フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

アルルの博物館で日本好きの職員と話し込んでしまった。

2023-03-06 13:59:34 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

リヨンの夫妻がアルルに来てランチを取った後、街歩きに出かけることにした。

すべてがフランスの時間の流れなので、出発したのは3時を回っていたと思う。

そして、アルルの民族博物館へと向かう。アルルは小さな町なので、少し歩けば観光スポットがある。

たぶん私たちだけだとあっという間に見学が終わったと思うが、すべてがゆっくりである。

博物館を出るのも最後になってしまった。

というのも、この博物館の職員が日本から来たのかと聞いたので、そうだと言うと、黒沢映画が好きで日本へのあこがれをずっと持っていると話し出した。

こうなるとフランス人は止まらない。確かマルセイユ近郊に住んでいるようなことを言っていた。合気道をしているなどとも話していた。

たぶん来日は難しいかもしれないが、一応連絡先を渡してみた。それを見ていたリヨンの夫妻、特にブリジットは「どうしてフランス人の友だちが多いのか、わかった。そうやって連絡先を交換し、増えてきたんだね」と感心している。

 

実はこの夫妻の娘さんがパリで研修のための宿というか6カ月以上なのでアパートを探しているとき、何と私に相談があったのだ。「どこか知っているリーズナブルなところがあるか」と。フランスに住んでいるフランス人がフランスでの滞在先を知らないかと日本人の私に聞いてきたのである。

これには驚いたが、いくつか候補を挙げたそのうちの一つでこの娘さんはアパートを借りることになったのだった。

もちろんその時は、とても喜んでくれたが、8月からずっとそこに滞在している娘さんは私たちがアルルにいた時も滞在していたが、そのことに言及することはなかった。恩に着せるつもりは毛頭ないが、何か気に入らないことでもあるのかと心配になるくらいだが、フランス人は日本人のようにいついつまでも「ありがとう」と言わないのかもしれない。

ちなみに今もまだそこにいるので、そこそこ満足はしているはずである。

 

話がそれてしまったが、その博物館の職員に夕食の買い出しのための美味しい惣菜店を夫妻は聞いて、博物館を後にした。

 

アルルの円形闘技場まで足を伸ばし、クリスチャンおすすめの日本人パティシエの店でデザートのケーキ(夫妻の結婚記念日でもあったので)を買い、総菜を買ってアパートに戻った。

 

惣菜なので、温めるだけで、すぐにテーブルへ。

飲み物は夫妻がリヨンから持ってきてくれていた。まずアルコールなしのビールはフランボワーズ味などフレーバービール?だった。

そしてやはり彼女の地元に近いところの発泡酒はデザートに合わせるのがいいそうだ。

ケーキもそれぞれ味見がしたいので、それぞれにケーキカットをしていただいた。

明日の予定を話し合った。明日はアルルのマルシェ(有名だそう)にまず行き、そこで朝食を食べ、そしてそのあとは、車でちょうどお祭りがあるので、闘牛のような物を見に行くことにした。

今日の彼らのペースを見ていて予定通りに行くかどうか普通は心配になるはずだが、、この時はまだ疑いもせずにいた。


アルルにリヨンから日仏カップルが到着。

2023-03-03 08:47:52 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

アルルで一泊して目覚めた朝、まずリヨンの日仏夫妻が来る前に、軽く朝食を取ろうと思ったが、毎日ごちそう三昧で、胃を休めたくなり、温かいほうじ茶を入れて、パンも買わず済ませた。

ニームのマダムが焼いてくれたクロッカン↓

すぐ近くの小さなスーパーへ買い物に行ったが、帰ってきたときアパートの鍵に苦戦した。古いアパートによくあるように、簡単には開かなかった。部屋の鍵も同様で、一度は隣の女性が助けてくれた。「クリスチャンの友だちの日本人ね。彼は日本に恋しているからすぐわかったわ」と。クリスチャンの日本好きは有名なようで,そのおかげで親切に預かれてラッキーであった。

 

