アニーたちと散策スタート。
パッサージュを通り、パレロワイヤルの方へ向かうことになるのだが、その辺りくらいまではなんとか、ギリギリ夜の約束に間に合いそうだと思っていた。
途中から気が気ではなくなってしまい、「ごめんなさい。そろそろ帰りたい」と言ったが、「まだ早いわよ」という。
次の約束があることを言いそびれてしまっていたので、さらに私は窮地へ追い込まれていくような感じさえしていた。
しかし、アニーはまだまだ紹介したいところがあったようで、コメディフランセーズ、マドレーヌやオペラまで行こうとしていた。
少しは一緒に歩いたのだが、「夜遅くなるとメトロに乗るのが怖いので」とも言ったが、彼女はご機嫌が段々悪くなっていった。
結局アニーはコーラスの予定の時間までまだあったので、ここで別れることになり、ブルーノが私と一緒に地下鉄に乗り、途中まで一緒に帰ることとなった。
「今度は、もっと泊まるように来てね」と言われ、別れたのだが、後日談として、ご主人のいとこのクリスチャンの話によると「彼女は、異常にメトロを怖がっていて、変だった」とアニーが言っていたらしい。(フランス愛が強い私が、苦手としているのが、メトロなので、あながち間違いではない。何度のっても緊張する。)
クリスチャンは「日本は治安がいいので、夜のメトロに不安なんだろう」と弁護してくれたようで申し訳なく思った。
ちゃんと最初に次の約束があることを伝えておくべきだった。
ランチに遅刻してしまったこともあり、できるだけその分長くいたつもりではあったのに、言えなかったばっかりに、こんなことになってしまったのだ。
今でも悔やまれる。
おまけにそこまでしても、やはり次の夕食の約束にも遅れてしまったのだ。
しかも彼らへのお土産の準備、そして昨日からの荷物を置いておくためにも一旦アパートに帰らなければならなかった。
ただ、そこで待ってくれていた図書館夫妻は、遅れる旨のメッセージを送った時、「大丈夫だよ、気にしないで」と、温かく迎えてくれた。
初めて降りる駅だったが、迷わず到着できた。このアパートに入った時すれ違った住人を見てもわかったが、かなり立派なアパートだった。
2009年に日本であったときとは,夫妻の雰囲気さえ全く違ってみえた。
決定的なのは、息子さんと挨拶したときだった。大学生だという息子さんは、挨拶だけでも
育ちの良さがうかがえる青年だったのだ。
聞けば、奥さんのジュヌビエーヴは、失礼ながら全くそうは見えないのだが、貴族の末裔らしい。
そんな話や、昼間の疲れや、緊張のあまり、ここで写真を撮ることをすっかり忘れてしまっていた。残念な限りである。
ご主人のドゥニは、来日したときと何ら変わらず、「もし時間があればもう一度会いましょう」とまで言ってくれ、「日本人は狙われやすいから、ここは安全な場所だが、メトロに乗るのは危険もある」と、車でアパートまで送ってくれたのだった。
そう言う感覚を持っているフランス人は極めて少ないのだが、まさに私がいつも危惧していることだったので、ありがたいことだった。