「そろそろベッドに行くわね。おやすみなさい、ジョウ」
23:00。リビングで寛いでいたアルフィンが言って、ソファから立ち上がりかける。それが、タイミング。
「あ、ああ」
ジョウが左右を窺って人がいないのを確かめてから、アルフィンにつられて立つ。
アルフィンが期待に満ちた目で彼を見上げる。ジョウは一瞬、ぐ、と詰まって赤くなる。でも何気ない風を装って、ジョウはアルフィンに屈み込む。彼女の頬に顔を寄せて軽い口づけを落とす。
唇がそっと掠めて、離れていく。
「……おやすみ」
依然赤いままジョウが囁く。ん、とアルフィンが笑みを湛えて再度「おやすみなさい」と言って私室に向かった。
自動ドアが彼女の姿を呑み込んだ後、ジョウははああああと深く息をついて、もう一度ソファに沈み込んだ。
「これが毎晩かよ……。理性が保たないぜ」
ことの発端は「アルフィン、今年の誕生日のプレゼント何がいい?」というジョウの質問だった。
1月の彼女のバースデイ。どれだけ頭をひねっても、気の利いた贈り物が思い浮かばなくて、悩んだ末ええいままよとばかり本人に直接聞くという禁じ手を犯した。
それがきっかけ。
アルフィンは貴金属、できれば指輪と言いかけた口をすんでで閉じた。
そして思い直して、「ええと、物じゃなくてもいいかな」と言った。
「物じゃないもの?」
「うん。できればね、そのう、キスがいいな」
アルフィンが恥じらった。
「キス」
ジョウが面食らう。思ってもいない回答がきた。
アルフィンは上目で彼を窺い、こう言った。
「一日一回、眠る前におやすみのキスをしてほしい。あなたから。プレゼントはそれがいい」
「ーーー」
ジョウは思わず天を仰いだ。くあああ―というのが内心の声。
なんって、可愛いこと言うんだ。作為的じゃなくて、天然? 天然なのか。これって。
壊滅的な可愛さじゃないか。いったいどーなってんだよ!?錯乱の余り、ジョウは頭を掻きむしりたくなった。誕生日プレゼントに俺のキスがいいって。おやすみなさいの。
「ジョウ。大丈夫?どうしたの」
「い、いやどうもしない。そ、そんなのでいいのか、本当に。金が一円もかかってない」
「失礼ね。あたしにとっては大事なものよ。お金がかからなくても」
ツンと拗ねる。
人差し指で自分のふっくらした唇をちょんちょんと触って、
「マウス・トウ・マウスじゃなくていいの。恋人どうしの、濃厚なキスじゃなくて、ほっぺたとかおでこの、ライトなキスでいいの。眠る前の、安眠のためのおまじないみたいなものよ。だめ?」
小首をかしげて尋ねる。ーー可愛い。拗ねた顔も滅茶苦茶可愛い。ともすれば胸の内がダダ洩れになってしまいそうだった。
だからこほんと空咳をして、ジョウは間を持たせる。
「俺は、やぶさかでない。全然。で、期限はいつまで?」
「んーそおねえ。それは、まあ、状況を見てでいいんじゃない? 三日とか一週間とか句切るのも野暮な感じ。プレゼントなんだから、ジョウが決めてよ」
無邪気にアルフィンが言う。
そんなの……、一生ずっとって言ってしまいそうだ。そう思ったが彼はなんとか口にするのを思いとどまった。
ということで、アルフィンのバースデイ前日から、毎夜、私室に行く前にジョウからのおやすみのキスを贈ることがはじまった。
ちゅ、と最初は頬から。かがんで、瞼の下あたりに、唇を置く。
アルフィンはくすぐったそうにそちらの方の目を閉じて、彼のキスを受ける。そして、「おやすみ」と部屋に引き取っていく。
次の日も、また次の日も。彼からのおやすみのチュウは続く。
時にはおでこ、瞼の上、こめかみと、場所は変わったが。マウス・トウ・マウスだけは微妙に避けていた。アルフィンもそれ以上は求めず、ジョウの口づけを受けた後は機嫌よくベッドに向かった。そしてぐっすり眠れているようだった。
しかし、ジョウのほうはそうもいかず……。
「なあ。俺ばっかりキスするんじゃなくてさ、その、アルフィンからもお返しとかたまに、しないか?」
ある夜、いつものように頬にキスを刻んだあと、おやすみいと部屋に行きかけたアルフィンの背に、つい声をかけてしまった。