リヨンの二人は6時過ぎにリヨンを出て、車で休憩しながら到着したのは10時過ぎだった。

昨日アンリ夫妻もクリスチャンに駐車場について聞いていた。このアルルもアヴィニョン同様、町中への車は住民に限られているようだ。川の向こう側の町なら無料で停められる駐車場があるということを事前にクリスチャンに確認していたことを伝え、リヨンの夫妻もそのようにしていた。

 

久しぶりの再会(2019年のクリスマス以来)で、まず部屋を見てもらう。

実は彼らは最初日帰りの予定だった。車か列車か迷い、車で来ることになったので、寝袋を持ってくるから一緒に泊めてもらえないかと尋ねてきたのだった。

もちろんクリスチャンは断るはずもなく、「寝袋の必要はない。もう一つの寝室を使ってもらって」と言ってくれた。

1階がリビングで、2階に寝室が二つあり、シャワーと洗面もある。また一つの寝室の中には小さなシャワーと洗面もあり、二組でも全く問題もなかった。

 

クリスチャンは時々部屋貸しをしているらしく(アルルは写真祭という有名なお祭りがありその時は宿の予約が大変難しくなるそうで、その時他国のカメラマンからの要望で貸したのが始まりだったとか)、ゲスト用の使い方のファイルも置かれていた。(今回もだが、そういう時彼は彼女のドリスの家に転がり込む)

 

まずお昼の調達に行くことにした。すぐ近くに美味しいパン屋があるのはクリスチャンから聞いていたので、サンドイッチ用のバゲットを買いに行った。

リヨン夫妻の奥さんのブリジットは、「あまり固すぎないバゲットを」とリクエストしていた。そんなこともリクエストできるのだと言う。

 

小さなスーパーで、チーズ、ハム、野菜、バター、マスタード、くだものなどをとりあえず買ってくれた。


ほとんどブリジットが作ってくれて、早速お昼をいただくことになった。


今回の旅で私たちのアンリへの評価は相当落ちてしまった理由

2023-03-02 09:01:06 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

 

アンリ夫妻宅での滞在は、彼らの顔を立てるためと言ってもいいくらい、彼らの友人宅に行ったり招いたりで、アルルへの到着がかなり遅くなってしまった。しかしクリスチャンは仕事を休んで待ってくれたにもかかわらず、文句どころか変わらぬ笑顔で迎えてくれた。

 

一通り今夜からの家の使い方を説明してくれた後、アンリ夫妻も一緒にクリスチャンの夕食の招待で、ラーメン店へと向かった。

このラーメン店は日本の名前がついていて、サービスの女性もアジア系だったので日本人だと思い込んでいたが、まったく笑顔がなく、いい感じがしなかった。

最初はよく出会うフランス人には愛想がいいが日本人には愛想がない日本人なのかと思った。

でもよく考えると、日本語を一言も話さなかったし、顔は日本人のようでも違うのかもしれない。しかしこの店に来るフランス人は日本の店だと思っているし、彼女のことも日本人だと思うだろう。それが日本人への評価につながると残念な気がした。

 

私は残念ながらラーメンを日本でも食べることがないので(麺類は好きなのにラーメンだけは昔から好きではない)、ここでは丼をいただくことにした。するとアニエスも以前アヴィニョンのこの店のチェーン店に行ってラーメンを食べたがやはり好みではなかったらしく私の注文と同じものにした。そして「おいしい」と喜んで食べていた。

かつて彼女とアンリも来日時に、さんざん日本食店に行った後に、和食が食べられないという事実を知りショックを受けたのだった。彼ら曰く「カレーは食べられるし、天ぷら、とんかつも食べられる」と言っていたが、まあそれに鉄板焼きやお好み焼きが食べられる程度であった。

そんな彼女も丼は大丈夫ということらしい。

ここでクリスチャンの彼女のドリスと合流した。アンリ夫妻はこの時ドリスとは初対面だったが、彼女の印象はかなり良かったようで、私たちの帰国後、彼らを家に招待したらしい。(後出のベロニックやクリスチーヌとともに)

また最近はアニエスの作品展の案内もクリスチャンに送り、クリスチャンはドリスとともに駆け付けたようだ。

 

