ニームで一泊し、朝食を済ませた。この時はまだ想像もしない長い一日が始まるのだった。
まず、彼女は、散歩に行こうと言った。そして、近所に住む友人宅を訪ねようと言った。なぜならその友人の息子は日本人と結婚して日本に住んでいるからだった。
歩いて行けると言うので、喜んで行かせてもらうことにした。
大きな門扉のあるその家に到着した。
敷地も広い立派な家は、修理工事の人が朝から来ていた。
日本から来たと言うと、温かく迎えてくれたそのマダムは、息子が庭師として京都で働いていること、そしてなんと、住んでいるところは奈良ということで、その奇遇なことに驚いてもいた。結婚式の写真を見せてもらうと、私たちもよく知っている結婚式場や神社で、不思議な縁を感じた。
息子さん夫妻の住所も教えてもらった。まだ連絡はしていないが、またそのうちにと思っている。
名残を惜しみながら、またアンヌクレールの家に戻った。
この辺り(少し南のセート)の有名なパイらしい↓(イカが入っていたようだ)
彼女は、「今日はランチのレッスンよ」と朝から張り切っていたが、気になるメッセージがアンリから届いていた。私たちが乗る予定の列車時刻(13時台出発)を連絡していたのだが、「その電車はなく、その前だと12時台のようだよ」と。アンヌクレールに確認すると「大丈夫よ」という。
でも段々心配になってきた。
私もスマホで見てみたが、詳しい情報が得られなかった。でも何となく、乗る予定の列車どころか、アンリが言っている12時台の運行予定の列車のあとは夕方までなさそうな感じに思えた。
こんな時、帰りの列車の予約をしていたら、必ず運行状況の知らせが入るのだが、あいにく帰りの予約はしていなかったので、さっぱりわからなかった。
そんなことも気にせず料理を続けていたアンヌクレールは、「さあ、テーブルへ」と誘導した。電車のことが気になりドキドキしながら一口口に運んだところで、もし「この電車がなかったら、またここに戻ってくることになるわ。」と言ってみた。
すると、パソコンの方へ走って行った彼女は、突然、「さあ、早く支度をして。今すぐ出発してもギリギリよ」というではないか。この時、列車の出発時刻まで20分あるかないかだった。
えー!!間に合うの?チケットも買う必要があるのに。と思ったけど、従うしかない。
テーブルをそのままにして、大急ぎで荷物を取り、車に乗り込んだ。
こんな時、「ニームの闘技場よ」とそばを通った時言われても、「ああ、まだ確かに闘技場を今回は見ていなかった」と思っただけでこちらも余裕もない。
そして、駅に到着したのは3分くらい前だった。彼女が同行してくれるのかと思いきや、「さあ、早く行って」
えー!!最近SNCFのチケットを駅の機械で買ったことがない。しかも万一買って乗れなかったらどうなるのか、と思うと、買っていいかどうか迷ってしまい、切符の販売機の前で立ち尽くしてしまった。もちろん窓口は長蛇の列で、機械での購入しか選択はなかった。
しばらくして車を駐車場に停めた彼女がやってくるのが見えた。「切符買った?」「いや、わからなくて」と言ったら、「何やってるの、こんな時は切符なしでも乗ればいいのよ」と言われ、慌ててホームに駆け上がったが、無情にも私の目前でドアが閉まり、列車は出て行ってしまった。
これに近い光景が思い出される。ラパンアジルのピアニストだったアンリ・モルガンさんとボルドーへ行くため、パリのモンパルナス駅で待ち合わせたときの事、渋滞で遅れてしまい、列車は見えていたが、出発の3分前にゲートが閉まるため、乗れなかった苦い経験がある。
また私の時間の思い込みのミスで、バスクからパリに戻るとき、列車が出ていくのが見えたが、後で、その列車こそ、私たちが乗る列車だったことがわかったこともあった。
どちらも後続の列車に変更し、金銭的な問題以外は大きなことにはならなかった。
もっと早く切符なしで乗ればいいと言ってくれていたら・・・と、どれほど思ってみても、どうすることもできないことだった。
しばらくどうすればいいか、ホームのベンチで心を鎮めるしかなかった。