「俺、あの子に手出してなかったんだな、良かった……」
俺が言うと、タロスは面食らったような顔をした。
二人きりで、今後のスケジュールの見通しを立てたところだった。俺の仕事における能力(判断力や俯瞰力、決断力など)は、手術前と何ら遜色がないと判断してくれたようで、タロスから声をかけてくれたのだ。
記憶に欠損が出来ているのは、ここ数年の人間関係のことのみで、クラッシャーの仕事についての資質やノウハウも失われていないようだったので、俺も内心ほっとしていた。
「……アルフィンのことですかい?」
「ああ。純粋にクルーとして雇い入れてたみたいで、下心とかじゃないようでよかった、と思ってさ」
タロスは俺を斜から掬い上げるように見た。そして俺の口調から、本心からそう思っていると感じたらしく、
「何でそう思いました?」
と尋ねてきた。
「だってさ、あの晩、俺が風呂場から気安く裸で通路に出ただけで、あの慌てよう……、見ただろう。あんなの、俺が手、出してる訳ないよな」
アルフィンの反応を思い出す。ーーぷ、ぷぷっ。思わず吹き出した。
「確かに」
「だろう」
「ご機嫌ですね、ジョウ」
タロスが慎重に言葉を選んでいるのが分かった。
「ん、そうか」
「気に入りましたか、アルフィン」
直球で来た。俺は誤魔化そうかと思ったが、それも大人げないかと思い、「だって、可愛いじゃん。あの子」
と素直に言った。実際アルフィンはすげえかわいい。
タロスはなぜか肩透かしを食った顔になった。女の子のことをストレートに褒めるってことが今までなかったからかもしれない。
んー、とさらに慎重に言葉を選んで「いい子ですからね、アルフィンは」とタロスは言った。
「手、出したくならないですか。ジョウ」
手。
を出す?
俺はタロスを見返した。
赤くなっていたかもしれない。以前なら。でも、俺はなんでだか冷静だった。冷静に、そのことについて数秒、頭の中で考えを巡らせた。そして、
「俺、言ったよな今、お前に。手、出してなくてよかったって。それが答えだよ」
「……」
さしものタロスもそれ以上言葉を継がなかった。
「俺とアルフィン、なんともなかったんだろう? タロス。俺がこうなる前も、純粋にチームメンバー同士だったろ」
逆に訊いてみた。何が純粋で何が不純となるのか、俺の中でよく分からなかった。指針が、ない。このお目付け役は俺とアルフィンのことをどう思っていたのだろう。興味が湧いた。
「さあ……アタシには、なんとも。二人の、ことでしょうし」
言葉を濁した。タロスが断じないということは、その可能性もあったのか、と思い食い気味に訊いた。
「あったのか」
タロスはかぶりを振った。そして唸るように言った。
「どうだったかなんて、アタシには分かりませんよ。それこそ、アルフィンに聞くしかねえんじゃないですか。でも、これだけは言えます。傍目にもアンタたちはとてもお似合いに見えました。生まれも育ちもまるきり違うが、なんていうか、すごく波長が合ってた。気が合う、ってことは、多分、肌が合うってことでもあるんでしょうし。二人とも立派な年頃の男女だ、一つ屋根の下、アタシの知らないところで何があってもおかしくないなあとは思ってましたよ」
「肌が合う、って」
ーーつい、赤くなる。想像してしまった。
お、とタロスが目を剥いた。照れたーーという顔になった。
「好きでしょう、ジョウは。アルフィンのこと」
ここぞとばかり、タロスは畳みかけてきた。こういった話を、タロスと話しあうことになろうとは。事故の前までは思いもよらなかったよ。
「そりゃあ……あんないい子、嫌いなはずはないさ。でも、異性として好きかどうかっていうとなあ。よく分かんねえ」
俺は片膝を抱えて天を仰ぐ。
好きかと訊かれれば、好きだと言うしかない。
それが恋かと訊かれれば、答えに窮する。
そんな俺に、タロスは慎重に言葉を選んだ。
「あんまごちゃごちゃ考えないほうがいいですぜ。ジョウ。特にあんたは頭の手術、したばっかなんですから。オーバーヒートしちまう」
「確かに」
「好きかどうかなんて、黙ってても身体が教えてくれますよ、ちゃあんと。好きなオンナの側に寄れば、ちゃんと反応するってもんです。男の身体は、そうなってますから」
安心しなせえ。そう片笑んでベテランクラッシャーは話を畳んだ。
反応ねエ……。
「ん? なんか言った、ジョウ」
「あ、いや。べつに」
今日は食糧庫と備蓄庫のストックの管理にアルフィンと来ていた。次の寄港地で足りない分を補填するためだ。オフのときにしかできない。
「冷凍野菜、もう底を尽きそうだから多めに買い込みましょう。日持ちしそうなフルーツも」
あと、あれもと、タブレットに入力していく。てきぱきして、無駄のない処理。
仕事、できんだよな。結構……。女のナビゲータって、どんなもんだろうと半信半疑でいたけれど。頭の回転が速い。視野も狭くはない。
意外といえば意外……いや、俺はこのアルフィンの仕事ぶりをそもそも知らないんだが。可憐な見かけとは反して、というと今どきコンプラアウトなんだろうしなあ。
