フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

17年ぶり!!90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

2023-03-23 08:53:19 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

最後に向かったのは、ずっと再訪したかったグラブゾンのムッシュ

偶然(運命的な?)メールが渡仏前にあり、実は近く南仏に行くと連絡しても返事はなかったが、きっと信じられなかったのだろうと思う。

シャンブルドットのムッシュなので、「行く」と言ったら「泊まる」ということなのかもしれない。初シャンブルドット滞在であれだけ世話になったのに、ただ「行く、会いたい」だけなんて彼にしてみたら、理解できないのは無理もない。

私はその後たくさんのフランス人友人ができて、今では宿の必要性がほとんどない状態になっているからだ。

 

そのグラブゾンの宿とのつながりがあるアンリに頼んでみても、スルーされ、今回は無理なのかと諦めかかっていたが、クリスチーヌが願いをかなえてくれたのだ。

シャンブルドットの前に着いた時は、本当にうれしかった。

 

そして、ベルを鳴らし、出てきたのは少年。(15歳)

サプライズだったので、訳を説明すると、「今日はおじいちゃんはマルセイユに行っていていないんだ」

なんということ!!残念だ。

 

しかし次に奥から出てきたのはなんと、ムッシュの亡き妻クリスチーヌのお母さんだった。(90歳を超えている)

高齢ゆえ、会えるとは思ってもいなかった。顔を見ると年は重ねているとはいえ、間違いなくお母さんで、「シモーヌ!!」と不思議なことに名前もちゃんと出てきた。

ここで暖かい日は朝食を取り、アルザス3人組とも知り合った

奥に見えるバーベキューもいただいたことが思い出される↓

彼女は驚いていたが、涙がうっすら目に浮かんでいるように見えた。

クリスチーヌに着物を着せた写真も見てもらった。あの時の幸せな時間がよみがえってくるようだった。

 

この少年はおじいちゃん譲りの利発な子で、状況を察しすぐに電話で連絡をしてくれた。

クリスチーヌに電話を代ってもらい、明日アヴィニョンを離れ、パリへ向かうと言うことを伝えてもらったところ、TGVアヴィニョン駅にマルセイユから直接会いに来てくれるというではないか。

 

おじいちゃんの伝言を受けて、この少年は新しくなった宿を案内してくれた。

今は庭にキッチン付きの貸し家を作り、もともとのシャンブルドットの建物は住居になっているようだ。

ここで朝食を取ったことも思い出される↓

ヴィエンヌの親子と知り合いにもなった朝↓

 

この少年は「おじいちゃんはとても元気でエネルギッシュで若い!!」と自慢げだった。

 

興奮も冷めやらぬ中、翌日のムッシュとの再会を胸に懐かしいシャンブルドットを後にし、クリスチーヌの家に戻った。

 

戻る途中、アヴィニョンの城壁の外側に「この辺りは治安が良くない」というところもクリスチーヌが教えてくれた。

城壁が見えてからも渋滞で大変だったが、何とかたどり着いた。



それにしてもクリスチーヌには感謝してもしきれないくらいありがたいことだった。

 


やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

2023-03-22 08:56:06 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

クリスチーヌ宅で一泊した翌日は、また小さな村めぐり。

まずキュキュロンという村を写真で見て行きたいと言ったら、クリスチーヌが子供のころ住んでいた村だということで連れて行ってもらった。

しかしかなり小さな村で写真とはちょっと違っていて、期待が大きすぎたせいか、少しがっかりしてしまった。

アンリ夫妻は「なんでそんなところに行きたいと言っているの?」と言っていたとか。

 

ランチはこの小さな村で食べるのがいいだろうと言うことで、ここでランチをしたが

この店はあまりいいとはお世辞にも言えなかった。

時間が遅かったこともあり、できるのはこれだけみたいなことを言われ、デザートも頼んだところ、まったく予想外の味だった。クリスチーヌはだから私はコーヒーだけにしたのよ、と言っていた。

お腹が膨れた後向かったのは、ルールマランだった。ここはアンリの奥さんのアニエスがおお気に入りらしいが、クリスチーヌも言っていたように私たちも観光地化すぎている気がした。パリからのバカンス客が多いそうで、そう言う人たち向きに少し高級?なものが店に並んでいた。

そして次に訪れたのはラクステ村だった。もちろん名前は聞いてはいたが、初訪問で、好きな村の一つになりそうだった。

石畳・・・を歩くときの幸福感というか高揚感、私が好きなフランスがそこにあると言った感じである。

 


旧友たち集合!?の夕食

2023-03-21 08:48:53 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

クリスチーヌの家に行き、荷物を下ろした。

ここは初めての訪問。広いアパルトマンなので、「鍵を渡すから、好きなだけ泊まって」とずっと言ってくれていた。

エレベーターなしの3階である。よくここまで一人でいくつものスーツケースを運んでくれたなあと、いまさらながらありがたく感じる。

アンリもここの荷物を移動してくれ、今夜その荷物を持ってきてくれることになっている。

 

アペリティフをいただくため、まずはヴェロニックの家へと向かう。

歩けないことはないらしいが、夜なので、車で向かった。

 

ヴェロニックと最初に会ったのは、20007年だったと思う。アンリ夫妻の友人として、彼らの友人が集まっていたのだ。そこにはクリスチャンもいた。

そして、2回目はクリスチーヌと来日して、我が家に泊まった時だった。

彼女はボルドー出身で、物理か数学の教師だが、教師の中で重責を担っているため、パリとの往復も多いらしい。勤務先はマルセイユなので、以前はマルセイユに住んでいたのだが、現在はアヴィニョンからパリへTGVで往復する毎日のようだ。

