絵日記

「世の中の役に立つ」ものではなくただ「絵でしかない」ものを描いてみたいな、と。

絵の描きはじめ

2024-05-31 09:08:04 | 絵画

幼稚園に入ると、友達はたいていこんな絵を描いていたかな。

私自身もたぶん、似たような絵を描いていたのかもしれない。

今どきの幼児でも、こんな絵を描いているのかな。たぶん、描いているのだろう。

駅のワッフル屋さんの壁には、子供たちの描いたたくさんの絵が貼りだしてあるけれど、

似たような絵が多い。近所のスーパーが「母の日」に募集する子供たちの絵も、こんな

感じ。

幼児には、ある程度「記号」を読み取る能力が生まれつき備わっているらしい。

赤ちゃんは、黒い二つの点を母親の眼として認識するという話を読んだことがある。

私は幼児の認識力について詳しいわけではないけれど、ウチの息子も赤ん坊のとき、

私が指で自分の顔の眼を吊り上げると怖がったし、目尻を下げると安心した。

つまり、幼児は、複雑で捉えづらい物の形(顔)から必要な情報を抽出して記号として受け取る能力を

持っているらしい。

だから、こんな絵を描くのかな。

でも、クレヨンを握って最初に描く絵は、こんな絵ではないだろうな。

たぶん、短く途切れた殴り描きのようなもの。短い横線。「の」の字や筆記体アルファベット

小文字エルを繋げて描いたような線、らせん、渦巻、波線、歪んだ〇、✕なんかだろう。

ピカソはある幼児施設を訪問したとき、幼児の描く絵を見て、

「わたしはこの子たちと同じ年齢の頃、ベラスケスのように描いていた。

だが、この子たちと同じように描けるのに60年掛かった」

と、言ったそうだ。

持てる者天才の驕りと受け留めるのは簡単だけど、私はピカソの正直な心情と受け取りたい。

「絵は描きたいように自由に描けば良い」

この単純な原理に人類が気付くまで、もう四千年以上経過している。

なにしろ、金銭にも名声にも権威にも技術にも伝統にも既成概念にも囚われず自由に絵が描けるのは

ピカソと幼児くらいのものだ。

で、ピカソの言う「この子たちの絵」がどんなものか、残念ながら私たちは見ることができない、

資料が残っていないから。どんな絵だったのだろう。

思うにそれは一枚目の「おひさまとおうちとおかあさんとチューリップ」の絵ではなくて、

二枚目のデタラメな線をいくつも描きなぐったような絵に近かったんじゃないか、と私は思う。

クレヨンではなく水彩絵の具で描かれていたとすれば、ペタペタと大きくさまざまな色が重なっていた

かもしれない。絵具の垂れや沁みもあっただろう。汚れた手の跡とか靴の跡、描きそこなってぐしゃぐしゃに消

して絡まった毛糸みたいになっちゃった線もそのまま残ったりして。

こんな感じかな。

 

一枚目の絵はいわば記号の集積で、ピカソが頭を下げるような絵とはとても思えない。

幼児が描くこれらはみな、絵というよりも「記号」に近い。

じゃあ、記号と絵はどう違うのか、ということについて、次回は考えてみます。



 

 



 

 


さあ、絵を描くぞ

2024-05-30 13:31:40 | 絵画

73歳になり、身体のあちこちに不具合が生じて、仕事を辞め隠遁生活(笑)に。

今どき、良くあるはなしです。

で、「絵を描こう」と。

これまでも仕事では美術に関連するものが多かったのですが、

「絵らしきもの」は描いても「何の役にも立たないただの絵」は、

中学以来、ずっと描いたことがなかった。

つまり、説明のための絵解きであったり、設計図代わりのデザインであったり、

完成予想のイメージ図だったりは、ずいぶん描いてきたのですが。あと、舞台の大道具

とか背景画も描いたりしました。

仕事から解放されたのをイイことに、これからは「社会に何の役にも立たないただの絵」

を描いてみたいな、と・・・

 

幼稚園に上がる前から、絵は描いていたように記憶しています。

クレヨンで新聞の折り込み広告の裏かなんかに、描いていたかな。

技術的な問題なのか紙の質によるものなのか分からないけれど、当時は(1950年代前半)

広告の裏はたいてい白紙でした。

幼稚園でも主な画材はクレヨンでした。鉛筆はすぐに芯が折れてしまって

使いづらいものでした。同様に色鉛筆も折れやすかった。

こどもが力加減を調整できなかったのももちろんですが、当時の鉛筆は今よりずっと

折れやすかったのです。

それに畳に座卓式の当時の生活では、こどもは畳の上に紙を置いて描くことが多く、

鉛筆で描こうとすると紙に穴が開いたりしました。

回転ハンドル式の鉛筆削り器も無く、鉛筆に被せて回す式の簡易な削り器もまだ普及して

いませんでした。使い捨て剃刀の刃を使ったナイフで削るのがふつうでした。

当然、幼児には削らせて貰えず、親か先生に削ってもらうしかありません。

そんなわけで、クレヨンに画用紙というのが、幼稚園でもっとも使われた画材になります。

幼稚園では、こんな絵を描く子が多かったと思います。

こうした絵について、次回で考えてみます。

 

