父母の畑
2005-10-30 | 自然
父が倒れる前、実家の庭を畑にした。
父が倒れた後、母が畑を守っている。
丹精込めた野菜を孫に食べさせようと
わずか15坪の畑に、所狭しと並んで
いる野菜たち。
そして、私は、収穫をする人。
父が倒れた後、母が畑を守っている。
丹精込めた野菜を孫に食べさせようと
わずか15坪の畑に、所狭しと並んで
いる野菜たち。
そして、私は、収穫をする人。
仕事で東広島へいった。
鏡山公園に車を止めて、
工事中につき立ち入り禁止の
たて看板を無視し、ズカズカと公園に入り込み
シャッターを押した。
3羽のかもが迎えてくれた。
名前の通り、鏡山だ。
鏡山公園に車を止めて、
工事中につき立ち入り禁止の
たて看板を無視し、ズカズカと公園に入り込み
シャッターを押した。
3羽のかもが迎えてくれた。
名前の通り、鏡山だ。
父
2005-10-23 | 家族
母を連れて父に会いに行った。
一年前、69歳の時、くも膜下出血で倒れ、
手術、術後の合併症で、一時は生死をさまよって
いたが、一命をとりとめた。
重度の認知症が後遺症として残っている。
今は、老人施設でお世話になっている。
当初は、現実が受け止められなくて、
頭のおかしくなった父が、悲しくて
仕方がなかった。
時が経つにつれて、徐々に、現実を受け
入れることができるようになり、生かされて
いることに感謝できるようになった。
そして、母も・・・
年をとるにつれて、父と母は、お互い合わなく、
よく言い合いをしていた。
母からは父への憤りのグチをよく聞かされていた。
その度に、「私にとって父は父」と母によく返していた。
そのグチも今はまったく出てこなくなった。
父がああなった今、愛おしさがこみあげてくるらしい。
今は思う。
憎しみ合う最後より、愛おしむ気持ちをもったままの最後
を迎えられるよう、きっと、神様が仕組まれたんだと・・・
皮肉にも・・・
一年前、69歳の時、くも膜下出血で倒れ、
手術、術後の合併症で、一時は生死をさまよって
いたが、一命をとりとめた。
重度の認知症が後遺症として残っている。
今は、老人施設でお世話になっている。
当初は、現実が受け止められなくて、
頭のおかしくなった父が、悲しくて
仕方がなかった。
時が経つにつれて、徐々に、現実を受け
入れることができるようになり、生かされて
いることに感謝できるようになった。
そして、母も・・・
年をとるにつれて、父と母は、お互い合わなく、
よく言い合いをしていた。
母からは父への憤りのグチをよく聞かされていた。
その度に、「私にとって父は父」と母によく返していた。
そのグチも今はまったく出てこなくなった。
父がああなった今、愛おしさがこみあげてくるらしい。
今は思う。
憎しみ合う最後より、愛おしむ気持ちをもったままの最後
を迎えられるよう、きっと、神様が仕組まれたんだと・・・
皮肉にも・・・