フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

2023-02-19 09:42:30 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ああ、なぜ昨日もっと確実な方法で、確認しなかったのか。

なぜ安易に「間引き運転」を信じてしまったのか。

慎重になるべきだったと、後悔している時間はなかった。

 

12時42分(たぶん)のあと、17時台まで列車はなかった。

まずアンリに連絡をした。「迎えに来てもらえないか?もし無理なら、今日はアヴィニョンには行けない。ニームでホテルを探し、一泊する」と。

奥さんのアニエスと相談していたが、困っている様子だった。

なぜかと言うと、彼らは今夕、私たちと一緒に彼らの友人宅での夕食の手はずを整えていたからだ。それはわかっていたが、私たちも途方に暮れていたし、何より17時台に列車が動いてもそれに乗って出かけるだけの気力もなえてしまっていた。

 

すると、アンリは「もう少し待っていて。お昼ご飯を食べたら行くから」と返事が来た。

2時間くらい待たなくてはならなかったが、仕方がない。

 

アンヌクレールにも連絡をした。「乗れなかった」と。

彼女は、あっさりと、「じゃあ、駅の周辺を散策すれば。闘技場も近くだし」と言ってきたが、私たちはお昼を食べ損ねていたし、小さいとはいえキャリーを引きずりながら散策などする気もなく、ただ駅でアンリが迎えに来てくれるのを待つことになる。

 

お腹だけでも何とかしたいと思ったが、ニームの駅の中には簡単なカフェしかなく、裏側に回ってみたが、気分転換できると思える店もなかったので、結局駅のベンチでじっと待つしかなかった。

この旅もここまでは順調にきていたが、ここでストという壁にぶつかってしまった。数年前大変なストライキを乗り越えてきた私にとって、今回はフランス名物のストライキ(ストはフランス人の趣味というアメリカ人もいた)の厳しい洗礼を受けたのだった。

 

待っている間、色々なことが頭をよぎった。今までストや困難にあっても多くの友人に助けてもらってきた。

 

それだけに甘い考えかもしれないが、アンヌクレールのそっけなさは、私たちが一段と気落ちする要因になってしまった。これが本当のフランス人なのかもしれない。いや、この時はまだ、彼女のような人は例外だと思っていた。

 

そう言えば、ニームと言えば、先生のローランスはよかったけれど、ニームのマダムには、あまりいい思い出がなかったことも思い出される。ニームは私にとって苦い場所になりそうなくらいだ。



アルルのクリスチャンも、アヴィニョンのクリスチーヌも今日は仕事であろう、もちろん迎えに行くと言葉もなく、「元気を出して」というメッセージだった。

この「元気を出して」(Bon courage)という言葉をまた聞くことになるとは、この時は想像だにしなかった。




ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

2023-02-17 10:09:24 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

ニームで一泊し、朝食を済ませた。この時はまだ想像もしない長い一日が始まるのだった。



まず、彼女は、散歩に行こうと言った。そして、近所に住む友人宅を訪ねようと言った。なぜならその友人の息子は日本人と結婚して日本に住んでいるからだった。

歩いて行けると言うので、喜んで行かせてもらうことにした。

 

大きな門扉のあるその家に到着した。

敷地も広い立派な家は、修理工事の人が朝から来ていた。

日本から来たと言うと、温かく迎えてくれたそのマダムは、息子が庭師として京都で働いていること、そしてなんと、住んでいるところは奈良ということで、その奇遇なことに驚いてもいた。結婚式の写真を見せてもらうと、私たちもよく知っている結婚式場や神社で、不思議な縁を感じた。

 

息子さん夫妻の住所も教えてもらった。まだ連絡はしていないが、またそのうちにと思っている。

 

名残を惜しみながら、またアンヌクレールの家に戻った。

この辺り(少し南のセート)の有名なパイらしい↓(イカが入っていたようだ)

彼女は、「今日はランチのレッスンよ」と朝から張り切っていたが、気になるメッセージがアンリから届いていた。私たちが乗る予定の列車時刻(13時台出発)を連絡していたのだが、「その電車はなく、その前だと12時台のようだよ」と。アンヌクレールに確認すると「大丈夫よ」という。

でも段々心配になってきた。

私もスマホで見てみたが、詳しい情報が得られなかった。でも何となく、乗る予定の列車どころか、アンリが言っている12時台の運行予定の列車のあとは夕方までなさそうな感じに思えた。

 

こんな時、帰りの列車の予約をしていたら、必ず運行状況の知らせが入るのだが、あいにく帰りの予約はしていなかったので、さっぱりわからなかった。

 