 

 

 


年賀状

2022-11-23 13:21:22 | イラスト

「そろそろ年賀状を」と、妻に言われ、来年は私の干支でもあるので、「とにかく、やってみるか」。

前回は、「雪原に満月、その前でうさぎが跳ねている」という構図にしたのですが、毎回同じ柄ではつまらない。

今回は、うさぎに月面宙返りをさせてみようと、

画用紙にHB、B、3B、色鉛筆で描いてみました。下の方のゴニョゴニョした線は色鉛筆の調子をみた跡です。

「満月に月面宙返り」ですが、どうもお正月らしくない。バックが暗いせいですね。

そこで、月はあきらめて初日の出に変更。

 

下の模様はうさぎの足跡です。(たぶん年賀状受け取った方には、分からないでしょうが)

実はうさぎ君の演じている技は「月面宙返り」ではなく「前飛びひねり後方抱え込み宙返り」という技です。


栓のベンチ

2022-09-19 13:56:50 | DIY

ある日妻が、「栓」という厚板に「粉が吹いているよ」と。

厚さ45mmほど、長さ900mm、巾30cmほどの材だったのですが、「両耳付き」と言って、皮とシラタの部分が付いたままの板でした。鉋を掛け平面を出して、木彫の台に仕立てたものです。

機能的には側面は直線の方が使い良いのですが、皮付きの方が面白いと、そのまま使用していました。使わないときは、本棚に立てかけていました。

妻に言われ、よく観察してみると床に粉が落ち、材の途中にも粉が付着しています。皮を爪で叩くとカサカサと脆い音。

これはただ事ではない、とネットで調べると、「ヒラタキクイムシ」という6mmほどの小さな甲虫の幼虫であると分かりました。広葉樹のシラタ(辺材とも言います。樹木の皮に近い白く柔らかな部分です)を食べて成長する害虫だそうです。

材木を立て掛けてあった床をよく見ると、ネットの画像そっくりのヒラタキクイムシの死骸が数個見つかりました。

材木の、小口から少し入ったあたりで切断し断面を見ると1mmほどの穴がたくさん開いていました。「これはやばい」と、シラタを全て削り落とすことに。やってみるとガサガサで粉のように崩れていきます。脆いところは手で潰しただけで崩れました。アトリエ中粉だらけです。(後の掃除が大変だった)

小口に「ヒラタキクイムシころり」という殺虫剤を吹き付け、(便利な世の中でwebで探すと、何でも見つかるものです)赤味の部分の一番狭い幅に揃えて、長方形の板に作り直しました。二回りも狭い板になりました。ネットによれば「ヒラタキクイムシの幼虫は広葉樹のシラタだけを食害し、針葉樹や赤味部分には穴を開けない」とありましたが、一か所だけ赤味にも穴が開いていました。どの世界にも常識破りは存在しますね。

で、この「栓」の板、木彫台として使用してみると「ちょっと柔らかすぎてどうかな」と考えていたところなので、方針を変えベンチにすることに。
作業台としても使えそうです。

楢の板を買い足して、粗どりが終わった状態が、この写真です。

巾の広い厚板が「栓」の天板。その上に重なっている手前の2枚が脚用、細長い2枚が桟になります。

板や道具が載っているのは、これも私が造った作業台。材は欅、天板は80mmくらいの厚みです。作ってからもう40年くらいになるのかな。最初はダイニングテーブルにしていましたが。

 

 

 


ねこのイラスト

2022-09-07 12:14:23 | イラスト

これまでに私が描いてきたネコのイラストです。

ぺらぺらのクロッキー用紙に4B~6Bで描いたものが多いです。

宮沢賢治「注文の多い料理店」のヤマネコのイメージ。モデルはウチのキラちゃん。

これも同じく「ヤマネコの親分」

親分を見つけて、腰を抜かしているネズ君。(「注文の多い料理店」には登場しませんが。

これは、イラストというよりも、切り絵パズルのデザインの為のスケッチです。

ホワイトデーに職場で配ったカード。幟の中にそれぞれの宛名を手書きしました。

年賀状のデザイン。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」がモチーフです。

妻の誕生日プレゼントに添えたカード。下の方にいろいろ映り込んでいるのは、このカードが冷蔵庫の扉に(他のカードなどとともに)マグネットで留められているためです。