フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

2023-03-15 08:52:30 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アルルで4泊して、明日はアヴィニョンに戻るので、今日が実質アルルの最終日。

ちょうどアルルで今回の旅の折り返し、つまり前半が終わり、後半に突入したところである。

朝は、クリスチャンの近くのおすすめのパン屋で買ってみた。毎日買いたいくらい美味しそうであったが、定休日やらなにやらで、結局一回きり。(リヨン夫妻のサンドイッチ以外では)

午後からお茶の予定があるので、午前中はまた散策。

アルルでランチと言えば、過去2度行った事がある小さなレストランがある。

スープドポワソンが一番好きな料理であるのは、この店のおかげである。

しかし、残念ながら、今日は定休日のようだ。

仕方がない。

 

アルルは小さな町なので、同じ通りをくるくる歩いているような感じである。

ニームで帰りの切符を予約してなくて、ストライキにあたり、大変な目に遭ったこともあり、またギリギリに切符を買う羽目になるのは避けたかったので、駅で予め切符も買っておこうと思ったのだ。駅員さんにも確かめ、とりあえず指定もない普通の列車の切符を買った。

 

お昼は今日は近くの惣菜店でほんの少しだけ買った。バスク地方のお店だったので、トルティーヤとコロッケのようなものにした。

左のパンがマルシェで買ったパンだが、これが本当に胃にずっしり重く感じた。↓

お茶の時間に合わせて和カフェへと向かった。

マルセイユで作られていると言う和菓子と抹茶や煎茶がいただける。

奥さんは日本人でご主人がフランス人だが、出会ったのはドイツ?とかで、フランスではなかったようだ。

可愛い男の子が一人いる。

またジョエルは娘や孫も一緒に合流し、みんなでワイワイしながらお茶とお菓子を楽しんだ。

折り紙教室のようにもなり、他の来客にも体験してもらえ、喜んでもらえた。



ジョエルは昨日、奈良で食べたぜんざいが美味しかったとしきりに言っていたので、このお店で出してみたらどうかとも、アドバイス?してみた。

この日本人女性はとても感じのいい子だった。

そしてジョエルとはここで別れた。再会の日はあるのだろうか。それはわからないが、またね、と言いながら。

 

クリスチャンはこの後、歴史的なホテル?を案内してくれた。ニームのマダムもそうだったが、教師という職業柄か、格式のありそうなホテルでも気後れすることなく、すいすいと入っていく。

そしてクリスチャンとも別れ、アルル最後の夜は、マルシェで買ったスープドポワソンを夕食にしようと、少し足りないものを買って帰った。

貸し家体験は、二人でまるまる一日過ごした日は無くなってしまったが、これも私達らしいと言えるかもしれない。

何より、人との触れ合いが好きなのだから。



明日は、お昼過ぎにはアヴィニョンだ。

 


ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

2023-03-13 08:47:37 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

リヨンの夫妻が夕刻、リヨンへ帰っていくのを見送って、いよいよアルルのアパルトマン生活が始まった。

 

お昼はしっかりステーキを食べていたので、夜はほとんど食事らしい食事をせず、果物とお茶くらいで済ませておいた。

 

翌日、リヨンの夫妻が来ることが決まっていなかった時に、クリスチャンの紹介で来日したアルルに住むジョエルと会う約束をしていた。軽く会うはずであったが、ジョエルはランチにクリスチャンとドリスとともに招待してくれたので、迎えに来てもらう時間まで、散策に出かけることにした。



まず駅の近くのモノプリまで行き、そこから古代劇場や、円形闘技場などを通りながらゆっくり戻ってきた。

フランス人による「居酒屋」もあった。

ゴッホのカフェのあるフォーラム広場や、クリスチャンが教えてくれた日仏夫妻による和カフェの前も通った。

あっという間に迎えの時間が近づいたので、大急ぎでアパルトマンへ。

 