「タロスのためにナッツ類も必要よね。好物だし。あと何要る?」
「……」
そこで、アルフィンはタブレットから目を上げてじろっと俺を見た。
「ジョウ、ちゃんと考えてる?」
「考えてるよ、もちろん」
「もおお、毎日献立考えるの大変なんだから。協力してよね」
「分かってるよ」
……どうも、分からない。タロスの言うことが。
好きかどうかは身体が教えてくれるって、どういうことだ。
「俺、何が好物だった? その、ケガを負う前」
訊くと、アルフィンはえッという顔になった。あ、これは誤解しているな、と思い先んじて「忘れた訳じゃない。でも、合致してるかどうか確かめたくてさ。事故で、そういうところも変化、あるのかどうか」と言った。
アルフィンは納得した様子で頷いた。それから少し考える風を見せて続けた。
「そうねえ。あなたは何でも食べてくれた。って言っても、うちの船のひとたちは、みんな好き嫌いなく食べてくれて助かってるけど。
でも、特にお肉の煮込みが好きだった。リブがついた。ワインでたまに煮込むと喜んで食べてくれた。あと、半熟卵。ポテトサラダ。中にリンゴを刻んで入れると、歯ごたえがいいなって、嬉しそうだった。たくさん食べてくれて作り甲斐があったわ」
にこにこしながらよどみなく言うから、ジョウはつい見とれた。
必要以上に長く見つめられてるように感じたか、「……なあに?」とアルフィンが彼を見やった。
「もしかして、違った?好物」
「いや。当たってる。……そうじゃなく」
俺は壁にとんと寄りかかる。クラッシュジャケットのベルトあたりに手を引っ掛けながら。
「なんか、照れる。恥ずかしいもんだな。俺以上に、俺のことを知られてる部分があるってのは。でも同時に、何かこう、嬉しいなって思ってた」
アルフィンは俺の照れが移ったかのようにぽおっと赤くなった。
「そ、そう。良かった」
「俺は……そうだな、ビーフストロガノフだっけ。あれも好きだった。あの料理の名前を全然覚えられなくて、あれ作ってくれよ、ほら、なんだっけボルシチじゃなくて、デミグラスソースのこってり濃厚なやつって、ねだるたびにいつも君に聞いては呆れられてた。ようやく覚えたのは最近のことだった。あれが好きだな……なんか無性に食いたくなった」
最後はぼそぼそ声を自分の口の中で転がす形となった。
そんな俺の右手をいきなりグイとアルフィンが強引に握った。両手で、ものすごい強い力で。そして至近距離に顔を寄せて、俺の目を覗き込んでくる。
すごく真剣な顔。必死な目。
「--な、何、」
「思い出したの、ジョウ?」
切迫した光を目に宿して、アルフィンは俺の言葉にかぶせた。
「ビーフストロガノフってお料理名、全然覚えてくれなくて、何回も何回も教えてたあたしのことーー思い、出した?……」
あれって、事故の前だよね、と唇を震わせて、言った。
目が、ーーでかい。青い瞳が顔から落っこちそうなほど見開かれ、まばたきも忘れていた。もしかしたら呼吸するのも忘れているのかもしれない。澄んだ湖の色だった。透明度が高くて、見る者を惑わす。
吸い込まれそうだ。
そう思うと、急に言葉にできない強い感情が腹の底から湧き上がり、身体を揺さぶった。俺は激しく動揺していた。
アルフィンはさらに俺に食って掛かった。「ねえジョウ、どうなの、今あたしのことちらっとでも思い出してくれたんじゃないの」と言った。
が、俺は最後まで言葉を継がせなかった。
俺は握られた手を振りほどき、その身体を抱き締めた。自分の心臓が皮膚を食い破りそうなほど振動しているのを、触れた彼女の耳たぶを通して知った。どきんどきんというより、ずきん、ずきんといった感じだったのでびっくりしていた。
タロスの声が脳裏にちらついた。
ーー好きかどうかなんて、黙ってても身体が教えてくれますよ、ちゃあんと。好きなオンナの側に寄れば、ちゃんと反応するってもんです。男の身体は、そうなってますから安心しなせえーー。
やつの言う通りだった。
(6)へ
もう全く展開が読めず、翻弄されております。
3〜4話辺りでは、J君がなんだか幼くなっちゃってこのままでは「綺麗なお姉さんは好きですか?」的、恋愛感情では無い方向にいってしまいそうでヤキモキしました。
@15のJ君は、若くして業界トップにのしあがった故の気負いもプレッシャーも記憶に無いのか総じて素直で粗野でより野生動物ぽいですね。チームリーダーとして姫を受け入れたという感覚が薄いからより自然体なんでしょうか…?
はあ‥続きが気になる…。
新作ありがとうございました。
なんだなんだ、この少女漫画展開。。。でもまあ、連載かきたい熱なんて、数年に一度しか来ないので、大波に身を委ねて翻弄されるのを楽しもうかと
二次創作の神様に笑
ジョウの設定は「中学生」まんま15で書いてます。笑!
本当にラストは未定。毎回思うままに書いてます。で、へええこんな話にしたかったのかあと驚いています。そういう感じなんですよ……姫にはさんざん迷ってもらいたい。元のジョウが好きなのか、今のなんのしがらみのない無邪気な年下風彼にも惹かれるのか。たっぷりと