イザベルと別れて、アパートに戻り、向かうのは、リヨン駅近くに住むブルトン人エルワンの家族のところだ。
この家族とのかかわりは、2009年の旅行で、ブルターニュのケレンマに住むマルゴとパトリック夫妻を訪ねた後、パリに戻るTGVでエルワンの両親と偶然向かいの席に座ったことから始まった。
つまり両親はパリに住む息子のエルワン家族(特に2人の女の子の孫)に会うためにTGVに乗っていて、パリモンパルナス駅についても、タクシー乗り場まで一緒に歩くほど,意気投合した感じのいい両親だったのだ。
両親、お母さんの方だが、彼女とメールのやり取りをしていて、この出会いの数年後来日するというエルワンと奥さんのイザベル夫妻の奈良案内をすることになったのだ。
そして、その来日の数年後の2014年、パリで再会になる。
奥さんのイザベル(昼一緒だったイザベルと偶然同じ名前)は、コルシカ島の出身で、フランス人の中でも、ブルトン人は、コルシカ人、アルザス人、バスク人と並び、特別な文化を持った地方になる。
この奥さんのイザベルは来日時から温かさを感じる人で、「パリの来たら、ぜひ来てね。泊まってね」は、まあ良くあることとしても、春に来日したその夏の前にメールで、「バカンスで一ヶ月留守にするから、よかったら家を使って」と言ってきたのだった。
夏は航空運賃が高いのでほとんど行くことがないのだが、今にして思えば高い航空運賃を払ったとしても宿泊代を考えると、とてもありがたい申し出であることがわかる。
そんな家族の家を訪問するのに、まずアパートからバスで一本のリヨン駅まで行き、そこから徒歩数分。
パリ市内でめずらしい一軒家は昨日もビュットショーモンで見たが、それはかなりパリの外側であった。
ここはパリの中心部から遠くない大きな鉄道駅のすぐそばで、聞いてはいたが、本当にびっくりした。しかもカラフルでとても可愛い通りだった。
再会を祝って乾杯。そしてイザベルの手料理。
このイザベルの温かさは、ここでも感じる。私がアパート暮らしをしているというと、残りの料理やデザートをタッパーに入れて持たせてくれたのだった。もちろんそのタッパーは日本に持ち帰った。今もそれを見るたび、彼女のことを思い出される。
お礼にここでも、折り紙レッスンで、娘さん二人とイザベルは大喜びだった。
この時小さかった娘さんの長女は、20019年春にこの家を貸してもらった時、大学生になっていて、2019年には私の失敗で怖がらせてしまった二女の方も高校生になっていた。
二人ともブルトン由来の名前で、フランス人の名前と違ってなかなか覚えられないのが残念だ。
すっかり夜も更け、帰宅はエルワンが便利に帰れるメトロ駅まで送ってくれたので、遅い時間のメトロにちょっと不安だったが、スムーズに帰れた。
いよいよ明日は、ブルゴーニュからエスカレーター夫妻がパリにやってくる日だ。
まだまだ私の大臣並みの?超過密スケジュールは続く。