時間通りに迎えに来てくれたクリスチャンとドリスの車でジョエルの家へと向かった。

彼女は鍼灸?みたいなことをしていると来日時も言っていて、その診察室が横についている家だった。

 

白ワインから始まり、手料理でのおもてなしだった。

メインのチキンもデザートのリンゴのクランブル?のようなケーキもあっさりしていて助かった。

彼女は食事にも気をつけているのだ。

何でもイスラエルへの移住を計画していると言っていた。何かが彼女を動かしたようである。翌々日ドリスとクリスチャンから聞いたのだが、彼女はユダヤ教の信者になり、それ以来食事も制限しているとかで、外食はかなり難しいと言っていた。

そんなことはこの時はもちろん知らず、日本の一般的な神様の話をしたとき、道理で彼女の様子が変だった。

 

数年会わない間に変わったこともある一方で、日本の旅行はひとり旅だったが、その思い出はとても大事にしていた。

彼女の人柄だと思うが、日本でいろいろなところを旅し、親切にしてもらうことが多く、伊勢志摩へ行ったときには、日本人の家まで招待され、プレゼントをもらったとも言っていた。

 

この日も娘と孫を私達に会わせたいと呼んでもくれていた。

そして、まだ名残惜しいようで、翌日も一緒にお茶を飲みに和カフェへ行こうと言うことになってしまった。

 

つまり、私のアルルの滞在の最終日である。結局、丸一日フリーの日はなくなったというわけだ。それでもこんな風に言われると、断ることはやっぱりできないのだ。




スリリングな場面に遭遇!!突然、一人の男を二人の警官が・・

2023-03-09 11:53:17 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

川向こうへ行くため、橋を渡り階段を降りようとしたその時、ものすごい勢いで、私たちの横を走り抜ける男がいた。するとそのあとをまた別の男が追いかけていた。三人目は拳銃を持った男、つまり警官だった。

まるで、映画の1シーンのようだった。

まだその時は何が起こったのかわからなかったが、階段を降り切ったところに、オートバイが倒れていて、パトカーが停まっていた。

そう言えば、アンリ夫妻にアルルに送ってもらい、夕食を済ませてアパートに戻るとき、私がアニエスに「アルルは夜歩くと危険なところがある?」と聞いたら、「アパ―トの近くは大丈夫だけれど、車を停めた橋の向こうは少し危険だと思うから夜は行かないで」と言われたことを思い出した。

「そういうことがわかるの?」と聞いたら、「だいたいわかる」と言っていたので、フランス人は危険なところをかぎ分ける嗅覚があるようだ。

 

そんなスリリングな場面を見た後、お祭りが行われるサント・マリー・ドゥ・ラ・メールの方へと向かった。

もう終わっているのではないかと思った。

着いた時はすでに16時くらいだった。

運よく?最後のショーが行われるところだった。

闘牛士の学校の学生たちが雄牛の角につけられたリボンのような物を取るショーだったが、猛スピードで走ってくる牛を上手によけないと大変な事故が起きるとあって、ショーとは言っても真剣そのもので、時々牛も柵を超えるので、ひやひやした。

「カルメン」の音楽が流れ、短い時間だったが、堪能できた。

終わった後、表彰式もあり、民族衣装を着た老若男女が整列し、競技場を一周する。観客はショーが終わってほとんど退場していたが、表彰式もまた興味深く見ていた私たちにブリジットは「やっぱり日本人は違うわね。フランス人はさっさと帰るのよ」と言っていた。

 

せっかく来たので、少し近くを散歩して帰路に就くことにした。

マルシェで長い時間がとられ、朝食抜きになった時は、どうなることかと思ったが、終わり良ければ総て良しではないが、短いこのショーを見ることができてすっかり気分はよくなっていた。

「ギリギリで間に合ってよかったね」という私たちに、ブリジットのご主人のKさんも一時は無理だとあきらめていたであろうが、「これもすべて計算していたんですよ」と笑った。

 

このまま車でアパートまで送ってもらい、そこで彼らは荷物を積み、リヨンへと帰って行った。

 