 

彼女はたぶんLGBTで、以前はスペイン人女性と共に生活していたが、今はフランス人女性と共に暮らしていた。

一軒家で、どうやら料理などはパートナーのフランソワーズが担当しているようだ。

手作りのイチジクとあんずのジャムをお土産にいただいた。

 

部屋を見せてもらい、「今度はぜひうちにも泊まって」とヴェロニックは言った。

渋滞で遅れたと言うアンリ夫妻の到着を待って、アペリティフは庭で明かりを灯して始まった。もちろんシャンパーニュで乾杯だ。

そしてクリスチーヌの家へ場所を移して、夕食のテーブルに着く。

ヴェロニックたちは自動車でやってきた。

料理上手なクリスチーヌはスープとキッシュを用意してくれていた。

セギュレ村のワイン↓

デザートは洋ナシのシャルロット。もちろんお手製である。

フランソワーズ、アンリ夫妻とはここでお別れになる。窓から手を振り、見送った。

ヴェロニックは翌々日のパリへの出発の際、大きな荷物が多いことで、大きな車を持っている彼女がTGVの駅まで送ってくれることになり、もう一度会えるようだ。

 


大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

2023-03-18 08:38:47 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アヴィニョンの駅のホームに迎えに来てくれたクリスチーヌは、今回すべて私の希望を聞き入れてくれた。

まず彼女がボラボラ島に赴任する前に住んでいたサブレ村へ向かう。

こういう小さな村はバスの本数も少なく、車なしで行くのは容易ではないので、本当にありがたいことだ。

 

このあたりはワインで有名とあり、葡萄畑が一面に広がっている。その中の小さな村だった。石畳みを歩き、田舎の空気を満喫する。

アヴィニョンに戻ってからもクリスチーヌはコロナ禍の時期にはここの学校に通っていたらしい。近くの山にハイキングもしていたとか。

 

そして次に向かったセギュレ村はサブレより少し大きく観光客もチラホラ見かけた。今回一番気に入った村と言えるかもしれない。カフェの中の小さな窓のそばでお茶をいただいたが、窓の下に見える景色もまた素晴らしいものだった。

そしてアヴィニョンへと戻った。

今夜はアペリティフはアヴィニョンの城壁を出たところに住むヴェロニックの家で取るそうだ。そこにはアンリ夫妻もやってくることになっていて、アペリティフのあとはクリスチーヌ宅へ移動して、夕食という運びだそうだ。





なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

2023-03-16 08:21:44 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日はアルルからアヴィニョンに向かう日である。

最後の朝食もやはり、いつものパン屋さんで。

 

近くのスーパーの店員さんは、すっかり顔なじみになり、「日本人」だとわかると、色々話しかけてくれる。こういう触れ合いもまた楽しい。

 

そして少し散歩をして、早めのお昼を、クリスチャンにお礼も込めて、ふるまう?ことにした。

 

と言っても、日本人のマルシェで買った蕪やなすびなどで昨夜のうちに簡単に作っただけである。メインは日本から持参のお蕎麦と鰊で、にしんそばとざるそば。

クリスチャンとドリスは日本人のパティシエのお店のケーキを持ってきてくれた。

時間が押していたので、ドリスの運転でアルル駅まで送ってもらった。

ここで、再会を約束してお別れだ。

彼らは明日からバカンスに旅立つ。ギリギリまで本当によくしてくれた。

クリスチャンのおかげで疑似アパート体験ができた。もっとも中身はほとんどフランス人と一緒だったわけだが。

それでもありがたいことだった。

 

そして、20分ほどの列車移動でアヴィニョンへ向かった。

スーツケースは一つだったが、手荷物がいくつかあり、その様子を見ていた乗客の一人が、

「ここに置くといいよ」とか「荷物から目を離さないように気をつけて」と言ってくれ、降りるときも、その人はさりげなく後から手を貸してくれたのである。

日本人は狙われやすいと思い、親切にしてくれたことに感謝の気持ちを伝えたかったが、クリスチーヌが目の前に立って待っていてくれたので、お礼を言う間を失ってしまった。

 

実は、アルルからアヴィニョンまで私たちは2等車の切符を持っていた。 20分ほどの時間だし、停車駅として次の駅だったから1等車に乗ることも必要ないと思ったのだ。列車に乗り込み、クリスチャンたちが見送ってくれているので乗ったところ近くに荷物をとりあえずおいて名残を惜しんでいた。

列車が出発した後、近くの席に座っていたところ、上記の親切なムッシュが荷物はそこよりここに置いた方がいいよとかアドバイスしてくれ、その通りにした。ところがしばらくして気がついたのはそこは1等車だと言うことだった!!

 

フランスの1等車と2等車のグレードの差は、日本の新幹線のグリーン車と一般車両のグレードの差程大きくはなく、料金もそれに応じた設定になっている。それでも2等車の切符で1等車に乗ってるのは違反であることには間違いがない。乗り込んだ時右に行くべきところを、乗り込んだ近くの席に座ったのが間違いの原因だった。

 

で、どうしたかというと、実はそのまま座っていたのだった。気が付いた時もう10分ほど経過していたし、今更荷物をえっちら運ぶのも大変だし、もし車掌が来たら悪意はなく誤って乗ってしまったと説明し、罰金を払えばいいかと腹をくくったのであった。幸いにも天は私たちの味方をしてくれて、車掌は来なかった。これからは気を付けます。

補足:この列車は詳しく言うと、リヨン行で、たぶんアヴィニョンから明確な1等と2等になるのではないかと思われるのだが?。


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