お腹もやっと膨れて、午後の予定は、「ユゼスに行く?それともSommiere(ソミエール)に行く?」と言われ、ユゼスは2005年、やはりニームに来た時、別のニームのマダムに連れて行ってもらったので、未訪の「ソミエールに」と答えた。
写真で見ると南仏名物?プラタナスの並木があったり、私の好きな小さな村なのだが、散策すると、すこしひっそりして、寂れた感がしないでもなかった。
シーズンによって違うのかもしれないが、あまり惹かれるものがなかった。
ユゼスを再訪したほうがよかったかもしれないと思った。
これは行ってみたいとわからないので、決めるのは難しいが、まあ、こんなこともある。
帰りはスーパーに寄った。スーパーを見るのは楽しい。
彼女は何か商品が落ちたとき、私たちの手前か、「私のせいじゃないよ」とお店の人に持って行った。
そう言うことが気になるんだなと、ちょっと意外な気がした。
帰宅後は、「クロッカンづくりのレッスンよ」と張り切っていた。
手書きのレシピがぎっしりの厚いノートを開き、早速取り掛かる。元教師だけに、教えることが好きなようで、どんどん指示を出す。
ただ、この人は、結構おおざっぱなので、お菓子作りもバッサバッサと、材料を入れ、成型も不揃いでもお構いなしだ。
生地が緩いように感じたが、それでも出来上がったものは素朴な味がして美味しかった。
今夜は友人を招待しているらしい。
その友人も日本文化に興味があり、長く生け花を続けているということだった。
そこで、アンヌクレールは、夫にも庭のもので生けてほしいとお願いがあった。
が、彼女は独創的なので、自己流が一番いいと思っている節があった。
日本の生け花の説明をしても、あまり興味がないようだった。
そして、夜になり、その友人がやってきた。名前は失念したが、誰かと一緒の名前だったことは覚えている。もしかして、もう一人のマルチーヌ?だったかもしれない。
静かに話す友人で、アンヌクレールとは正反対だった。
生け花の写真を見せてくれたりした。
夕食はアンヌクレールが手早く作った割には、美味しかった。もちろんアペリティフから、デザートのフロマージュブランまで完食した。
実はこの日、リヨンに住む日仏カップルから電話があり、アルルに会いに来る調整についてだったが、「明日はナショナルストライキで、大きな規模だから気をつけて」とも言った。
「電車がうごかないことはたぶんないけど、間引き運転すると思う」とのことだった。
私はニームーアヴィニョン間は本数が多いので、「間引き運転なら何とかなる」と思い、あまり心配もせず、床に就いた。(ヤモリのほうがずっと心配だった)