そんなことも気にせず料理を続けていたアンヌクレールは、「さあ、テーブルへ」と誘導した。電車のことが気になりドキドキしながら一口口に運んだところで、もし「この電車がなかったら、またここに戻ってくることになるわ。」と言ってみた。

すると、パソコンの方へ走って行った彼女は、突然、「さあ、早く支度をして。今すぐ出発してもギリギリよ」というではないか。この時、列車の出発時刻まで20分あるかないかだった。



えー!!間に合うの?チケットも買う必要があるのに。と思ったけど、従うしかない。

テーブルをそのままにして、大急ぎで荷物を取り、車に乗り込んだ。

こんな時、「ニームの闘技場よ」とそばを通った時言われても、「ああ、まだ確かに闘技場を今回は見ていなかった」と思っただけでこちらも余裕もない。

そして、駅に到着したのは3分くらい前だった。彼女が同行してくれるのかと思いきや、「さあ、早く行って」

えー!!最近SNCFのチケットを駅の機械で買ったことがない。しかも万一買って乗れなかったらどうなるのか、と思うと、買っていいかどうか迷ってしまい、切符の販売機の前で立ち尽くしてしまった。もちろん窓口は長蛇の列で、機械での購入しか選択はなかった。

 

しばらくして車を駐車場に停めた彼女がやってくるのが見えた。「切符買った?」「いや、わからなくて」と言ったら、「何やってるの、こんな時は切符なしでも乗ればいいのよ」と言われ、慌ててホームに駆け上がったが、無情にも私の目前でドアが閉まり、列車は出て行ってしまった。

これに近い光景が思い出される。ラパンアジルのピアニストだったアンリ・モルガンさんとボルドーへ行くため、パリのモンパルナス駅で待ち合わせたときの事、渋滞で遅れてしまい、列車は見えていたが、出発の3分前にゲートが閉まるため、乗れなかった苦い経験がある。

 

また私の時間の思い込みのミスで、バスクからパリに戻るとき、列車が出ていくのが見えたが、後で、その列車こそ、私たちが乗る列車だったことがわかったこともあった。

 

どちらも後続の列車に変更し、金銭的な問題以外は大きなことにはならなかった。

 

もっと早く切符なしで乗ればいいと言ってくれていたら・・・と、どれほど思ってみても、どうすることもできないことだった。

 

しばらくどうすればいいか、ホームのベンチで心を鎮めるしかなかった。




ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

2023-02-14 09:19:06 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

お腹もやっと膨れて、午後の予定は、「ユゼスに行く?それともSommiere(ソミエール)に行く?」と言われ、ユゼスは2005年、やはりニームに来た時、別のニームのマダムに連れて行ってもらったので、未訪の「ソミエールに」と答えた。

 

写真で見ると南仏名物?プラタナスの並木があったり、私の好きな小さな村なのだが、散策すると、すこしひっそりして、寂れた感がしないでもなかった。

シーズンによって違うのかもしれないが、あまり惹かれるものがなかった。

ユゼスを再訪したほうがよかったかもしれないと思った。

これは行ってみたいとわからないので、決めるのは難しいが、まあ、こんなこともある。

 

帰りはスーパーに寄った。スーパーを見るのは楽しい。

彼女は何か商品が落ちたとき、私たちの手前か、「私のせいじゃないよ」とお店の人に持って行った。

そう言うことが気になるんだなと、ちょっと意外な気がした。

 

帰宅後は、「クロッカンづくりのレッスンよ」と張り切っていた。

手書きのレシピがぎっしりの厚いノートを開き、早速取り掛かる。元教師だけに、教えることが好きなようで、どんどん指示を出す。

ただ、この人は、結構おおざっぱなので、お菓子作りもバッサバッサと、材料を入れ、成型も不揃いでもお構いなしだ。

生地が緩いように感じたが、それでも出来上がったものは素朴な味がして美味しかった。

 

今夜は友人を招待しているらしい。

その友人も日本文化に興味があり、長く生け花を続けているということだった。

そこで、アンヌクレールは、夫にも庭のもので生けてほしいとお願いがあった。

が、彼女は独創的なので、自己流が一番いいと思っている節があった。

日本の生け花の説明をしても、あまり興味がないようだった。

 

そして、夜になり、その友人がやってきた。名前は失念したが、誰かと一緒の名前だったことは覚えている。もしかして、もう一人のマルチーヌ?だったかもしれない。

静かに話す友人で、アンヌクレールとは正反対だった。

生け花の写真を見せてくれたりした。

夕食はアンヌクレールが手早く作った割には、美味しかった。もちろんアペリティフから、デザートのフロマージュブランまで完食した。

実はこの日、リヨンに住む日仏カップルから電話があり、アルルに会いに来る調整についてだったが、「明日はナショナルストライキで、大きな規模だから気をつけて」とも言った。

