「ったく、むかっ腹立つ。あのオヤジ、もっとこっぴどくしぼってやるんだった」
「あー、はいはい。よく我慢したねー。えらかった光稀さん。
手首ねじり返して関節技決めて、次の駅まで一駅押さえ込んだだけだったもんね。
投げ技繰り出さなかっただけでも、すげえ自制してたと思うよ」
ものすごい注目浴びたけどね、と小声で続ける。
「当たり前だろう。電車内だぞ。それぐらいの分別。私にだってある」
鼻息荒く言いのけてから光稀はそれに、と続ける。
「電車内で投げたら、他の乗客に当たって面倒だからな」
「うっわ、電車じゃなかったら確実に投げてたみたいな仰りよう」
春名がうっかり突っ込むと、光稀は、
「私に痴漢行為なんて狼藉を働くほうが悪い。……許さん」
言ってぎりりと唇を噛み締めた。
久しぶりのデート。電車に乗った途端、アクシデントに見舞われた。
光稀がものも言わずに背後に乗っていた乗客の腕を把って捻じ伏せたのだ。
世にもみっともない、50がらみのオヤジの悲鳴が車内を満たして、一時騒然となった。
「み、光稀さん、どうしたの」
驚く春名に向かって、光稀は呼吸一つ乱さずオヤジを押さえ込んだまま言った。
屈辱をかみ殺した青い顔で。
「痴漢だ。こいつ、今私の尻を触った。――車掌を呼べ」
オヤジが悲痛な声で違う濡れ衣だとわめいて、しかも一方的に光稀にやり込められているものだから、
車内の雰囲気が一瞬、「何もそこまでしなくても」というものに流れそうになった。
そこで春名が床にひざを着いて、組み伏せられるオヤジにかがみ込んだ。
「あんた、ほんとに光稀さんに触ったの。痴漢した?」
それを聞いて光稀が憤然となった。私の言うことが信じられないのか!と食って掛かりそうになる。
「ち、ちがう。この女が勝手に勘違いしてるだけだ。どっか頭おかしいんだよ」
オヤジも必死の抵抗を試みる。
しかし春名は、すうっと目を細めてオヤジを見下ろしたまま、
「あいにく、俺の彼女は勘違いで他人を公共の面前で組み敷く女性じゃないの。
それなりの確信がなきゃ、絶対こんなことしない。
アンタが濡れ衣だって言うんなら、出るとこに出よう。白黒つけるのはやぶさかじゃないよ。
ただし、俺の彼女にアンタが触ってたっていうのが事実なら、法的処罰うんぬん以前に、ここで俺が許さない」
わかる? と物騒な光を目の奥に宿して微笑んだ。
それきりオヤジは足掻くことをぴたりとやめ、次の駅で車掌におとなしく引き渡された。
「……お前ってすごいな」
あのときのやり取りを思い出しながら、光稀が囁く。
「なにが? すごいのは痴漢をらくらく取り押さえる光稀さんでしょ。なかなかできることじゃないよ」
けろりと答える春名だった。が、光稀はかぶりを振る。
「そういう意味じゃなくてさ」
「……褒めてる、それ。一応」
「一応じゃなく。褒めてる」
「へへ。――光稀さんは大丈夫?」
「何が?」
「痴漢されて、やだったでしょう。ごめん、隣にいたのに、気がついてやれなくて」
春名は光稀の髪を梳く。それはそれは優しい手つきで。
「私は平気だ。こうしてお前が触ってくれるから」
光稀は春名の膝に頬を当てなおす。寝返りを打って。
髪をひとふさ愛しげにもてあそびながら、春名が言う。
「膝枕、好きだね。光稀さん」
「悪いか」
「悪くない。ぜんぜん。ただ、猫みたいだなあって思って」
「お前の膝枕が一番落ち着く。嫌なこともなにもかも忘れさせてくれる」
ここがいい。そう囁いて光稀が目を伏せた。
甘え下手だと思っていた彼女が、実はこんなに甘えん坊だったなんて。
嬉しい誤算に、春名は光稀に会うたび胸がときめく。
でも口にはしない。きっと口にしたら光稀はへそを曲げてこんな姿はもう見せてくれなくなるに決まっている。
だから、春名はただ膝を貸して光稀の髪に触れるだけだ。
「……リセットして、光稀さん。やなこと、全部」
「……高巳」
うん? 顔を覗きこんだ春名に、光稀が目をうっすら開けて、言った。
「会いたかった。ずっと」
今日は、ひと月ぶりのデートの日。
海の見える高台にて、二人は時間を忘れて過ごした。
fin.
(2009.8.13)
※私の光稀のイメージは猫です。高級な外洋種。
あやせるのは春名だけ、という……。
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男前でかわいい光稀さんと甘ーい高巳さんのお話、もっと、書いてください。裏の2人の話もよかったです。
コメントありがとうございます。
裏というと、CD-Rの話でしょうか。読んでくださってありがとうございます。
有川作品には素敵なカップルがたくさんいて、本当に幸せな気分になりますね。私も光稀さんと春名は大好きなカップルです。
甘えん坊な光稀・・可愛すぎます///
春名しかあやせないっての同感ですw
(後、痴漢に物申す春名・・相変わずの説得力?ですね
彼に口論でイイ勝負になりそうなのは小牧ぐらいですかね?w)
大変ありがたいです。
空の中のCPは大好きなので、機会とネタがあればまた書きたいですね。
小牧はコワイのでなかなか手が伸びづらいです。。。苦手意識かもしれません。