安保法制、誰が考えても不思議なことですが、それが当然のごとく決議されています。
同時に選挙権の引き下げ。
自衛隊の軍隊化に向けての規制事実の構築。
徴兵制度の確立のために周囲から固めていくことがうかがえます。
これまでに流された血によって、私たちは平和を与えられました。
これを自ら放棄するならば、先に待っているのは悲しみの繰り返しだけです。
6月5日法制審議の特別委員会で、他国軍の軍艦等を自衛隊が重火器を使用して守るということが審議されました。
また、中国とアメリカの間で緊張が高まる、南シナ海を想定した議論まで持ち出されました。
自衛隊が他国軍を守ることができるのは、「集団的自衛権の発動」だけはありません。
自衛隊と行動を共にしている他国の軍隊、これらを「日本の防衛に資する活動をしている」と見なし、その状況下で不測の事態が起きた場合も、自衛隊法75条によって「武器等防護」の規定まで拡大されました。
この審議で注目されたのは、南シナ海での監視活動などに自衛隊が参加する場合、アメリカ軍の軍艦を守ることができるとされ、「日本の防衛に資する活動」とみなす。
そのような見解が示されたことです。
「守る」という大義名分によって自衛隊は、自衛隊という名の「軍隊」となって行動します。
アメリカのボディガードとなるためには、それに見合った装備が当然必要です。
日本国籍または日本の商社が発注した「民間船」を守るため、いくら行動しても限界があったことは理解します。ただ、これらを踏み台にして話がすり替えられて、アメリカ軍とともに「何」を手に収めようとしているのでしょうか。
自国を守るために血を流す決意は持っても、不用意な、何の正義か不明な行動に巻き込まれ、流した血が無駄になるようなことはやめてほしいと思います。
命の火が消えるのは自衛隊という「物」じゃありません。
日本国民なのです。
それは「人」であり
あなたの大切な「子供」であり
あなたの大切な「友」であり
あなたの大切な「恋人」であり
あなたの大切な「父」かもしれません。
未来は誰がためにあるのでしょうか。
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