ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

池波志乃は、父親である十代目の金原亭馬生によく似ている(祖父や叔父には大して似ていない)

2024-06-14 00:00:00 | Weblog

旧聞で恐縮ですが、俳優の中尾彬が亡くなりましたね。記事を


俳優 中尾彬さん死去 81歳 映画やドラマなどで活躍
2024年5月22日 18時41分 

貫禄ある演技で映画やテレビドラマで活躍し、バラエティー番組でも人気を集めた俳優の中尾彬さんが、今月16日に心不全のため亡くなりました。81歳でした。

中尾さんは千葉県木更津市の出身で、武蔵野美術大学在学中に日活ニューフェイスに合格し、俳優の道を歩み始めました。

渋い声と貫禄のある演技で、個性派俳優として活躍し、映画では、1993年以降、平成の「ゴジラ」シリーズに出演したほか、「極道の妻たち」や「アウトレイジビヨンド」など話題作に出演しました。

NHKでは大河ドラマの「秀吉」や「龍馬伝」をはじめ、「ハゲタカ」など数々のドラマに出演しました。

こわもてで悪役のイメージがある一方、マフラーをねじって首に巻く個性的なファッションでバラエティー番組に出演しユニークな発言でご意見番として人気を集めました。

また、妻は俳優の池波志乃さんで、おしどり夫婦としてさまざまな番組に2人で出演し親しまれました。

所属事務所などによりますと中尾さんは、ことしに入り足腰が悪く体力も落ちていたということです。

それでも、時々、仕事をしたり、旅行に向けたリハビリに取り組んだりしていたということですが、今月15日に容体が急変し、翌16日に心不全のため自宅で亡くなったということです。81歳でした。

妻の池波志乃さん「中尾彬らしいね~と笑って送ってあげて」 
中尾さんの妻の池波志乃さんは「今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」などとコメントを発表しました。

以下は、高橋英樹とGACKTのコメントがあり、また地元の人たちほかの追悼の言葉がありますが、省略します。

上の記事にもあるように、中尾の奥さんは、俳優(記事でも「俳優」とあります。NHKは、昨今「女優」という表記は控えるようにしているようです。私も原則「女優」というのは使わないこととしています)の池波志乃です。池波志乃とは、落語家の(以下3名はみな故人です)10代目金原亭馬生の娘であり、ということは5代目古今亭志ん生が祖父であり、叔父は、3代目古今亭志ん朝ということになります。なお志ん生と志ん朝は、その名を継ぐ者は現段階いませんが、馬生については、11代目が現在活躍中です。まずは1978年に放送されたという動画を。

親子談義

久米宏も(当然)若いですね。なお馬生はこの収録4年後に食道がんで亡くなっています。

で、私が何をいいたいかというと、記事のタイトルにもありますように、池波志乃って父親によく似ているということです。が、父方の祖父や叔父にはあまりにていません。ということは、馬生も父親や弟ともあまり似ていないということです。写真をいくつか。

馬生、中尾、池波です。馬生は、仕事以外にも日常生活でも着物を着ている人物でした。

馬生です。

池波志乃です。親子で顔がよく似ています。

古今亭志ん生です。顔の系統は、ちょっと違います。

馬生と古今亭志ん朝兄弟です。1975年の撮影とのこと。

これはなかなかいい写真です。

馬生が亡くなったときの写真ですかね。マイクを持っているのは志ん朝、位牌をもっているのは奥さん? 右にいるのは中尾ですかね。

なお金原原亭馬生の孫(次女の美濃部由紀子の子ども。池波志乃は子ども無し)がいまして、彼は1995年生まれで落語家となり、2018年に 二ツ目に昇進しています。金原亭小駒です。ことによったら彼が、12代目(あるいはそれ以降)の金原亭馬生になるんですかね? 

そして、顔はというと・・・馬生にも似ていないし、志ん生とも違うし、池波志乃とも違いますね。あえていえば、志ん朝と雰囲気が似ているかも。

ところでこのブログでちょっとこだわっている映画に『誘拐報道』という映画がありまして、中尾と池波のお二人が出演しています。一緒のシーンに出ているわけではないのですが(中尾は、主人公の萩原健一を追いつめる悪徳高利貸、池波はショーケンと関係をもつ主人公地元の女)、やっぱりこれ夫婦の共演という意味合いがあったのでしょうね。ここで気づいたのですが、馬生が亡くなったのが1982年9月13日、映画の公開が同じ年の25日で、ほぼ同じ時でした。

なぜかDVD(あるいはBD)化されない映画(1)(『誘拐報道』)

映画「誘拐報道」のモデルとなった人物の30年後

なお全くの余談をつづけますと、金原亭馬生は、日本共産党の支持者でもありました。下の記事でご紹介しましたように、1973年(志ん生の亡くなった年です。選挙は7月で、志ん生は9月に亡くなりました)に執行された東京都議選で、共産党の支持者の中に彼の名前を見ることができます。

1973年の都議選における各政党を支持する有名人

馬生は、当時の都知事だった美濃部亮吉美濃部家つながりです。志ん生の本名は美濃部孝蔵、馬生が清、志ん朝が強次、池波志乃が旧姓美濃部志津子、その妹が美濃部由紀子、息子の金原亭小駒は美濃部清貴(馬生の本名「清」からとったのでしょう)、馬生らの姉で本なども数冊出している長女が美濃部美津子で、彼女は昨年(2023年)99歳で亡くなっています。馬生が54歳、志ん朝が63歳の若死にでしたが、放蕩や不健康のはなはだしかった志ん生が83歳と当時の男性としては長生きだったのも、たぶんですが、彼と娘は長生きの遺伝子を持っていたのでしょう。馬生と志ん朝はそれを受け継いでいなかったのでしょう。なお菅原道真の子孫を称しています。ご先祖の話は、はりつけた動画で、馬生も話をしていました。

余談ですが、志ん生の次女の方は「喜美子」という名前で、3文字の「子」終わりの名前がみな共通していますね。ラストは、志ん生と池波志乃の写真です。


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