ああ、なぜ昨日もっと確実な方法で、確認しなかったのか。
なぜ安易に「間引き運転」を信じてしまったのか。
慎重になるべきだったと、後悔している時間はなかった。
12時42分(たぶん)のあと、17時台まで列車はなかった。
まずアンリに連絡をした。「迎えに来てもらえないか?もし無理なら、今日はアヴィニョンには行けない。ニームでホテルを探し、一泊する」と。
奥さんのアニエスと相談していたが、困っている様子だった。
なぜかと言うと、彼らは今夕、私たちと一緒に彼らの友人宅での夕食の手はずを整えていたからだ。それはわかっていたが、私たちも途方に暮れていたし、何より17時台に列車が動いてもそれに乗って出かけるだけの気力もなえてしまっていた。
すると、アンリは「もう少し待っていて。お昼ご飯を食べたら行くから」と返事が来た。
2時間くらい待たなくてはならなかったが、仕方がない。
アンヌクレールにも連絡をした。「乗れなかった」と。
彼女は、あっさりと、「じゃあ、駅の周辺を散策すれば。闘技場も近くだし」と言ってきたが、私たちはお昼を食べ損ねていたし、小さいとはいえキャリーを引きずりながら散策などする気もなく、ただ駅でアンリが迎えに来てくれるのを待つことになる。
お腹だけでも何とかしたいと思ったが、ニームの駅の中には簡単なカフェしかなく、裏側に回ってみたが、気分転換できると思える店もなかったので、結局駅のベンチでじっと待つしかなかった。
この旅もここまでは順調にきていたが、ここでストという壁にぶつかってしまった。数年前大変なストライキを乗り越えてきた私にとって、今回はフランス名物のストライキ(ストはフランス人の趣味というアメリカ人もいた)の厳しい洗礼を受けたのだった。
待っている間、色々なことが頭をよぎった。今までストや困難にあっても多くの友人に助けてもらってきた。
それだけに甘い考えかもしれないが、アンヌクレールのそっけなさは、私たちが一段と気落ちする要因になってしまった。これが本当のフランス人なのかもしれない。いや、この時はまだ、彼女のような人は例外だと思っていた。
そう言えば、ニームと言えば、先生のローランスはよかったけれど、ニームのマダムには、あまりいい思い出がなかったことも思い出される。ニームは私にとって苦い場所になりそうなくらいだ。
アルルのクリスチャンも、アヴィニョンのクリスチーヌも今日は仕事であろう、もちろん迎えに行くと言葉もなく、「元気を出して」というメッセージだった。
この「元気を出して」(Bon courage)という言葉をまた聞くことになるとは、この時は想像だにしなかった。