ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

昔の子どもは、極端に短い半ズボンをはいていた(ドラマでの服装の設定も、かなり安直)

2021-05-10 00:00:00 | 映画

あんまり映画の話でもないかもですので、後半に映画関係の話をしてみます。

最近1979年~81年にTBS系列で放送されたアクションコメディ刑事ドラマとでもいうべき『噂の刑事トミーとマツ』を観ています。大映テレビ制作のいわゆる「大映ドラマ」でして、制作者側の予想を上回って視聴率がよかったので、中断を挟み全106回(第1期65回、第2期41回)放送されました。したがって出演俳優のスケジュール調整がつかなくなる、あるいは新レギュラーの番組が決定したりで、主要登場人物の降板などもありました。志穂美悦子の降板(多忙による模様)や林隆三の降板(たぶん『ザ・ハングマン』主演のため)など。現在CSのTBSチャンネル2で5月27日まで放送されているので、興味のある方はご覧になってください。

それで話はドラマの内容とは関係ないですが、ちょっと興味深いことを。第1シリーズ第58話から。

巡査部長への昇任試験に合格しようと勉強している松崎しげる

捜査中の事件の重要参考人男性の息子(顔見知りという設定)が声をかけるシーンと

事件解決後、松崎が少年にがんばれよと励ますシーンです。それでこの少年の服装が、すさまじく短い半ズボンですね。最近の子どもでこんなのをはいていることはありえない。さすがにこれは、そうとう短いズボンかと思いますが。

これは、次の回(第59話)からですが、さすがに先ほどの少年ほど短くはありませんが、それにしたってこれお気づきでしょうが、冬の撮影ですからね。この撮影が行われた時代は今より寒かったはずで、子どもも寒くなかったとは思えない。なお58話のエピソードは、受験の不正に関する内容です。その季節に合わせてのものだと思われます。

それにしてもほんと当時は、女の子はミニスカート主流、男の子は半ズボンという時代でしたね。ちなみにこれは1970年公開の映画『ひまわり』での1シーンです。出典はこちらより。

ソフィア・ローレンの後ろにいる当時のソ連の女の子たちに注目。みんなミニスカートです。米国や英国の女の子がみんなミニスカートということはないとおもいますが、日本とかソ連のようなやや周縁(?)では、半ズボンはともかく確かにミニスカートは主流だったということですね。ちなみに当時のソ連の成人女性は、老若問わずほとんどがワンピースを着ていたようです。少なくともモスクワでは。下の記事を参照してください。

1960年代終わりのソ連(当時)の女性は、ほとんどみんなスカートをはいていた

またこちらの記事ともつながるかと思います。

長きにわたって読まれている絵本からしてそうなのだから、1970年代のテレビ番組がそうであっても何ら問題ではなかったのだろう

ところで上の番組を観ていて気づいたのですが、これは、松崎しげると少年、違う日の違う場所の設定なのに、2人とも同じ服装じゃないですか(苦笑)。刑事役の松崎氏のほうは、まあ同じような服ということもありとしても、少年すらまるっきり同じです。いや、それは同じ日に連続して撮影したことは理解するけどさ。

しかし当時は、そういうこともめずらしくなかったように思います。このブログでもしょっちゅう言及する『ウルトラマンレオ』の第1話から。画像は、こちらから。YouTubeからのスクリーンショットですので、画像が悪いのは乞うご容赦。

これは、主人公(真夏竜)の模範演技を見学しているこのドラマの出演者たちです。後列左から、藤木悠丘野かおり伊藤幸雄、前列丘野かおりに、肩に手を置かれている少女が、富永美子(現冨永みーな)です。

主人公の模範演技に拍手する富永美子の写真を、読者サービスで紹介します。彼女は、真夏氏になついていたとのこと。ドラマでは「ゲン兄ちゃん」とか呼んでいましたが、2019年現在も「真夏のお兄ちゃん」と呼んでいました。

理由は知りませんが、このドラマでもう1人の主要登場人物である新井つねひろは、この前後編である第1話、第2話には出演していません。これはこれで変な話。

次の写真は、主人公が防衛組織MACに入隊したことを喜ぶ藤木氏たちですが、すみません、藤木氏の最初の服がわかりにくいのですが、同じシャツです(苦笑)。設定は別の日じゃん。いや、それは多忙な藤木氏が、最大限早急に撮影をすませる必要があるのはわかるけどさ。1974年当時藤木氏はかなり多忙で、おそらくその多忙さ(下でご紹介するムックで、主演の真夏氏もそのようなことを語っています)と『レオ』の視聴率の悪さと石油ショックのための予算不足、制作費高騰に対応できなかったのでしょう、第1クールは8話出演しましたが、第2クールで出演が途絶え、たぶん最後の出演という前提で第22話でわりと長い時間出演し、そこで番組を降板しました。番宣ポスターでも(大物ですから当然ですが)大きく登場していたんですがね。それにしてもポスター、藤木氏は一緒に撮影していないのが明々白々ですね。

余談をしますと、番宣ポスターに記載されているクレジットでは、藤木氏はいわゆる「トメ(一番最後)」の位置(スラッシュが入っている別格ぶりです)にいて、これが藤木氏の立場のわけです。ドラマのクレジットでは、藤木氏は真夏氏の次である2番目、トメは森次晃嗣氏でした。またこの番宣ポスターに出ている4名のうち、最後まで出演したのは真夏氏だけです。森次、丘野のお2人は、40話で降板します。視聴率低迷により、どうも真夏氏にも交代の話もあったようです。

ウルトラ特撮 PERFECT MOOK vol.09 ウルトラマンレオ (講談社シリーズMOOK)

それでこれは、ほかもおなじようなものです。画像が用意できないので、リンク先をご覧になってください。『レオ』第18話です。上から4枚目の写真と下から2枚目・3枚目を。丘野、新井、富永のお三方の服がまったく一緒です(苦笑)。それはさあ、同じ日の撮影であることは理解するけどね(笑)。こんなのは、ほかにもいろいろあります。31話でも、病室でお見舞いするシーンと、退院して玄関口にいる丘野かおりさんが、同じ淡いグリーンのワンピースで一緒です。同じ日じゃないでしょうに(苦笑)。多分当時は、まだ家庭内録画もできない時代で(発売直前か非常に高価な時代だったはず。確認したら、ベータマックスが1975年、VHSが1976年の発売)、ソフトもレンタルあるいは発売もなく、ネット配信なんてもってのほかの時代ですから、確認するには再放送くらいしかチャンスがなかったので、そういうあたりは非常に安易だったのかもしれませんね。なお『レオ』31話の病院は、前に私が訪れた病院だったようですね。当時は、ロケによく利用されていた病院だったようです。こちらの記事を参照してください。また下の拙記事も、よろしければご確認ください。

「赤いシリーズ」「ウルトラシリーズ」のロケ地の現在(いま)(成城・祖師谷編)

最後になりますが、丘野かおりさんは、1975年1月の放送(第40話)で『レオ』を降板し、同じ1975年に芸能界から身をひきました。引退の事情は定かでありませんが、その後は一切芸能界と縁を切って生活をしています。「あの人はいま・・・」のような番組や特撮本のインタビューなどにも応じていないようです。彼女にも、アプローチはされているはずですが。彼女についてもまた記事を書いていきたいと思いますので乞うご期待。なおリンクをいたしました「美女・特撮・ドラマ」の管理人様に感謝を申し上げます。こちらのブログさんは、たぶん日本でいちばん丘野かおりさんにこだわっているサイトです。


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