この夫妻に、このあと、パリ滞在中に助けてもらうことになるとはこの時は、もちろん思いもしなかった。


補足・・・毎日同じ服を着ていても、誰も何も言わない。

2023-03-09 11:49:25 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

アルルのマルシェで会った日本人

二人の日本人がマルシェで自分が作った野菜を売っていて、びっくりした。

 

1人目は若い男性で、九条ネギまで栽培して売っていたのだ。

アルル在住ではなく、マルシェのために来ていた。

 

その人がお世話になったと言うもう少し年長の男性にも会えた。

彼は確か奈良にも縁があったらしく、私たちが奈良から来たと言うと驚いていた。

たくさんの国に滞在したと言う彼に「なぜフランスに住んでいるのか」と聞いたら、

「毎日同じ服を着ていても、誰一人、奇異な目で見ることもなく、尋ねられることもない、そういうフランスが楽(好きというよりは、楽というようなニュアンスだったと思う)」と言った。

 

それには大いに同調できる。他人の目を気にしている人の多い日本。なんとか警察というのまで現れる始末である。

フランスはそれに反し、個性を認める国、というか、人と同じであるよりは人と違っているほうがいいとされる国、違っていてもそれをとがめることなどないのである。お国柄ジョークで、飛び込めと言われ「みんなが飛び込んだから、飛び込んだ」と言われる我が国とは大きく違う。





リヨン夫妻のペースはフランス式ですべてがゆっくりである。

2023-03-07 11:15:52 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

リヨンの夫妻と迎えた朝は、支度をしてまずマルシェへと向かう。

朝食は昨夜決めた通り、マルシェの近くのカフェでとることになっている。

それがフランス式とブリジットが言うので楽しみにして。

 

このマルシェは長いことで有名だ。まず向かって右のほうへと歩いていく。

どうもフランスのものというより日用品も含め、北アフリカあたりのものがたくさん並んでいるような感じであった。

端まで歩いたのち、出発したあたりまで戻り、そこから向かって左の方のマルシェへと歩き出した。衣料品を通り抜けて、やっと食料が並んでいるところへ来た。

マルセイユでブイヤベースが食べられなかったので、おいしそうなスープドポワソンを買ってみた。

パンも買ってみたのだが、このパンは高級な?部類だと思うが、小麦と書いてあったにもかかわらず結構黒っぽくて、胃にずっしり来るパンで、後で結構苦しむことになった。

やはり慣れないものより、普通のバゲットやクロワッサンのようなパンのほうが私には合うようだ。

さて、このマルシェで長く時間を費やし過ぎ、朝食どころかお昼を大幅に回っていた。

もう朝食を取るのをやめたのだなと、私たちは思っていたくらいだったが、マルシェを一通り見た後、ブリジットは「あら!!こんな時間になってる!!」の一言に、驚いたのは私たちであった。朝食をとる気持ちでいたのだと。

 

もうお腹はペコペコだった。

今すぐランチでもなんでも取りたかった。でもまだ悠長に「アパートに帰って食べる?」「その前に軽くアペリティフと何か飲む?」ときた。

この時間でそんなことしていたら、もう闘牛は見ないつもりなのか。それはそれでいいけれど、お腹がすきすぎて、これから何かを作って食べる元気はもうなかったので、どこか店で食べたいと言ったのだが、もうすでにランチの時間がすぎ、よさそうなところは終了時間ということで断られたり、休日で休みのところも多かった。よって選択肢は少ない中で選ぶしかなかった。

それでもこの地方のTaureauという去勢されていない雄牛のお肉を食べることにした。赤ワインで煮込んだものが有名らしいが、この店のランチはステーキだった。

かなり固い歯ごたえのある牛肉だった。

もう今日はお祭りに行けないなと言う時間だったが、「さあ、行きましょう」となり、川向こうの駐車場へと歩き出した。

すべてがフランス流時間の過ごし方か・・・

 


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