「電車がうごかないことはたぶんないけど、間引き運転すると思う」とのことだった。

私はニームーアヴィニョン間は本数が多いので、「間引き運転なら何とかなる」と思い、あまり心配もせず、床に就いた。(ヤモリのほうがずっと心配だった)

 


アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

2023-02-13 09:02:14 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

ニームの半日観光を終えて、アンヌクレールの家に車で15分くらいで、到着。

ペットボトルを加工したものが、入口のアーチのようにぶら下がっていた。

 

家は平屋で、こじんまりした家だが、庭は広い。庭に居室のような物があると、来日したとき聞いていたが、説明からは想像できなかった。

できないはずである。この家はエコハウスというのがふさわしいような、エコにこだわっている家だった。

節約家とも言えるが、庭の居室で、アンヌクレールを紹介しくれたマルチーヌが泊まったと聞いて、部屋にはトイレがなかったので、夜、トイレはどうしたのか疑問をぶつけてみた。彼女が「ここにあるのよ」と見せてくれた。庭の居室の隣に小さな建物があり、その中にトイレがあった。しかし、これは、水を使わないトイレだった。想像できるだろうか?

つまり使用後は、おがくずのようなものを撒くのである。

とても私には無理だと思った。

でもアンヌクレールは、私のおどろいている様子に「資源のことを考えたら理想的よ」と言い切った。

 

そんなことに驚きながら、彼女の生活スタイルを観察してみることにした。

彼女は手早くランチの支度をした。オムレツだった。2005年ニームに来た時もレストランのランチはオムレツだった(目玉焼き3個の)。ニームのランチはオムレツに縁があるようだ。(そう言えば、前日のエクスアンプロヴァンスでもオムレツを食べていた)

自然との共生とあって、庭でのランチは、虫もやってくる。この時期でも気温が高いので、蚊もやってくる。スプレーをふってくれた。

 

フランス人は自然が好きな人も多く、バカンスにキャンプに行く人も多い。毎年コルシカ島でテントを張るフランソワーズ夫妻から、ずっと「コルシカ島へ一緒に」と誘われているが、尻込みするのは、私がテントで眠れないこともあり、キャンプが苦手だからだ。

 

このニームでの一泊は、かなりその体験に近いものとなった。

夜には、やもりも部屋に入ってきた!!「大丈夫よ。悪い動物じゃないよ」と言われたが、わかっていても、布団の中に入ってきたらと考えると、怖くて眠れなくなるのだ。

 

私はフランスで生活するには、このようなことから無理だと改めて感じたのであった。




ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

2023-02-11 09:15:59 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

ニームは2005年、観光に訪れているが、世界遺産のポンデュガール(水道橋)がメインだったため、市内の観光はあまり覚えていない。

確か、円形闘技場の近くで、語学学校の先生だったローランスとランチをした。彼女が観光案内役を買って出てくれ、数々の世界遺産訪問の中でも、かなり充実した一日で、先生の人柄とともに今も大切な思い出の一つである。



今回はその時は行かなかった公園の散策から始まった。さすがにこの辺りはローマ時代の遺跡がゴロゴロしているような感じで、公園にも遺跡の一部があったりする。

その後街歩きをした。こじんまりした町だが、中々感じがいい。名物のお菓子だと言うクロッカンのお店もあった。アンヌクレールは、「食べたことがないの?じゃあ、帰ったら作りましょう。お菓子のレッスンよ」と言った。正直言うと一時半を過ぎていて、おなかが空いている時間でお昼も食べていないので、何か食べたいと思ったが、彼女はそんな気はなさそうだった。

市場は残念ながら休みのところが多かったが、かなり大きなマルシェだ。そこで彼女の教え子に出会った。そう、彼女は学校の先生だったらしい。その人は「よくしゃべるでしょ?」と言っていた。アンヌクレールはおしゃべりおばさんとして知人の中では有名なようだ。


それから大学へも連れて行ってくれ、学生の様子も垣間見れた。ちらっとみると日本のようにお弁当箱に入ったお弁当を食べている学生もいた。

「弁当(箱)」ブームというのは本当だった。



ヘミングウェイが滞在したと言う高級ホテルにも、気後れすることなく、入っていき、歴史的なものを見せようとしてくれた。彼女は退職後こうして外国人観光客の案内もしていたらしく、慣れたものである。

最後にメゾンカレに行った。ニームの有名な観光場所だ。

もうニームは半日足らずで堪能した。

そこでやっと彼女の家へ向かうことになった。

 


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