いよいよ今夜から短い疑似フランス生活体験が始まる。

5泊するなか、すでに1日はアンリ夫妻に振り回されて、夜からのスタートになった。

 

さらに明日から一泊の予定でリヨンから日仏カップルがやってくる。私たちのアルルの生活体験もまたフランス人とともになりそうな気配がしてきた。

 

なかなか自由にはさせてもらえない。

 

アンリは自分たちのことを棚に上げて、「君たちは、自由な時間を過ごしたいからとリヨンの夫妻に言うべきだ。なんでリヨンから来て、一緒に泊まって2日もつぶしてしまうのか」と言っていた。





チョコレート職人フレデリックは、MOFに認定され、店も大きく!!              

2023-03-01 09:26:40 | 2022年秋:3年ぶりのパリ、そして南仏

今日はアンリの家からアルルのクリスチャン宅へ移動する日だ。

本来なら遅くともお昼過ぎには着きたかった。クリスチャンは最初は仕事があるから彼女のドリスが待っていると言っていたが、結局休みを取ってくれていたのだ。

 

しかし、アニエスは、今日は「マッサージの予約がある」とのんびりしていた。

朝ごはんをゆっくり食べていて、1時間時間を間違えていたことに気づき、大急ぎで出て行った。

彼女が戻ってくるまでの時間に庭のもので生け花をというリクエストもあった。



戻ってきた彼女とアンリは今日は朝から彼らの住むシャトールナールの町中へ今から行こうと言う。

日本に何度も来たことのあるチョコレート店の友人、フレデリックの店へも行くと言うので、それは私も希望していたので、一緒に出掛けることになった。


2007年に訪れたときは、まだ小さなお店だったが、MOFという最高職人の名誉を受けて大きな店になり、サロンドショコラで日本でも有名になり、いまや、この店に日本のショコラティエが研修に来ているとのことで、この時も二人の日本人女性が来ていて、そのうちの一人と話すこともできた。

日本では高くて手が出ない彼のチョコレート(それでもすぐに売り切れになる日本)をいくつかいただくことにした。

以前はオーソドックスなチョコレートがいいと思っていたが、彼のチョコレートを食べると、ただのフレーバーチョコではないことが今はよくわかる。繊細な味がして、素材を大切に作られていることを感じる。

 

フレデリックの奥さんはチベット人なのだが、この日は家にいるとかで、会えなかった。チベット人は私たち日本人とよく似た顔をしているので親近感がある。美しい娘さんもサロンドショコラで来日した際に会ったこともある。この日は二人ともいなかったが、フレデリックの弟さんがいて、彼もまた感じの良い人だった。(いつも店で販売を担当しているようだ)



今日もまた近所の人を家に招待するとかで、その前にお昼を済ますため、今日のランチは私のお気に入りのキッシュを作ってくれることになった。

 

今回初めて彼らの家で戴く食事だった。

客人が来る前に、時間があったので、アニエスは私を誘って近所の家を訪問した。

この家も近代的な設備の整った家で、新品だが持越し品なのかsaleより安い値段で個人販売しているらしかった。アニエスはそう言うものを上手に利用しているようである。

訳が分からず連れてこられたので、予定もなかったが、10ユーロ均一(1,000円ちょっと)のものをいくつかいただくことにした。

 

戻ってくると、客人は二人お待ちかねだった。アンリ夫妻はこの客人のために茶道を披露してくれと言っていたのだ。

日本に興味があると言う年配の男性と女性ということだったが、特に男性の方は本当に興味があるのかどうかわからない感じがしたが、とりあえず茶箱を出し、簡単に紹介した。

フレッドのお店で買ったケーキを茶道のあとに↓

アルルへ向かうために出発したのは、17時を過ぎたころだった。

まるで夕食を一緒に食べに行くようなものだった。

 

実はこのアルルの滞在は5日間クリスチャンの家を借りるプチ生活体験で、いわばこの旅で一番楽しみにしていたことであった。もちろんそれを伝えていたが、アンリ夫妻はどこまでも自分たちファーストであった。

 


フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング