:00:00 | Weblog

2025年度(2025年4月~26年3月)に、アルゼンチン・ウルグアイ紀行を予定しています。で、この旅行を一つの節目にして、私は数年間海外旅行と国内旅行に行く態勢を縮小したいと考えています。

海外旅行は、東南アジア1回、韓国1回、台湾と、香港・マカオ(深圳も入るかも)、中国本土のどれかに1回行くという体制にします。韓国だけは、毎年行くことにします。つまり海外は、年間3回行きます。逆に、欧州やアメリカ大陸、アフリカなどにはいかないつもりです。

国内旅行は、関西の桜と京都の紅葉は絶対外せないとして、あとは、2回か3回どこかに行くという予定にしたいと考えます。2泊以上の旅は、年3回とします。あとは1泊の弾丸旅行です。日帰りは、ここでは考えないこととします。すると年間7回か8回の旅行で、これでも行かない人よりはずっと行っていますが、この何年かのように毎月行っているという態勢は、維持しません。

映画も、年間200本以上映画館で見るというのは、2026年1月からは100本あるいはそれ未満にしようと思います。旅行は年度で映画は暦年なのは、映画の本数は毎年暦年で本数を数えているからです。いずれにせよ平均すると月8本くらいの鑑賞になるので、映画を観るのも相当に精選していくこととなりそうです。

予定では数年間これを継続しようと考えておりまして、3年~5年くらいそうして、その後はまた考えるとしたいと思います。いずれにせよ将来的には、映画と旅行三昧の人生を送る予定です。ここ数年間かなり映画と旅行には気合を入れておりまして、映画はたくさん鑑賞していまして、旅行も遠くには行っていませんが、国内はわりと行っていますして、ここでちょっと数年間一休みしようかなと考えます。少々張り切りすぎたような気もします。

週末と祝日には旅行の記事を発表するというこのブログの仕様は維持したいと考えていますし(現在よりも1回あたりの写真の掲載数を減らすことになりそうです)、また予定が変わるかもですが、とりあえず今後もよろしくお願いします。

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