夜ごと溜まっていった欲求不満。不完全燃焼。焼けぼっくいのように、ぶすぶす燻ぶっていた思い。
呼び止めてからあれ、と思った。アルフィンも肩越しに振り返り、目を見開いている。
急激に照れが襲ってきた。かあああっと頬が火照る。
ジョウは口を手で覆い、「いやすまん。今のなし」と言った。
でもアルフィンは「そおねえ、確かにそうかもね」と彼の許に戻り、ジョウの腕に手を掛けて背伸びした。
ちゅ、と右頬にキスをする。
いい匂いーーというのが、彼の頭に真っ先に浮かんだことだった。そして唇、柔らかいという感触が生々しく襲って。
アルフィンはえへへと悪びれずに舌を出して、じゃあねと今度こそ踵を返して行ってしまった。
「~~~うああ」
ジョウはその場にしゃがみこむ。撃沈だ。まさに。
バクバクと今更のように心臓が踊り狂う。それを胸の上から押さえながら「……あいつ、心臓に悪いぞ、っ」
捨て台詞にもならないものを口にしてジョウはがっくりとうなだれた。でも、自分で振ったことを、後悔はしなかった。
そんな風におやすみのキスを重ねていくと、次第にそれは熱を帯びはじめる。
交互に贈り合うだけではなく、やがて自然な流れとして唇と唇を求め合う口づけに変容していった。
アルフィンのおとがいに指をかけて上向かせ、ジョウが口をふさいでいく。
それはそれは甘く。
「……、ん、っ」
つい、艶めかしい声が口を衝いて出る。アルフィンはたまらず目をきつく瞑る。
ジョウは壁際に彼女を追い詰めて、キスを続けた。舌を、ためらいつつも彼女の口腔に挿しこむと、アルフィンの膝が崩れた。がく、と立っていられなくなる。
「ジョ……、まって」
彼にしがみついて態勢を立て直そうとする。でも、その身を壁に追い詰めてジョウは深追いした。
止まんねえ……ムリ。
毎晩毎晩、甘いキスに酩酊しそうになったところで「おやすみ」とアルフィンが身をひるがえして部屋に行ってしまう。そんな寸止めの繰り返しのせいで、ジョウの若いからだはもう爆発寸前だった。とてもじゃないが、今夜は収まりそうもない。
「ジョウ、これってもう、おやすみのキスの範疇、越えてない?」
腕の中で息継ぎをするようにアルフィンが泣き言をいう。
「とっくに越えてるよ」
「やっぱり」
「ーー俺の方がプレゼントもらってるみたいだ。毎晩」
アルフィンの頬を両手で挟み、キスを落とし込みながら、ジョウは囁く。
彼女は幸せそうに微笑んだ。
「それは何より」
「なあ、仕掛けた? 俺に」
「何のこと?」
アルフィンがとぼける。でも紅い舌先がちろッと覗く。
まあいいさ。--ジョウはもう一度アルフィンにキスを与えて「なあ、今夜はここでおやすみはなしだぜ。頼むから」と懇願する。
青い目を見つめ、真剣な顔で言った。
「……うん。一緒に眠ろうか、今夜は」
アルフィンはそう言って彼の首にしなやかな手を回す。
猫のように身を摺り寄せた。
アルフィンの背を抱いて、ジョウは「うん」と彼女の金髪に鼻先を埋めた。
……こないだ、試供品でもらった、街頭キャンペーンのあれ。セーフ&SEXのやつ。確か部屋のクローゼットに置いてあったよな。
アルフィンの唇を味わいつつ、ジョウは頭の片隅でそんなことを考えていた。
END
pixiv投稿の「珍しく防戦一方」の続編です。ふたりの「きちんとした状況」を描きました。
姫が意外と策士になってしまいました。物より思い出、のおねだりが一番効果的。
Jのは忘れないんですが、姫はバレンタインとごっちゃになる。。。ごめんなさい。
「使うあてはない」とか言うから姫の負けん気に火がついちゃったんじゃ無いかと邪推します。陥落まで2週間保ったのかな?姫、やりよる。
「状況」のお話、きちんとしたのもしてないのもプランA,プランBの両方読みたいですーと図々しくお願いしようと思ってたんですが先を越されました。気が向いたらぜひプランBも…切望します。(そういや劇場版には破れかぶれのプランCまでありましたっけね)
J君の「やぶさかではない」に笑いつつ、ねえ、試供品の一個で足りるの?大丈夫?と心配しております。裏表間違えない様にね!