一昨年7/5交通事故 抜糸~傷口開き~自宅治療
右ひざ下中央真横一直線 横11cm 縦3cm
かさぶた状態の壊死した皮膚、左上3cm弱傷口開いた状態
毎週火曜日担当医の提案で自宅治療が始まりました。
医者からの処方箋で消毒薬、化膿止め軟膏もらい、薬剤師さんが
ちょっと不思議そうで、私
「先生に自分で治療しなさいと言われ・・・」
と説明してました。
脱脂綿はボール状態になってピンセットつきが売ってました。
ガーゼ、包帯買い揃え帰宅。
軽い気持ちで浴室に入りシャワーを傷口に当てました。
ウーン~気持ち悪い・・・
壊死したかさぶた状態の皮膚が少しずつ溶けていきます・・・。
徐々に肉が見えてきて・・・。
右ひざ下中央骨を挟んで右のほうが溶けていき・・・。
左半分のほうが傷口深かったようです。
皮膚に近いほうが溶けていき粘りがありクモの糸のような糸1本で
つながって、引っ張ても切れない・・・痛みはないけど・・・。
次回に残しましょうでがんばりました。
とにかく想像もしてない経験で私が何故こんなことを?
無理・・・気持ち悪い・・・でも1週間後の火曜日じゃないと・・・
明日違う先生に診てもらっても・・・
覚悟決めてがんばりました。
少し壊死したかさぶた状態の皮膚が剥がれ、
肉が見えた所に消毒液脱脂綿に含ませ拭き・・・
痛くないけど・・・気持ち悪い・・・
感覚ないけど気持ち悪い・・・
化膿止め軟膏はガーゼに塗り貼り付け包帯巻き終了。
食欲なくなり・・・。
医者はとにかくかさぶたを早く剥がすのがいいとのこと。
じゃないとかさぶたの下が腐れていく?
皮膚再生が出来ないということ?
朝も同じ治療・・・気持ち悪い・・・食欲なく通勤
昼も食欲なく・・・痩せるわーと思い少々気持ちに救いが・・・
でも反対に帰宅後治療前に食べる・・・異常に・・・。
慣れることはなかったですね。
1週間後病院へ右半分剥がれ真ん中が皮膚と糸一本でつながり
自分で引っ張ても気持ち悪くなり出来ず先生に任せましたら
先生思いっきり引っ張り・・・私ギャーッでした。
血が出てきました、全く痛みはないけど・・・。
少しですけどそこだけ本当のかさぶたになってでした。
後は左半分・・・。
他に1cm弱で傷口開き肉が見え数日で皮膚再生でふさがるのを
病院にいかない1週間の間に経験してたので、
なんとなーく今後の展開は見えてました。
かさぶたの塊から抜糸したはずの糸が出てきました・・・。
先生に診てもらい抜いてもらいました。
とにかく左半分壊死した皮膚は分厚く大変でした。
肉が5cmぐらい全開になって最後の壊死皮膚は
先生に任せました。
難しい残り方だったので自分で引っ張ることできず、
先生は、はさみで最後切って肉全開となりました。
肉全開の後は・・・
先生いわく、ここから長いと・・・皮膚再生待ちです。
治療法は消毒と皮膚再生を助ける軟膏?を塗るでした。
夏場で化膿するのを一番心配しましたが、がんばりました!!
ここから2週間に1回の通院となりました。
皮膚再生は順調に最後の最後真ん中がふさがったときは
感動というか、ふさがる瞬間を見れるわけもなくなのに
自宅に居るときは心待ちに見つめてました。
7/5の手術から傷口完全にふさがったのは11月末、
全治5ヶ月の大怪我でした。
傷病名は「挫滅創」 後遺障害が「瘢痕」でした。
右ひざ下中央骨挟んで真横一直線横11cm縦3cm
皮膚再生後は元に戻るようにマッサージをするよう
指導されました。
今では肉がある程度盛り上がり?思ったほどくぼむことなくでした。
先生の理想どおりになりました。
これが最善の治療法だと大納得ですね。
後遺障害の請求できるぐらいの後は残ってますが、
娘も自分も毎日見続けてきたので、きれいになったと思ってます。
途中調剤薬局に切れた薬もらいに行くといろいろ聞かれ
事情説明しますと
「肉ってピンク色で綺麗でしょう?」
と言われました。
確かにかも?
病院は完全予約制で治療もなく、傷口診るだけでしたが・・・
毎回どっと疲れてました。
何故か専門的なことを言われ私は???で聞き返すと
授業受けてるみたいに説明受け・・・初めて聞く言葉ばかりで、
漢字で書いて教えてくれますが筆ペンの毛筆です。
ちなみに診断書も毛筆でした。
そんな先生でした。
その頃菊池弁護士知りませんでしたので・・・
秘密のアッコちゃんの友達のよしこちゃんの弟三つ子?
にそっくりの先生と言ってました。
本当に貴重な体験をしてしまいましたが、大怪我でありながら
事故直後から痛みもなく普通に歩けてましたので
説明しないと誰にも気づかれずでした。
順調な回復状態の途中でも
傷口開く夢みて怖い思いもありましたが、
精神的な後遺症もなくだと思います。
事故直後はバイクのエンジン音が聞こえると少々ざわーっと
きましたがもう大丈夫です。
ただ横断歩道渡るのは慎重になりました。
タクシーが止まってくれるのが怖いのか、
無意識に横断歩道から離れたところで車が切れるのを待
つようになりました。
事故直後歩いて近くの救急病院へ行き断られて正解でした。
その病院は評判悪く診てもらってたら・・・。
娘が保育園通ってるときの同じクラスのお母さん勤めてまして、
やぶ医者で間違っても診てもらわないように言われてたの
思い出しました。
事故当日の対応からも明らかですね。
悪評聞いてから十数年経ってるし、と思いましたが、
救急車で運ばれた病院の看護婦さんに意味有り気な言い方で
「経営者が同じだと変わらないわよ・・・」
確かにそうですね。
私は事故直後から加害者より断られた病院を責めてました。
でも診て貰ってたら・・・歩けなくなってたかも?
以上、傷との闘いの話しでしたが・・・。
加害者の原付バイクの人は事故翌日菓子折りを持って誤りに来ました。
それから加害者対被害者の闘いも始まりました・・・。
つづく