

我家は私が成人前までは、両親と姉と私の四人家族の構成でしたが、
卒業後に始めての就職した際には、本田技研工業(株)に勤務することになり、
埼玉県にある会社の独身寮に入居していました。
自分が30才前後までは、両親もまだ若い(現役世代)ので大丈夫であ
ろうと思い、自由気ままに生きていきたいな、と思って生活していました。
その当時に出会った、人生の先輩に教えて頂いた言葉なのですが、
ご両親は健在ですか?、一番の親孝行である事で、子供が成すべき
やならければいけない事とは、 「親の死に水」 を取ってあげる事
なので、いつでも心の中に留め置く様に。と貴重なお話を教えてい
ただきました。
「死に水を取る」 とは、仏教儀礼の中で、故人がお亡くなりなった後
脱脂綿に水を浸して、故人の唇を浸してあげる(水を飲ます)行為であり、
その事を子供達が行う事こそが、その親の子に生まれた最大のお役目、
であり、それを行う事が出来なかったとか、その場に居ることが出来なったとか、
の記憶は子供としての一番の後悔するべき事でなり、親の最大の無念であると
も言われている大事な事なのです。
宗教、宗派、など様々な儀式、儀礼も世の中には存在するとは思いますが、
臨終の時に、親の死に目に会えない。などであるとすれば、親子としての
お別れの言葉が交わせない 時 を失う事である事は、人間誰しも共通している
ふるまいだとも思います。
仏教では、火葬や葬式の前に、故人に 「死に水 を与える事」 が残さ
れた家族が大事な供養する儀礼であると共に、親の事を思う、子の 心
の表れでもあります。
私には、息子一人、娘二人がいますが、息子には同居しなさいとか
地元に住みなさいとは、言うつもりは全然ありませんが、
ただ唯一、男に生まれてきたのは兄弟の中で一人であるので、名字の
タカハシ を何処に暮らしていても絶やさず名乗る事を忘れずにいる事、
もし自分に子供の男の子が生まれたら、タカハシ の性を名乗り、
人生を過ごしていく事を伝えていって欲しいと、幼い頃から何度か
話してはいます。どこに暮していても、我が家の墓守りは、長男に生まれた
息子の役目でありますので、親から子へ、子から孫へ繋いでいく事が、
私達に日本人が、過去から未来へ繋いでいける、性の正当な流れで
もあるからだと思うからです。(霊統)
子供は、私達、親が想像している以上の強く光る 無限∞の光り
を持っています。
親の解釈や一方的な都合で、光羽ばたく意識を 解放してあげない事は、
無限の光りが、夢幻の光りに なってしまう事です。 又、解放してあげ
なければ、混濁の世の中を生き抜いていこうとする 独立心の芽も
つぶれ、何も体験する、体現する事や情報力も 養えません。
特に男性なら人生の波を船で渡るか?泳いで渡るのか?
人生の道を、自動車で進むのか?バイクで進むのか?自転車で進むのか?
歩いて進むのか?では、リスクも保全する内容も解決する方法さえも
異なってきます。百聞は一見にしかずの体験が、一番の財産だと思います。
自分自身が通るべき道は無く、道無き道を歩いて来た跡だけが、自分の道であります。
強く光る光りが、精錬する魂に変化する様に、可愛い子には旅をさせる
事こそが、人間培ってきた無償の愛でもあり、正に、迷わず行けよ、
行けばわかるさ、の真髄であり、神髄を与えていただける事にも
繋がっていくだと思います。

