三重県津市内の小学校で、いじめ問題で騒がれている校長先生が自殺した。
残念で仕方が無い・・・。
過激になる、生徒の親族に耐えかねての選択だったのだろう。
自分の命も守れない人たちに子供は守れない。
ただ考えて欲しいのは、彼らは教職を通じて健全な子供達に育成しようと努力している人たちである。
そこに全てを投げ掛けるのは、単純な責任回避の方法であると私は考えます。
年齢は低いとはいえ、他の生徒はどうしていたのか。
いじめを目撃した通行人は。
家族の行動は、警察と職員だけでよかったのか。
様々な最悪の結果に至るまでの防止策は、他にあったのではないだろうかと残念の一言。
私だったら、生徒に直接出向いて“大人の話し合い”をする。
親の前に・・・。
警察と職員に何を期待しても良いが、その結果が自分達に都合の良いものとは限らない。
でも、私のような対応を出来るか否かを話しているのではなく、家族間であっても心の通じ合いが“希薄”になってのが原因で、みんな被害者なのだと感じます。
大津市で亡くなられた生徒さん、津市で亡くなられた校長先生もその被害者です。
校長と新聞等の記事に書かれること自体が、今の日本を象徴している気がしてなりません。
正確には“校長先生”なのです。
校長は役職であって、尊い存在であり、敬意をもって“先生”と呼ぶべきなのに・・・。
悪い子供を叩かないでなんとかしてくれと言ったのは私達です。
その結果、正しくない安全が保証されて“学校が自由化”しました。
授業中でも歩き回る子供・・・。
PTAの役員になっていたら、悪がきの生徒でも問題なし。
どうですか、この件について何か責任を感じませんか?
yoytubeで小学生に中学生が暴力を振るっている動画が話題になっていますが、注意しなければどこでも発生する危険があります。
私も公園で小学生5年生が小学2年生に対して集団でいじめている光景をみたことがあります。
一喝して全員集めて諭しました。(履いていた靴で全員正座させ、頭をひっぱたきましたが・・)
“誰からも期待されない人間なるなと”
大人が周囲に沢山居るのに誰も見ない振り・・・。
変な大人は私ひとりで十分ですが、残念に思いました。
注意できない理由はひとつ、後が怖いから。
大津市の学校での説明会で、説明の冒頭になぜ“黙祷”をしないのかを攻め立てられている映像がありました。
なぜ攻め立てるのでしょう。
黙祷を捧げる時期じゃない。
黙祷することで彼は戻らない。
原因の究明と再発防止、行為による責任を果たさせることについての意見を求める場なのに・・。
ましてや、亡くなった自宅に焼香に出向いた人は何人いるのでしょうか。
他人の子供が亡くなったことより、自分の子供をなんとかしての“個人的希望”の場にすりかえられた感じがしました。
いずれにしても、“いじめ”というのは心が傷つく問題で、自殺の練習や、恐喝、暴行は立派な刑事事件ということを知らせるべきだと思います。
全員学校に集めても“いじめ”として扱われている限り、この問題は進展は絶対にしませんね。
これは立派な犯罪なんですから。
集団で暴行したら、現行犯が成立し、正当防衛の範疇で第三者に叩かれても文句のひとつも言えず、その後、警察で聴取されるのが世の中の決まりごとなんです。
暴行、傷害を彼らに良く説明して、人の命の尊さを説いて欲しいものです。
彼らが前科者になる前に・・・。
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