テレワーク(在宅勤務)をしていると時々罪悪感を感じる。
出社しているのが、正しいあり方で在宅勤務(テレワーク)をしているのは
なにか特別な理由があるから
というような概念が抜けていないせいかと思う。
もちろん会社の制度内で実施していることなので後ろめたいことなど何もないのであるが、
頭のどこかで出社している人たちが
「こっちは毎日会社に来ているのに、なぜあいつはほとんど会社にこないのか?」
とかいわれているんだろうなぁって思ってしまう。
本当にそんなことをいっているかどうかは、実際にはわからないのであるけど
自分は勝手にそういうふうに思ってしまう。
自分の中で、テレワークというのが会社でできる仕事を家でしているだけと思っているのかもしれない。テレワークの自律性というような観点から考えると
まず、仕事における軸を先に決めるべきであり、その軸に基づいて仕事をするので
あえばどういったやり方で実施するのが効率的できるあるかを考えてテレワークを行うことができれば、変な罪悪感がなくなるのではないかなぁ?って思う。
周りの人間もそういう観点からのテレワークであれば、推奨だねってなれる気がする。そういう環境がそだっていかないとテレワークというような業務形態がなりたたないと思う。
在宅勤務、テレワークがよくてすべてが在宅でできればいいなんて言うことは思っていないが、あらゆる選択の可能性を残している企業が今後残っていける企業ではないかと思う。
今働く側がもとめているのは、高い給料を支払ってくれる会社ではなく(そういう人もいるとは思うけど)自分の価値を認めて自分の存在感を表現できる場所を提供してくれる会社というのが、求められている会社ではないか?
と思うようになってきている。
では自分の価値とは・・・・となってくると難しいことである。
そもそも自分の価値を自分が見つけることができるのか?ということもある。
価値とは、人にとって有用であることとすると価値のある自分とは、ほかの人に とって利益をもたらす人ということになる。とすれば自分ではなかなかその価値を見つけることはできない。
まずは必要とされていることをどんどんこなしていく中で、
あっこれよろこばれているなぁっていうことを伸ばしていくことが自分の価値を伸ばすことではないかなぁ?
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