
2年生の教室前には、東日本大震災が起きた昨年3月11日の次の日の新聞が掲示されています。
まもなくあの大震災から1年が過ぎようとしています。
当日私は前任校で通常の勤務についていました。お世話になっている地元駐在所の警察の方が3月を持って定年退職されると言うことで、生徒会主催の感謝の会を催すために本人に来てもらい打合せをしていたときでした。宮城で震度7の地震が起きたと警察無線に連絡が入り、その警察の方はすぐ派出所に戻りました。

地震後、前任地の職員はすぐに手分けして、自分の管理している担当教室の被害状況をチェックをして周りました。幸い被害はありませんでしたが、当日の部活動は中止してすぐに全員を帰宅させました。NHKの画面は徐々に高くなっていく海面を映し出していました。私のよく知る宮城県の名取市の海岸も津波に覆われていく様子がリアルタイムで放送されて絶望的な気持ちになったことを今でも思い出します。
大学時代の友人とも「とんでもないことになった」というメール後、まる3日間は連絡が取れなくなりました。その後、幸いなことに友人は全員無事だと確認できました(被害は相当ありましたが・・・)。
行方不明者を含めて19,000人以上の犠牲者を出した、この未曾有の大震災を風化させないことが我々の使命だと思います。
芽室町でも哀悼の意を表し、半旗を掲げます。