3月10日は私の祖母の告別式が行われ、満年齢100歳の誕生日の日でもありました。
私の祖母は、逝くその瞬間までとても元気で、当日も酸素マスク越しに民謡を歌ったりしてい
た、元気な姿のまま旅たっていきました。
私の祖母だからと言う訳ではなく、本当の仏心と仏縁の人で、本物の「生きながらに成仏して
いる」菩薩行者の人でした。
十代で実家から嫁ぎ、30歳で夫を戦争で亡くし、以来、未亡人として女で一つで子供ら三人
を育てあげました。
祖母の嫁いだ家は、旧家で地元でも盟主の家柄でしたが、祖母はその家の長男に嫁ぎ、
家を守る為に必死に日々働き、農家にも励みました。
本人は、仏教に帰依し、信仰心が厚く、会話をしていると、最後には
ナンマンダー。ナンマンダー。と唱えるのが常の口癖の人でした。
七年前、母の兄が病で倒れ、病院で危篤状態になっている時に、
この状況では祖母は心配するので、知らせないでおこうと、近親者で話していたのに
いつの間にか病院でさえ知らせていないのに、既に祖母が息子である私の伯父の枕元
に着いていて 「お前はこのようになるように、生まれてきたんだからな。」と 言いながら、
やさしく、やさしく、髪を撫でていました。
年老いて、今、息子が逝こうとしている時でさえ、祖母は「無常の悟り」を伯父に教えようとし
ているのでした。
その姿を見せられた時、「この祖母に仏心とはどこから来ているのであろう。悲しいはずなの
に、気丈に微笑んでいる、この強い魂とはどれだけの苦労と信仰心がある人なんだろう。」
と言葉が出てきませんでした。
その伯父も祖母と同じように、家から分かれた子孫、親類だけでなく、「皆に平らに、平らに」
の信念を強く持ち、地域社会に貢献していた人でしたが、それは祖母の強い信仰心と
「無常の悟り」の手本の実践をそばで見てきたからだと思います。
祖母の満年齢99歳の誕生日には、白寿のお祝いを盛大に開催し、その一年後の満100歳
の百寿の誕生日のお祝いをする事にしていた、平成26年3月10日の告別式で、縁をした皆
さんとお別れする事は、祖母が望んでいた事、陰徳を積んできた生涯が仏縁となり、始めか
ら既に決まっていた事だったのではなかったかと思っています。
葬儀の帰り道、私と母が車で自宅に帰る途中、自宅の方向に今まで見たことのないとても
明るく輝いている緑色の流れ星を見せられました。
祖母は迷うことなく、祖父と伯父と一緒に逝った姿が見えました。
祖母が生前、「皆に平らに、平らに」として、第一に他人を思いやってきた縁を、私も一生忘れ
ずに、人生の師としての感謝を、自分も実行して行きたいと思っています。
上記の写真は、昨年祖母が満99歳白寿のお祝いに総理大臣からいただいた賞状です。