「ジョウに、付き合ってほしいって、言われたア?」
「ル、ルーったら、声、声が大きい」
しい―、シーっと口に人差し指を当て、画面の中の友人を制止する。
ハイパーウエイブ通信で夜の定番。女子の恋愛相談。
普段喧嘩もして、仲がいいばっかりじゃないけれど、ここぞという時はやっぱりこの子にすがりついてしまう。頼っちゃう。何光年も一気に越えて。それはやっぱり「友達」なんだからだろう。対面で合ったことは数回しかないというのに。不思議な感じがした。
ルーは画面からはみ出してしまうぐらい、向こうの椅子の上で身じろぎした。
「いったいぜんたい、なんだってそんなことに? 仕事が立て込んでいたから、ジョウの事故の時にはお見舞いに行けなかったから、そろそろそっちに顔出そうと思っていたら……なにそれ?『付き合ってほしい』って?」
「……ごめん」
なんだか、剣幕に押されて謝ってしまう。
ルーはそこであら、と眉を跳ね上げて背筋を伸ばす。居住まいを正し、
「のろけたいためにこんな夜中にあたしのところに連絡してきたわけじゃないんだ」
と言った。
「……はい」
彼女ははーっと深くため息を吐いて髪を掻き上げた。切れ長の目を画面越しにあたしに向けて、
「何そんな浮かない顔をしてるの。彼に返事はもちろんしたんでしょう」
「……」
首を横に振るあたしを見て、「なんで?」とまた噛みつく。やりとりをしている間に、なんだか面白くなってきた。ルーの反応が、なんだかアニメ?みたいで。
なんてことを考えてちゃダメ、とあたしは意識を話題に戻した。
「ちょっと考えさせて、って保留にした。逃げちゃった」
そう言ってあたしは両頬に手をあてた。顔、あっつい……。
「~~だから、なんでよ。あんなに好きだったジョウが、やっと付き合ってって言ってくれたんでしょ。晴れて両想いなんでしょ。何を保留にすることがあるのよ」
訳わからんと焦れるルーに、あたしは顔を手で扇ぎながら訊き返した。
あの日、ジョウに告白されて真っ先に浮かんだことを。
「『付き合う』って、このミネルバで、もう同じ屋根の下で一緒に住んでるあたしたちがそういう関係になるって、どういうことを指すのかな?」
「ーー……アルフィン」
ルーは動きを止めた。瞬きも惜しんであたしをじっと見返した。
あの時、備蓄倉庫の奥の暗がりでいきなりジョウにハグされたとき。
「俺と付き合ってくれ、アルフィン」
と言われた。
付き合う。って……
「ーーえ」
にわかに、信じられなかった。自分の耳を疑った。
「頼む。付き合ってほしい」
ジョウはくぐもった声で言った。それは、あたしの頬に頬を押し当てているせいだと、彼に抱きしめられているから声が籠って聞こえるのだと、そのときはじめて気づいた。
ガン、という衝撃とともに、いきなり血流が乱れた。息が苦しくなった。宇宙服を着て船外作業をするとき、ふとなる酸欠のときみたいだと思った。
あんまり唐突な告白で頭が働かなかった。だってさっきまで、晩御飯の話を、ジョウの好物の話をしていた。取り留めのない雑談。恋愛っぽい雰囲気なんて全然なかった。
なのに、なんで、と脳が固まった。フリーズ。
「付き合う?」
抱かれながら、カラカラに乾いた声でやっとそれだけ言ったあたしの肩に手を置いて、ジョウは身を離した。照れていたけど、優しい目をしていた。あたしの顔を覗き込んで「ああ」と頷いた。
「どうして?」
「どうして、って。そうしたいから」
あっさりと、あまりにもあっけらかんと、彼は明瞭に答えた。
「そうし……今、あなたとそういう話をしていたんじゃないわ」
彼が、ちらっとでもあたしのことを思いだしたようなーービーフストロガノフにまつわる、あたしたちだけが知る思い出を話したから、もしやと思って問い詰めた。無我夢中で。
ジョウはそうかと指摘されて気づいたように目を見開いた。確かにと。
「分かってる。ごめん、思い出したんじゃないんだ。記憶を取り戻したわけじゃない。君は、あくまで俺にとって最近出会った人だよ」
「でも、いま」
「うん。思い浮かんだことをまんま口にしただけだ。誤解させたらごめん。きっと、俺、君のこと忘れてない。細胞に沁み込んでるんだよ、一緒に暮らした時間は見えない形になって。うまく言えないな。……憶えていないけど、忘れてない。表面に出てこないだけ。多分そういう感じだ」
「そうーーなの」
ジョウに説明をされても正直、半分も言っていることがよく分からなかった。とにかく、あたしは失望を隠せなかった。もしかしたらって思ったのに……という顔をしていたんだろう。ジョウは申し訳なさそうに「ごめんな」と謝った。
「ううん。ごめんあたしこそ、プレッシャーかけるみたいなこと言っちゃって……。だめね、お医者様にも注意されていたのにね」
あたしも謝る。それ以外、言葉が思い浮かばなかった。変な間が、あたしたちのあいだにできた。
ジョウはそれを取り除くみたいに「アルフィン」と呼んだ。そして、
「俺、今の今まで、撃たれて手術して記憶がなくなったぐらいで済んで、ラッキーぐらいにしか思ってなかった。命があっただけもうけもんじゃないかって、軽く。でも、ーーでもな、今君に思い出したのって訊かれて、ようやくそれが間違いだってことを知ったっていうか……。すげえ取り返しのつかないことが起こったんだって分かったんだ」
だから、ごめんな、ともう一度密やかに声を落として言うから、あたしは思わずジョウを見つめ返した。
憂いを含んだ、大人の目をしていた。術後のヤンチャな、少年のような生き生きした眼ではなく、元のジョウが時折、見せていたような。傷ついたような、それでいて諦観を含んだ色を湛えた目だった。
自分が忘れたことによるあたしの心の傷を、彼が初めて理解したのだと。だからこんな切ない目であたしを見ているのだと、あたしは気づいた。
彼のせいじゃない。それを伝えたかった。でも、何をどう言ったらいいか全然分からなくてあたしは首をぷるぷると横に振るしかできなかった。
「……犬みてえ」
そこでふっとジョウは笑みを浮かべた。
「ーーい、ぬ?」
「ああ。犬みたいだな、あんた」
「失礼ね、シリアスな話をしてるのに。なんなの。からかってんの?」
むくれるあたしに向かって、ジョウは「まさか」と言った。
「口説いてるのさ。俺と付き合ってほしいって」
……思い出した。話の発端。
にわかに照れが襲い掛かってきて、あたしはわざとぶっきらぼうに返した。
「……それで、何で付き合って、になるの。もしかして、同情してる?」
だったらいやだわ。そう思い、あたしは自分の身を自分で抱いた。ぎゅっと。
そんな風に彼に言わせた自分がいやだーー
暗い表情になっていたんだと思う。ジョウはんなこと、あるわけないだろうと少し気分を害したように言って、
「好きになったからに決まってるだろ。君のこと。それ以外、あるか」
と、元のジョウ――手術前にあたしが焦がれて止まなかったその声音で、はにかんだ口調で、目に光を宿してまっすぐにあたしを見つめ、そう言ったのだ。
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